佐多忠隆の発言 (予算委員会)
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○佐多忠隆君 今御説明がありましたように、昭和二十七年に日米安全保障条約を作って、警察予備隊を、本来の意味における軍事力に転化をし始め、昭和二十九年に相互防衛援助協定を作るのと相前後して、今お話しの保安庁法、自衛隊法ができて、ここでいよいよ内外に向かって軍事力を発動する保安隊、自衛隊が設立をされた。これはまさに、日本とアメリカとの相互防衛援助協定ができたと時を同じゅういたしております。それから三十二年に、防衛力増強計画を国内においてきめると同時に、先ほどお話のあったように、岸・アイク共同声明なるものが発表をされて、日米新時代ができた。日米新時代の背景は、従って、あの第一次防衛力増強計画、それと全くうらはらなものであって、新時代とは、日本がアメリカとの共同防衛体制を、共同作戦体制を明らかにするスタートであったと思うのであります。従って、それに基づく安全保障条約に関する日米委員会は、先ほどもお話がありましたように、三十二年六月に出発をいたしておりますが、この三十二年八月十六日第一回の日米委員会をやって、それから三十三年の八月まで、一年間にわたって日米委員会を六回にわたってやっておる。その六回は、太平洋軍司令官、あるいは在日米軍司令官を中心にして、日本の外務大臣、防衛庁長官が、日米の軍事協力体制、日米の共同作戦体制をどのように進めるかということをもっぱら論議をいたしております。
そういうことが一年間にわたってなされた結果、先ほどお話のあったように、三十三年の十月から——第六回の日米委員会、これはまさに軍事委員会でありますが、この日米の軍事委員会、しかもその軍事委員会は、技術的な専門的なものというよりも、外務大臣と防衛庁長官、アメリカ側は太平洋軍司令官、在日米軍司令官、それとの間の軍事委員会、それが八月の二十七日に終わって、それを引き継いで直ちに安保条約の条約改定交渉に入っておる。
それらの経過を見れば明らかでありますが、今度の安保条約、新条約が、従来の旧条約をいよいよ本格的な日米の共同作戦行動の条約面を表現をする、こういう意図を持ち、こういう計画を持って、非常に計画的に組織的に進められたものであると私たちは判断をいたすのでありますが、かるがゆえに、私たちは、旧来の安保条約もそうであったが、特に今度の安保条約は軍事協定であり、しかも共同作戦協定、共同防衛協定、相互防衛協定にほかならない、軍事同盟にほかならない、軍事協定にほかならないと私たちが言うゆえんはそこにあるのでありますが、過去の数年間の歴史を一つ一つ現実的に見て参りますと、過去の事実からそういうふうに判断する以外にない。条約案文その他から見てもそうでありますが、過去の歴史的な事実も、まごうかたなくそれを実証をしている、こういうふうに思うのでありますが、外務大臣はどういうふうにお考えになりますか。