中村哲の発言 (内閣委員会公聴会)
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○中村公述人 今山崎さんから御質問のありましたことに対してお答えいたします。
最初の問題ですが、これは必ずしも私が申したことではありませんが、一言申しておきたいと思うのですが、主権在民の原則が憲法の調査を進める結果改正の対象になるのじゃないかということです。これは戒能さんが特に言われたのですが、私は国民主権そのものが直ちに改正されるものとは考えませんけれども、実際には国民主権の事実が、ある修正を加えられるというふうには考えます。それは一番問題になるのは、基本的人権の問題でありまして、午前中申しましたように、人権が法律によって制限し得るようになりますので、そうすると、そのときそのときの国会の情勢により、政治的考慮から人権が制限され得ることになりまして、これは全体として主権を持っている国民、その国民の個人的な権利が、そのときそのときに制限され得ることになりますので、これは基本的人権という概念に矛盾するわけです。基本的人権というのは、法律によっても国家権力によっても制限されないというのが基本的人権で、こういう強い人権の思想というのは、一方において国民主権という原則があるからこそ、その主権者である国民の人権は、国家権力によっても制限されないという連関性がある。従って基本的人権がそのときそのときの法律によって制限し得るというような、戦前の権利の思想と同じになりますと、国民主権がある程度制限されることになるのじゃないか、戒能さんの申されたことについても私はそう思います。
それから第二の、調査会ができまして、そこで実際にどういう改正案ができるかということですが、これについては、私は詳しいことは知りません。しかし調査会が現実にできますと、国会議員が三十名、学識経験者二十名ということでありますが、その国会議員もおそらく自民党が中心となることはいうまでもないので、これは何人もそういうふうに想像されると思います。そうしますと、その自民党はかつて改進党であり、自由党でありまして、そこではすでに改正案を具体的に持っております。従ってそれらが中心となることは当然想像されるし、現に読売新聞でありましたが、日にちは忘れましたが、大体今まで出ておる自主憲法期成同盟、改進党及び自由党の案を大体調整して、その辺にしぼっていくということを書いておりますので、私はやはりそういうふうに想像しますし、国民も大体そういうふうに理解しておることと思います。
それから次の、私が午前中申しましたことで、九年間の実績に基いて憲法を検討する必要があるのではないかということが提案理由の説明になっておりますが、私はそういうことよりも、まず憲法の原則がいかに守られなかったか、つまり憲法違反の事実を検討することの方が重要ではないかと申しました。と同時にまた実際の実情に照らして、憲法の条文の欠点もおそらく多少はそこにあります。ありますけれども、それは現に運用をもって解決しておることであります。たとえば国会の解散権だとか、あるいはその他私立学校に対する国庫の援助とか、こういうような問題については、事実上の運用で済んでおることなんです。そういう小さな欠点について改正するというのでなくて、実はそういうことを理由として、むしろ今まで問題になっていない全面的な改正をしようとする、たとえば国会の権限を制限するとか、緊急命令の制度を作るとか、非常事態の宣言をするとか、それから地方自治を訂正して中央集権的な官僚統制にするとか、こういうことはすでに自由党、改進党の素案として出ておりますので、そういうことから想像しまして、単に九年間の実績にかえりみてではなくて、実は旧憲法時代に戻すかのような改正をしようとするところに、私はやはり問題があると思うのです。そういうことであります。
それから最後に天皇の問題でありますが、天皇が象徴であるという現在の憲法の解釈、この象徴という概念は、従来の憲法ではほとんど使われておりませんために、象徴という概念の解釈については、最近やや定説ができようとし始めておる段階です。その場合に象徴という概念は、法学的にいえば、つまり象徴という観念は代表という観念とは違う。つまり代表というものは政治的な意思に関連していうものですが、象徴というものは政治関係の間で言われておるものではない。従って政治関係において、たとえば条約を締結するというような場合、これは政治的な関係でありますから、この場合には天皇が代表者で一国を代表すれば、天皇が条約を締結するわけでありますけれども、現在は天皇は象徴でありますから、政治的意思を代表しないから、内閣総理大臣が条約を締結するということになるので、そういう意味から天皇は、象徴である限り、国の政治的な意思を代表しない。これは憲法の第四条にも言っておるように、天皇は国政に関する権能を有しない、パワーには関係しないのだというのはその意味であります。それで私は何ら不自由はないと思います。ところが、天皇を元首にしようという改正が考えられておるようですが、天皇が元首になるとどうなるかといいますと、現在内閣総理大臣の名において行われたりするようなことがすべて天皇の名で行われる。ことにこの天皇制の復活と関連して再軍備が行われますから、軍隊の問題はすべて天皇の名において行われる。非常事態の宣言であるとか、あるいは緊急命令であるとか、あるいは軍法会議なんかに関連しても、天皇の権威をもって言われるということがあるのではないかと思うのです。そういうふうなことになりますと、今でありますと、単に内閣総理大臣が政治的意思を代表してやっているわけですが、それをどうして天皇の権威によって権威づけようとするかといいますと、それは対国民の関係において、つまり内閣よりも国民に対して権威づけるために、天皇というものが利用されるわけです。実際の意思決定は、これは改正派の人たちだって、天皇が実際の意思決定をするとは考えておられないと思う。旧憲法時代においても、天皇は実際の意思決定はやらなかった。内閣が、国務大臣が輔弼の責めを負っていたわけですが、しかし形式的には天皇の名においてすべてが行われた。そういうことを再び行おうというのはどういうことかといいますと、国民に対して天皇の権威で上から命令しようということなんです。そうなりますと、主権者である国民に対して、何かそれを上から押えるような権威づけるものを強化しようということであって、そこに私は非常に問題があると思う。そういう意味から現在の象徴である天皇を元首に変えるということになると、やはりそこで、国民主権という原則が一方においていわれておっても、事実上はある程度の修正を加えられる。この意味において、戒能さんが言われたように、国民主権が制限を加えられるというような疑いが出てくるのじゃないかと思うんです。以上であります。