田中一の発言 (建設委員会)

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○田中一君 第一班、利根川水系建設事業調査報告書を朗読いたします。先般、利根川水系の建設事業の調査に参りました第一班の報告を私から申し上げます。
 去る七月三十日から八月三日まで五日間の日程をもって、小山委員、小平委員とともに、利根川の上流から河口まで一貫してその治水、利水事業と一部道路事業を調査して参りました。
 その経路及び視察個所につきましては、お手元に配付いたしました図面1をごらんいただきたいと思いますが、東京から群馬県渋川に直行、利根川水系の全体の計画を聞き、支川赤谷川に入り、相俣ダム、三国国道を見て水上泊り、翌日は利根川本流をさかのぼって、藤原ダム、東京電力須田貝ダム、調査中の矢木沢ダム地点まで参り、さらに支流片品川の薗原ダム及び柿の平砂防実験場を見、公団の伊香保道路を経て伊香保に入りました。翌八月一日は、赤城山系、渡良瀬川水系の砂防事業を見て、足尾砂防堰堤から引き返し、渡良瀬川上流改修工事、特に足利市岩井山付近を視察、本流の昭和橋を経て古河に入りました。翌二日は、渡良瀬遊水池から本川上流改修工事の北河辺引堤個所、関宿分流点、利根運河、龍ケ崎、布川、印旛水門を経て牛堀に入り、翌三日常陸川逆水門、河口の波崎、銚子を経て帰京いたしました。
 利根川は御承知の通り本邦第一の大河であります。源を群馬県利根郡水上町の丹後山に発し、群馬県内において支川、片品川、赤谷川、吾妻川、烏神流川を、栗橋にて渡良瀬川を合せ、関宿において江戸川を分流し、さらに鬼怒川、小貝川のほか、手賀沼、印旛沼、霞ケ浦、北浦の水を集めて、銚子から鹿島灘に注いでいます。その幹川流路延長は三百三十二キロ、総延長四千四百二キロ、流域面積一万五千四百四十三平方キロに及び、流域面積は本邦第一、流路延長は信濃川、石狩川に次いで第三位であります。
 利根川の河道は、山間部を流れる間は流路の変遷はないのでありますが、平地を流れる部分は、古来自然にあるいは人工によってしばしば変流しています。古くは、利根川は今の本庄あたりから下流は幾条かに分れて東京湾に注いでいたのでありますが、変流のおもなものは、長禄年間太田道潅が江戸城を築くに当りその一部を浚渫して幹川としたこと、また元和七年新川を開さくして現在の鬼怒川筋に分流し、次第にこれを広げてついにこれを本流としたこと等で、現在のように銚子において太平洋に注ぐことになったのであります。
 利根川の過去の洪水を見ますと、多数の記録がありますが、明治以前最も有名なのは天明六年のもので、現在の栗橋下流の権現堂堤が破堤し、はんらんした水は江戸に及び、本所、深川、千住一帯はもとより牛込、小石川の低地まで浸し、明治以前最大の惨害であったといわれています。明治時代には四十三年のものが最大であって、山王堂、中之条、権現堂等の堤防が欠壊し、はんらん区域は十八万町歩に達しています。昭和に入ってからは昭和十年、十三年、十六年、二十二年が最も大きく、昭和十年の洪水は過去の記録を越え、また昭和二十二年のカスリン台風は未曾有の豪雨をもたらし、栗橋上流北埼玉郡東村の破堤により、洪水は東京都の市街地に浸入する大災害となっています。
 利根川本川の改修計画を見ますと、明治三十三年度より着手され、計画洪水量は烏川合流点より江戸川分流点に至る間を三千七百五十立方メートル毎秒としていましたが、明治四十三年の出水に遭遇し、計画洪水量を五千五百七十立方メートル毎秒と改め、昭和五年にその竣工を見ています。しかし昭和十年、十三年の大出水に際会し、昭和十四年に増補計画が立案され、八斗島における計画洪水量を一万立方メートル毎秒として工事を進めたのであります。しかしまた昭和二十二年カスリン台風により治水計画の再検討が必要となり、治水調査会で審議の結果、昭和二十四年改訂改修計画が立案され、計画洪水量一万七千立方メートル毎秒とされ現在に至っております。この改訂改修計画は国土総合開発法に基く利根特定地域の事業計画において、昭和三十二年五月閣議決定を見ていますが、この計画は計画洪水量一万七千立方メートル毎秒のうち三千立方メートル毎秒を上流ダム群により洪水調節し、八斗島における計画洪水量を一万四千立方メートル毎秒と定めるもので、以下河道の流量配分はお手元の図面2の通りであります。この図で渡良瀬川、鬼怒川、小貝川の各支川流量は遊水池によって本川流量に影響を及ぼさない計画であり、栗橋で一万四千立方メートル毎秒の計画洪水量は江戸川及び利根運河で五千五百立方メートル毎秒分流し、さらに下流部で利根川放水路の開さくにより三千立方メートル毎秒を分流、下流部河口までを五千五百立方メートル毎秒と定めています。
 次に利水について見ますと、現在江戸川を含む利根川本川筋における各種用水の使用水量は、年総流量百三十億立方メートルのうち一二%に相当する十六億立方メートルが使用され、渇水時には干塩害を生ずるのが恒例であり、昭和三十一年五、六月の大旱魃における水不足量は一億五千万M方メートルと推定されております。また利根川を水源とする各種用水の新規需要は、農業用水において利根特定地域開発計画で確定しているもののほか、群馬用水、埼玉仲仙道用水等三十四立方メートル毎秒、上水道用水において昭和四十五年度を目途として東京都及び千葉方面で十八立方メートル毎秒、工業用水としては京葉工業地帯造成計画により、昭和四十五年度までに千五百万坪の埋め立てによるもの十立方メートル毎秒等、計約六十二立方メートル毎秒が予想され、このため表(3)の通り、薗原、矢木沢に次いで下久保、神戸のダムを計画しており、幹線水路の建設及び管理のため公団のようなものも考えているようであります。
 以下、上流砂防事業、ダム、下流改修工事、利水事業に大別して問題点を拾ってみます。
 まず砂防事業について見ますと、利根水系、渡良瀬水系あるいは赤城山系等において砂防堰堤が見事に土砂を扞止し、十分に効果を発揮しているのを見るのでありますが、まだまだ計画に比べて竣工しているものが少く、予算増大の必要を痛切に感じるものであります。また藤原ダム等ダム貯水池の沿岸等に多くの土砂流出が見られるのでありますが、これらはダムの効果、寿命のためにもぜひとも林野砂防の実施を要請しなければならないと思われます。また足尾地区は鉱害で金山はげ山となり、明治三十四年田中正造による直訴事件まで起した鉱毒地区でありますが、煙害は昭和三十一年以後は施設により非常に減少しており、最近は植生板によりわずかに草が見られるようになっています。ただ鉱津の処理等については河川管理者の立場からなお厳重に取り締るとともに、渡良瀬上流にはどうしても大規模な砂防事業を必要とすることが痛感されるのであります。
 次にダムについて見ますと、計画は上流ダム群により八斗島において三千立方メートル毎秒調節しなければならないのでありますが、現在竣工しているものは藤原、相俣の両ダムであり、その調節はわずかに七百五十立方メートル毎秒で二五%に過ぎません。着工した薗原、矢木沢両ダムあるいは計画中の下久保ダムを加えても二千五百五十立方メートル毎秒の調節にしかならず、三千立方メートル毎秒の八五%に過ぎません。改訂改修計画に対して計画地点もないということではまことに心細い次第であります。従って沼田下流の岩本地点あるいは吾妻川にどうしてもダムを考えねばならなくなって参ります。建設省は岩本に高さ八十五メートル、有効貯水量一億四千万立方メートル程度のものを考え、産業計画会議の勧告にあるごとき、高さ百二十五メートル、有効貯水量八億立方メートルのダムは不必要と見ているようでありますが、後述の利根川放水路と関連して、後ほどこの勧告に対する政府の態度を承わりたいと思っています。また吾妻川方面にもダムサイトがぜひほしいところであり、八ツ場ダム案もあったのでありますが、この方面は草津温泉等による有名な硫酸酸性の水質でありぺーハーも一・八という激しいものであります。酸性水質はコンクリートを浸蝕し、また水田農業を不可能にしているので、群馬県では石灰石の投入による毒水の中和を考え、一日七十トンの投石により年間六千五百万円程度を要しますが、これが国による直轄管理を希望しています。これは全国でも珍しい例であり、水質の改良は河川法にも明瞭に示されていませんが、同法の四条、六条、八条、二十六条等で拡張解釈できるものか、政府の御意見を聞きたいと思っています。薗原ダムでは水没九十一町歩、六十五世帯の移転があり、目下水没対策委員会ができこれと協議していますが、委員会では明治初年には私有地であった現在の国有林の払い下げを願い、さらに水没者のために新しい村作りを要求しています。中部電力井川ダムの村作りの例があり、井川ダムの事業費、補償物件等と比較すると、薗原は大体二割ないし三割程度のものと思われますが、補償方法が金銭補償から漸次現物補償にかわる趨勢にある今日、国としてもこれに応ずるだけの能力、誠意を示さねばならないと思います。
 次に矢木沢、須田貝、藤原の各ダムのごとく、階段状にダムが並んだ場合でありますが、この場合東電の毎日貝ダムに対しては、水利権の認可条件等において洪水調節干害放流の事項がないようでありますが、この点に疑問を抱くものであります。
 次に下流改修工事についてみますと、渡良瀬川上流足利市岩井山の湾曲部は昭和二十二年カスリン台風の際、左岸堤が破堤し一挙に百八十名の生命を奪ったのでありますが、河川敷の拡幅計画がようやく昨年から予算化しています。その用地問題については、地元では区画整理を併用して実施したい模様であり、このことはまことにけっこうでありますが、補償計画が長年にわたっているので、補償費の支出はぜひとも単年度に支出すべきであり、またそのためにも土地収用法を適用するよう進言して参りました。
 次に利根川下流布川の狭窄部及び小貝川合流点の問題は、瀬割堤で計画されたが地元の反対で実施できず、放置されている状態であります。このため逆流による小貝川の堤防漏水の問題も出て参りましたので、早急に解決を望む次第であります。
 改修工事は早く効果を上げるため、計画断面を一度に完成することなく、暫定断面をもって全川を施行し、順次完成していくのが多いようでありますが、江戸川なども五千立方メートル毎秒の計画を一応四千立方メートル毎秒で実施しております。従って、下流の工事ができ上っていないので関宿の流頭部の洪水量を制限しているようであります。こういうことでありますから、本川下流において計画洪水量三千立方メートル毎秒を分担する利根川放水路は、早急に調査し早期に着工しなければならないわけでありますが、表(4)の三十五年度以降の予算にも全然顔を出していないような状態でありますし、この大工事はほとんど不可能ではないかと考えられてくるのであります。ここで先ほどの産業計画会議の沼田ダム案が三千立方メートル毎秒の洪水調節ができることを考えれば、再考の必要があるのではないかと思うのであります。なるほど、産業計画会議案は揚水発電により東京のピーク電力百万キロワットを生む電力に主力がおかれていることはたしかであり、また水没家屋二千二百戸、道路、鉄道のつけかえ、水没代替地としての赤城山麓の水田開拓等、関連補償工事が莫大で総事業費千六百三十億円を要する大事業ではありますが、治水と農業、水道、工業用水即発の総合性等、水の有効利用を考え、また利根川放水路も前途困難にして百年河清を待つ感がいたしますので、この際勧告に対する政府側の見解をお聞きしたいと思うわけであります。
 次に利水事業として農林省印旛沼、手賀沼干拓事業の印旛排水機場を見ました。工事はほとんど竣工いたしておりましたが、この排水機の洪水時における排水規程は建設、農林両省の間で夫決定でありますので早急に解決すべきものと存じます。
 このほか、三国国道の予算増大、昭和橋、三国橋の促進、五霞村における引堤前の堤防補強、群馬、栃木、茨城、千葉県当局の陳情等、種々御要求がありましたが、あまり長くなりますので後ほど政府側にお尋ねいたしますとともに、詳細は持ち帰りました資料によってごらんいただくことといたします。
 以上で第一班の報告を終ります。

発言情報

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発言者: 田中一

speaker_id: 27021

日付: 1959-09-25

院: 参議院

会議名: 建設委員会