神川彦松の発言 (内閣委員会公聴会)

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○神川公述人 石橋先生の再三の御質問にお答えいたします。私は急ぎまして、言葉を略しましたが、御質問の趣旨はよく心得ておるのであります。その第一点は九十九条は当然のことではないか、むろん当然のことを書いたものであります。しかしながら諸外国の憲法を見ますと、こういう当然のことはあまり書いていないのでございまして、もし書くとしますれば、およそその市民というものはすべて国家の根本組織法である憲法というものはよくこれを守らなければいかぬと書いてあるのが普通であります。であるから国家の官吏とか、国会議員とかいう人が憲法を守らなければならぬことは当然でしょう。職責上当然のことでありまして、そういうことをここに書いてある。ただ抜けておるのはそういうことを書くくらいなら、本来なら日本国の市民というものはすべて憲法というものを順守しなければいかぬ、こう書くのが当然なことです。それが書いてないのが外国の憲法と違っている点です。これはおそらく進駐軍マッカーサー司令部が思うところあってこういうふうに書いたのだろうと思いますが、とにかく諸外国の憲法と違っておるという点を指摘いたしたのであります。それからまたもう一つ、国民主権というものは日本に外国が与えたのじゃないか——私は一体国民主権というものはみずから戦い取るべきもので外国からもらうべきものでないと考えるのです。もらうような国民主権というものはあろうはずがないと思うのであります。もらったようになっておるけれども、自分のものにならないということは現実の事態が証明しておる。およそ権利だろうが、自由だろうが、自分の力で戦い、取らない限り自分のものになりません。その点において非常な誤解があるわけです。外国から押しつけられてもらった権利は自分のものになりません。やはりもらったものはありがたくない。じきそれを失ってしまうのと同じでありまして、もらったものを国民主権だと考えることが国民主権というものの本質を理解されないことだと思うのです。主権というものは革命の力によって、自力で戦い取らなければならぬものです。ところが日本国民というものは、その折革命も何もできませんでした。外国の統治ですから、植民地日本ですからどうして革命ができますか。今でもそうです。植民地そのものです。(「今でも植民地か」と呼ぶ者あり)今だってそうだと思っている。でありますから、他人から押しつけられたり、他人からもらったものはただ形だけなんです。それを自分の力で戦い取って初めて自分の国民主権になることは当然じゃないですか。ですから私はまだ日本人はほんとうに国民主権というものを理解してないと思う。遺憾ながら石橋先生がああ言われるところを見ると、そう思わなければならない。ほんとうに自分のものにならない。主権は実力です。それは他人からもらったのではできるものではない。自分から戦い取って初めて国民主権になるのです。ですから私はそんなものは国民主権でないと思う。もう一度自分たちのものにしなければならぬ。かりにもらったものはそれでもよろしい。自分の努力で自分のものにしなければならない。そのする手続が抜けている。だからそのする手続をやらなければならぬ、こう申しておるわけです。

発言情報

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発言者: 神川彦松

speaker_id: 31073

日付: 1956-03-16

院: 衆議院

会議名: 内閣委員会公聴会