和歌森太郎の発言 (内閣委員会公聴会)

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○和歌森公述人 申し上げます。私は建国記念日を歴史の古いような国では持っていないというふうに確かに申し上げましたが、その歴史が古いということは、歴史そのものの古いということよりも、かなり年代がさかのぼるがために、その国の統一の時期というものがはっきり定めがたい、そういうふうな確実性を持っていないところにおいては、これをあえて持たなかったという意味でありまして、大体イギリスの方ではそういった国の祝祭日をどういう動機で設けたかと申しますと、やはり日常のイギリス民族――統一された後のイギリス民族ですが、その中で生活を規律する意味において意味の深いような宗教行事の日を全面的に取り上げたのであります。これは別に国家の政治とかなんとかいうことに関係なしに、いわば伝承的に年中行事の日をそのまま国の祝祭日にしたという性格があって、これはほかの諸民族あるいは諸国家の祝祭日の取り方と比べまして確かに特色のあるところだと思います。
 それからイギリスの側でもって、そういうふうに自分の国は歴史が古いからといって建国の記念日を設けなかったという説明ではないのであります。たまたまそういうふうなイギリスの場合のように、国家の統一とか建国とかいうことがはっきりいつというふうには定めがたいようなところでは、そういうものを定めようとする意欲さえ起きなかったということを申し上げたのです、日本の国の場合を考えてみますと、いつ国ができたと言っていいか、実際人によって国家というものについての概念に相違がありますから明確にいかないと思います。大和地方だけが大皇のしろしめすところとなった段階をもって国の統一が行われた、国家ができたというふうに認識する者もありますし、それからまた九州地方を合せて瀬戸内海を仲立ちにした統一を果された時をもって国の統一、国家のでき上りというふうに解釈する者もありますし、あるいはさらに加えて出雲地方を包括した段階をもって国の統一、日本のでき上りというふうに見る者もありますし、なお後になりますと大化の改新でそれができたというふうに見る者もあって、そこで問題になるのは、国歌のでき上りというのはどこにポイントを定めたらいいのかということになるのであります。イギリスの場合は諸民族のいろいろの葛藤やなんかででき上ってきたわけですが、日本の場合はそういう民族的な葛藤ではなくて、ただ規模が拡大していく。プロセスを言っておりますが、そのでき上った時点を定める定め方に非常な見方の相違があって、結局それをどこで押えたらいいかわからないということになる。そのような場合には、進んで建国の日を設定するということは非常にむずかしいのではないかという意味において申し上げたのであります。
 それからもう一つの国の成り立ちについて、家を尊重すると同じような気持において、またその家を尊重する気持というのは、日本民族の伝統的な心情であるから、それによって国の成り立ちを祝うというのは自然ではないか。またそういう要求を民族として持っているのじゃないかというお説のようでありましたが、確かに日本人が家というものについて意識がまことに鋭い、それに対する愛着の念が強いということは間違いないことだと思います。もっとも家と申しましても、それが世帯ごとの家ばかりでなくて、家の連合体としての同族団というような場合もありますし、規模は大小さまざまとなって今日に至っておりますが、とにかくばくたる観念でありますけれども、それに対する意識、関心が強い。それを国家に規模を広げ、押し及ぼして、そういうものだからして国の始まりを祝う、あるいは祝いたいという要求があるというふうにおとりになられるのはどういうわけであるか、私にはよくわからないのです。その間の結びつきに、お説の中に飛躍があるように感じられますし、それから国の独立、成り立ちを祝おうとする、そういうものが伝統的な心情でなかったということは先ほども申しましたし、つまり明治以来のそれは、小野先生のおっしゃるところでは、要するに近付の日本人の個人的な自覚が進んできて、それを国にまで及ぼしてきたという独立自尊の考え方ができて初めて現われるものであるというお説がありましたが、確かにそういう近代日本の特殊な産物であったろうとは思います。しかしそれは民族的な心情として、その時代になってつちかわれてきたものではなくて、私に言わせれば、やはりこれは相当強引な教育力というものがあずかっていたように思うのです。明治、大正、昭和と太平洋戦争を終るまでの間の、あの国家主義ないしは昭和の戦争時代になりますと、超国家主義的になる、そういう体制の中での教育というものが、何となしに今の国民の世論に響いていますような工合の感情をつちかったのであって、ほんとうの古代以来連綿と続いてきている伝統的な心情というものとは、それはぴったりするものではない、従ってそういう伝統的な心情の中で、十分に人々が歴史的な教養を積んだ上で、こういうふうな国の独立あるいは建国の日を記念したい、祝いたいというふうになるまで待った方がよいのではないか、そういう意味であります。

発言情報

speech_id: 102604914X00119570508_012

発言者: 和歌森太郎

speaker_id: 27816

日付: 1957-05-08

院: 衆議院

会議名: 内閣委員会公聴会