玉村四一の発言 (地方行政委員会)
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○参考人(玉村四一君) 六月十日の本州製紙の事件についての概要について簡単に御説明申し上げます。
六月十日に浦安町の漁民の人々が約七百名、町民大会を開きまして、国会、それから都庁、本州製紙の会社に対して陳情並びに決議文の手交というような集団的な行動があるということにつきましては、あらかじめ千葉県当局から情報を得ておったのであります。しかしながら、実のところを申し上げますと、私どもの考えといたしましては、その陳情団が町長さん、議長さんあるいは漁業組合長さんというような町の幹部の人々が引率をされてこられることでありますし、また、国会陳情につきましては、川島幹事長が代表者と会うという約束をすでにされておる、面会についても何らの手違いもないというようなことなどから、純朴な漁民の人々が事をかまえるということはなかろうというので、実は何らの警備措置をしておらなかったのであります。ところがその十台のバスに乗って国会前のチャペル・センターのところに到着しましたのが二時十九分ごろと思いますが、チャペル・センターの前が自動車をとめるのに適当でないというので、警察官の誘導で永田町小学校の前に自動車をとめて、そこに一般の人々は乗っておってもらう、それから代表者は国会に向うということであったのであります。ところが、二時四十分過ぎでありますが、その全部の人がバスから降りられまして、この参議院のそこの道路を交通整理しておったのでありますけれども、交通整理の警察官の指示を無視して突っ走った。そしてそれが集団になって二、三百人の人々が参議院の常任委員会室に——これはだれかが間違って、川島幹事長は参議院のあの建物の中におるのだということだったのだと思いますが、そこへかけ足でだっと押し寄せてしまって、中に百人余りの者が入り込んだ。そのためにそこのガラスをこわしたり、あるいは植木鉢をひっくり返してこわしたような派生的な事件が起きたのであります。代表の人々は川島さんと会いまして、そして川島さんが永田町小学校の付近で全部に会う、全部から陳情を聞くという話を聞いてきて、それを引率して帰ろうとしたのでありますが、この常任委員会の建物の周辺で、なかなか統制に服さない。そこで町長さんに警察の広報車をお貸しいたしまして、その広報車によって、幹事長は永田町小学校の建物の付近で会うのだからそちらへ行こうというので、ようやく全体が永田町小学校の方へ移って、そこで陳情をして終った、こういう状態が発生をしたのであります。
その事態が起きましてから、実は警視庁といたしましては、これはなかなかそう簡単なことだけではいかぬ、やはり行く先、行く先であるいはこういうことが起きやせぬか、そのためには、もし起きた場合には最小限度でそういう秩序を保っていただくように配意をしなくちゃいかぬというので、都庁に対しましても、所轄署に言いつけまして一応の手配をしました。また本州製紙の本工場に対しましても、もし事態が起きたならば、それを最小限度に整理することができるように手配をしなさいということを所轄署に言いつけました。小松川の工場に対しましても、工場へ行ったら、そういうことが起きるかもわからぬというので、小松川署長にもそのことを指示したのであります。そしてこの状態を、国会の周辺でやや統制のとれない集団としての行動があるという情報を伝えたところ、小松川警察署を管轄しております七方面の本部長から、小松川署の署員だけでは——当時交通安全運動の最終日でありましたので、そういうことなどに人がたくさん取られておるので、機動隊の応援派遣を求めたいという申し入れがありました。そこで、四時二十分ごろだと思いますが、第二機動隊の三個中隊を小松川警察署まで派遣をするという指示を私がいたしたのであります。
そこで、その際、小松川警察署長と本州製紙の工場との間に、いろいろなそれぞれの情報について話し合いをしておったのでありますが、本州製紙の工場からも、工場の中で待機をしてもらいたいという出動の要請がありました。私の方は、警察側の立場として、これはやはり事前に配置をしておいた方が、もし事が起きたときに最小限度に食いとめられる、そういうことを措置できるというつもりで派遣を命じたのでありますけれども、会社側からもそういう応援の、要請がありましたので——しかしながら、漁民の人々を刺激してはいけないというので、五時三十分ごろに、工場の食堂に全員を入れまして、建物の中に入れまして、そこで待機をするということにしたのであります。
この際、この工場の実情をちょっと申し上げますと、工場は、正門から入りまして、約七十メートルくらい直線の道路があります。その七十メートルくらい行ったところに倉庫が三棟あって、事務所がその次の建物にある。それを直角に左に曲りまして、建物の間をさらに百二、三十メートル行って、一番端のところの左側にその食堂があるのであります。その食堂の中に全員を入れたのでありまして、工場の入口とか、その他のところには警察官の配置は全然しておらなかった。といいますのは、初めからこういう問題になるような行動が起きるということを考えておらなかった。また先ほど、どなたかの御発言にもありましたように、五月二十四日にも千名近い者が集団交渉に行かれたのでありますが、その際にも三百人くらいの人が工場の構内に入りまして、さらにそのうちの代表者が工場長その他と折衝したのでありますけれども、この際にも、先ほどお話がありましたように、マンホールへれんが、石を入れまして、そのマンホールの機能を阻害した、あるいはガラスをこわしたり、電話機をこわしたというような散発的な暴力行為があったのでありますが、それを、先ほどお話がありましたように、三十名程度の警察官が行きましてなだめて帰したという実情があります。そういうことでありますので、それほど大きな問題になるということは考えておらなかったのでありますが、この集団は、三時五十五分にバスで国会を出発いたしまして、それが皇居前広場の楠公銅像付近でバスをとめまして、そうして代表者十四名だけが都庁へ行ったのであります。そうして指導部長やあるいは施設課長ですか、そういう人に会われたのじゃないかと思うのですが、四時五十分に都庁でそれらの人と面会をしておるのであります。それで五時十二分に皇居前を出まして、大体六時八分ごろと思いますが、そのころに工場の正門に着いたのであります。これはあとで調べてわかったことでありますが、工場の正門は、そのとき鉄の格子のとびらが閉めてあった。そうしてその工場の守衛が、そこへ何かこういう外へ札を出しまして、代表者を何名か、五名でしたか、五名以外は立ち入り禁止という、代表者何名というのが小さい字で書いてあったそうですが、外から見ますと、立ち入り禁止という言葉を大きく表わしたものを、こういうものをそこにかけた。そこで、そのバスに乗った人は、何だ、全然入れないのかということが原因になったのではないかと思いますけれども、どっとおりて、その門を乗り越えて、そうして、先ほど申しました直線七十メーターくらいのこの倉庫のところをまた曲って、そうして左に曲って、右側にあります事務所などに対しまして石を投げ、棒きれでたたき、足げりしたりして、ガラスやとびらをこわしたり、あるいは工場長の部屋を、入口から距離にはかって十四、五メーター、曲り曲って、そういうところに行くまでの器物をこわすというようなことが発生をしたのであります。
そのことが発生したことを待機しておりました警察官が知りまして、急遽その待機しておった食堂の中から飛び出しまして、そうして漁民の人に接触したのが、ちょうど直角に曲って、工場を直角に曲ったところから食堂に行くちょうど中間のところ、中間のあたりで警察官が出てきて漁民と対峙した、こういう格好になるのでありまして、対峙しましたのは入口から約百メーター、百二、三十メーター以上のところの場所であります。この場所で、警察官が行って、やめやめといって制止をし、それから、現に破壊行為をやっております人々四名を検挙いたしました。現行犯として検挙したのでありますが、その際、警察官に対しまして、その周辺にありました石やコンクリートのかけらなどを盛んに投石しまして、警察官は実はそういう事態になると思っていなかったものですから、普通の制服制帽の格好で行っておりましたので、そこでけが人を出しまして、こういう事態が起きまして、これは、しかも漁民の人々は、ただ石を投げるということでなしに、検挙者を返さなければ帰らぬ、検挙者を返せということですわり込みをした、これは六時十五、六分ごろの状況であります。
そこで、警察といたしましては、できるだけこの事態をすみやかに処理をしたいと考えまして、そうして何とか早くこれを処置しなければいかぬじゃないかということで、町長や関係者の幹部を呼びまして、町長も実は何回も警察のマイクを使って一般の人々に、われわれは代表であるから、諸君はそういう乱暴はせぬでくれということを何回も言うておったのであります。こういう状態におきまして、実は二機動隊がだいぶけが人を出しましたし、しかも数百人の群衆と対峙しておる間に盛んに投石をされるというような状態にありますので、どうも部隊勢力が足りない、すみやかに部隊を増強してもらいたいという要望がありまして、六時三十分に第四機動隊、それから六時五十分に第三機動隊の応援派遣をいたしました。従って、その現場に着きました警察官は、最終的には七時三十分ころでありますが、七時三十分ころには約六百名くらいの警察官が集まった、到着したということになるのであります。しかしながら、これは第一次的な衝突が六時十五分から二十分までに終ってからの対峙しておる部隊であります。しかもそのうちの第三機動隊全員は、この会社の工場内にあります、液体塩素ですか、何かものすごい被害を与える薬品の倉庫といいますか、そういうものがあるのであります。それが二つあるのでありますが、一つ破壊すると四里四方の人間に被害を及ぼすというようなものだそうであります。そういうものを防護するために配置をしたり、あるいはガソリン倉庫を防護するために配置をしておりましたので、実際にその人々と対峙をしておったのは第二機動隊と第四機動隊・約四百名ぐらいのものであります。
それからその後、六時十五分ごろからずっと九時半ごろまでの間は、大体十回程度の投石が、思い出したように石を投げてくる、それによって新聞記者の人もけがをするというような状況が発生をしております。しかも、うしろの方から、ずいぶん遠いところから石を投げますので、すわり込んでいる人々のところべも石が飛んでくるというような状況でもあったのであります。それで九時三十分ごろまで約三時間対峙をしておりました。
私は、できるだけ手間をかけてこれらの人々の退去を求めるという七方面本部長の意見と私の意見が一致をしまして、できるだけ、くたびれるだろうけれども、手間をかけてやろうじゃないかということで、本部で私は指揮をしておったのであります。ところが、九時四十五分ごろでありますが、そのすわり込んで対峙をしておる場所でなくて、第四機動隊が構内奥深く侵入するのを防ぐためにあらかじめ配置をしてあった、入口から直線に入った、倉庫と倉庫との間のところに、三輪車を先頭にしまして約百名ぐらいの人々がその警戒線を突破した、このころはだいぶ漁民の人々は酒を飲んでおったようでありますが、酒の勢いにもまかせてか、その付近にあった消火器やあるいは交通標識の棒や、板きれや、あるいは丸太ん棒や石やというようなものを投げかけながら突進をしてきたのであります。その現場で約十名以上の警察官がそれによって負傷をしました。たまたまそのときに、故意であったか、あるいは投げた棒か何かがさわったのでありますか、会社の電線がスパークをいたしまして、その倉庫の壁がまさに焼かれようとするような状況にあった。またそのときに火事になるといって騒いだところが、消防車を引っぱり出してきて、その消防車をひっくり返しておるというような状況があり、しかも警察官に対しまして、先ほど申しましたような暴行などが、石などが盛んに飛んでくる状況にありましたので、やむを得ずこれらの人々を退出させなければならないということで、この際、初めてその部隊の一部が警棒を使ってこの人々を門外に押し出したのであります。その後、門外に押し出された人々が、六回にわたって、自転車やあるいはその辺にある石や、いろいろのものを投げ込んできたり、あるいは四回にわたって門を開いて、その警察官が警戒しておる中に突っ込んできたり、繰り返しておったのでありますけれども、大体十一時二十分ごろにおおむねこれらの人々は退散をしておるというような状態であったのであります。
概要は以上のようであったことを御報告申し上げます。