鈴木茂三郎の発言 (本会議)
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○鈴木茂三郎君 私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、故衆議院議員正二位大勲位鳩山一郎君に対し、つつしんで哀悼の辞を申し述べます。
〔拍手〕
鳩山君は、去る三月七日午前十時四十七分、狭心症のため音羽の自邸において急逝されました。君が国民と国会を愛したと同じように愛したとさえ思われたほど愛してやまなかったパラの花の咲く日も待たないでゆかれたとの報に、私どもは言いようのない驚きと悲しみに打たれたのであります。
〔拍手〕
鳩山君は、諸君もよく御承知の通り、元本院議長鳩山和夫先生の長男として明治十六年一月に生まれ、幼時より俊秀のほまれ高く、父母の慈愛に満ちた薫陶を受けてその英才を伸ばし、第一高等学校を経て、明治四十年東京大学法学部を卒業、直ちに弁護士を開業されたのであります。
君は、父君の業を継いで政治家たらんことを志し、学生時代からひたすら研さんを重ねてこられたのでありますが、四十四年、父君の訃にあうや、東京市会議員の補欠選挙に立候補し、二十九才にしてみごと当選、五十年にわたる政治生活の第一歩を踏み出されたのであります。
続いて君は、大正四年の第十二回衆議院議員総選挙に出馬し、三十二才の若さをもって、これまた当選の栄を得られました。自来、当選十五回、在職三十七年に及び、昭和十六年二月には、永年在職議員として院議をもって表彰を受けられたのであります。
本院に議席を占められるや、君は、少壮有為の政治家として赫然その頭角を現わし、立憲政友会の中堅幹部となり、大正十五年、田中義一総裁のもとに幹事長となり、次いで、田中内閣の書記官長に任ぜられ、犬養内閣及び齋藤内閣の文部大臣を歴任されたのであります。
しかるに、その後、軍閥の台頭とともに、自由主義者、平和主義者として知られておった君に対して、軍部の不当なる圧迫が漸次加わってきたのであります。しかしながら、君は、きぜんとして妥協をがえんぜず、燃えるがごとき情熱をもってその信念を守り通し、昭和十七年のいわゆる翼賛選挙においては非推薦によって出馬し、さまざまの干渉を排して当選をされたのであります。
終戦となるや、君は、民主主義と議会政治によってわが国の再建をはかろうとし、同志とともに日本自由党を結成して総裁となられました。同党は二十一年四月の総選挙に第一党となったのでありますが、君は、組閣の大命を受けようとする寸前、不当にも公職追放の指令を受け、雌伏のやむなきに至りました。この間における君の心情は察するに余りあるものがあるのであります。(拍手)自来五年間、軽井沢の山荘において文字通り晴耕雨読の生活を送られたのでありますが、追放解除を目前にして、君は不幸にも病に倒れられたのであります。しかるに、君の闘病の気魄と御家族の手厚い看護とによって奇蹟的にも回復し、翌二十七年の総選挙には、全国最高点をもって本院に復帰せられたのであります。(拍手)
次いで、二十九年には民主党を結成して総裁となり、同年十二月には、第五次吉田内閣のあとを受けて内閣総理大臣に任命されました。その後ニカ年間にわたり、内閣を組織すること前後三回、多事多端なる国政を担当され、他方、三十年秋には、年来の宿案であった保守合同を達成し、自由民主党を結成して総裁代行委員となり、しかも、翌年四月には、初めて公選の制度によってその初代総裁に選ばれたのであります。
かくして、わが国の二大政党政治の形態がここに一応実現するに至ったのでありますが、これは一朝一夕にしてできたものではありません。ここに至るまで、わが憲政史を飾る先輩とともに憲政の発達のために尽された五十年の長きにわたる君の功績は、まことに偉大であって私ども後輩の言葉に尽しがたいものがあるのであります。(拍手)
私は、君のこうした数々の功績のうち、終戦後のわが国再建のための平和外交を推進された偉大な功績を、諸君とともに思い起したいのであります。(拍手)
君は、第一次組閣以来、平和外交の推進へ努力されたのでありますが、なかんずく、三十一年十月には、日ソ国交正常化のために、不自由なからだにもかかわらず、敢然としてみずからモスクワにおもむき、日本の国連加盟と抑留者送還の実現を期して折衝を重ね、ついに国交正常化に関する日ソ共同宣一言の調印に成功し、わが国の政治史上に不滅の業績を残されたのであります。(拍手)君がひたすら国民の幸福と平和の達成を念願し、自己の一身を顧みず、真に骨身を削る努力を尽し、もって国民多年の期待と要望とにこたえられたことは、われわれ日本国民の永久に忘れ得ないところと信ずるのであります。(拍手)
かくて、日ソ共同宣言の批准も終り、国連への加盟の実現した後、昭和三十一年十二月、君は、かねて決意の通り、党総裁及び内閣総理大臣の地位を引退せられました。その後は、党の顧問として、政界の最長老の一人として、党内外の信望を集めつつ、静養の日を送っておられたのであります。
思うに、鳩山君は、志操高潔、かたい信念の人であり、また、誠実温厚な人格者であったのであります。きっすいの政党政治家として議会政治に一生をささげた君は、政治の要諦は、国民の生命を守り、その福祉を増進することにあるとの信条のもとに、安易な妥協を排し、権力に屈することなく、みずからの信ずる道を堂々と歩まれて参りました。(拍手)これは、また、一面、温情に満ちた明朗な性格と相待って、あらゆる階層の国民からあまねく親しまれ、よくその信頼を一身に集めておられたのであります。
君は、去る昭和三十一年十二月二十日、内閣を総辞職するに当り、本会議において、あいさつを申し述べられました。その中で、君は、外、変転きわまりない国際情勢に対処しては、あくまでも平和主義の精神を貫き通し、内、並立する二大政党政治の運営に当っては、どこまでも良き民主主義の真髄を守り抜くことを切望せられたのであります。(拍手)これが政治家鳩山一郎君の本壇上における最後の言葉でありまして今にして思えば、君の訣別の辞となったのであります。顧みるに、この平和主義と民主主義とは、鳩山君の半世紀にわたる長い政治生活を貫いた二大支柱であり、そうであればこそ、君はよくその政治生命を全うせられたゆえんであったのであります。(拍手)
現下、わが国の政治情勢は、内政に、外交に、ますます多事多難であり、私どもは、議会政治を守って、平和主義と民主主義のために、また、国家と民族の将来の繁栄のために、さらに一段の努力をいたすべきときであると確信をいたします。
このときに当り、にわかに鳩山君の長逝にあい、透徹した洞察力と、卓越した識見と、あふるるがごとき温情をあわせ有する、すぐれた政治指導者を失いましたことは、ひとり自由民主党の損失であるばかりでなく、国家国民のため、議会政治のため痛恨のきわみでありまして、哀惜の情いよいよ尽きぬものがあるのであります。(拍手)
私どもは、今後、事あるごとに君をしのび、その遺志を体して努力すべきことを君の霊に誓い、もって追悼の言葉といたします。(拍手)