川俣清音の発言 (予算委員会第一分科会)
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○川俣分科員 そうすると、国会の予算というものは、各項目にあげておる予算というものは、規制があるのではなくして、全く運営は一本の予備費をもって国会に委託をするというような考え方でもあるようであるのですね、あなたの答弁の中には。もちろん、国会で議決をしたからには、これに国会みずから拘束を受けることは、これはもちろんです。いま四十一年度の予算審議、これからの予算のあり方ですから、これに拘束されなければならぬことは一つもないわけですね。国会で意思決定をするならば、それがみずから拘束を受けること、もちろんだと私は思うのです。それですら、拘束を受けないのが国会だということで、一般から見れば疑問ではないか、こういう点が私が指摘しておる質疑の焦点になっておる。事務総長でも、一体予算に拘束されるという考え方で事務総長が国会の執行をしておるのか、国会というものは拘束を受けない、審議の本質上受けないのだという考え方なのか、事務当局も私はこの辺明確じゃないと思うのです。議長は一切の権限があるということで、最高の権限を持っておるというようなことで、零時一分の開会なんて、こんなことはどこにも予想されていませんよ。予定もされていませんよ。それを許すような予算でもない。権限者がやることだからやむを得ないということで、大蔵省はこれを見のがすと申しますか、黙認をするというたてまえをとるのか、やはり国会みずからが議決をしたことであるからそれに拘束を受けてやるべきだとお考えになるのか、これは私は今後の国会の運営上非常に重要な点だと思うのです。何でもできるのだということになると、この予算なんというものは無意味なんです。一本の予算でいいのです。何でもできるのだという考え方であるならば、こんな詳細な予算を審議する必要はない。国会は一本の予算でいいということになるじゃないでしょうか。この点いかがですか。