岸信介の発言 (日米安全保障条約等特別委員会)
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○国務大臣(岸信介君) 過去におきまして数回、野党の集団的暴力のもとに議事が連行できず、いわゆる国会が不正常な状態に陥ったことがございます。そのたびごとに党首の会談が行なわれ、将来に対してこういうことを繰り返さないように話し合いをし、申し合わせをしてきたことも御承知の通りであります。私は、それぞれ与党といわず野党といわず、責任ある政党として、国会の正常化について、適当な時機において、話し合いによってこれを正常化するという努力をすべきことは当然であると思っております。しかし、過去の経験にかんがみましても、今、青木委員の御指摘のように、一切の暴力というものを国会内から排除するということが確保されない限り、真の国会の正常化というものはできないと思う。私、どういう意味においても、暴力というものは、言論の府である国会、国政を審議すべき国会において、いかなる形においても、いかなる意味においても、これを根絶し、そういうものを一切排除するという基本が成立しない限りにおいては、将来においてもまた繰り返すところのおそれがあると心います。もちろん民主政治の運営にあたりましては、よくいわれることでありますが、お互いに寛容の精神を持つということが必要であるということがいわれております。私は、国会は言論の府であり、国政審議の場であるが、同時に話し合いの場でもなければならぬと思います。決してからだを張って相争うところの場であってはならぬ。こういう意味において、われわれとしても、寛容の精神でもって事に当たるところの考え方を持つことが必要であることはもちろんであります。しかし、暴力を否定する、暴力をなくするという場合において、この暴力は絶対に悪いが、同時にこれの反対が云々というふうに、暴力と並べて、多数党の横暴であるとか、あるいは多数党の議事の強行された姿が云々という議論をされることは、私は先ほど来申すように、根本的にその本質的な違いをここではっきり国民も認識しなければいかぬと思います。過去においてわれわれは、議会政治にも関連がありますが、あるいは五・一五とか二・二六とかいうような、われわれとしては不幸な、遺憾な事態があったのでありますが、そういう場合においても、ややともすると、暴力は否認するけれども、その動機においては問情すべきことがあるとか、あるいは、それを誘発したことは云々というふうにして、暴力を排除するということに対するはっきりした認識がないために、日本が過去において異常な困難に陥ったということも考えてみますと、将来の真に正常な国会の審議権を樹立するためには暴力はいかなるものも言論の府から切無条件にいけないのだという、こういう考え方を確立する必要があると、かように思います。