林田正治の発言 (本会議)
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○林田正治君 本日ここに、諸君のお許しを得まして、議員一同を代表し、つつしんで本院議員大野木秀次郎君の追悼のことばを申し述べたいと存じます。
大野木君は、去る三月四日、京都府立医科大学附属病院において、こつえんとして逝去せられました。この訃報に接し、私どもは、ただただ限りない悲しみに打たれたのでございます。
同君は、明治二十八年十一月、京都市東山区山科に生まれ、立命館大学に学び、戦前戦後を通じ、政治家として、また、実業界、教育界、宗教界にあって、縦横の御活躍をなされました。そのすぐれた人格識見は、ともに世人に深く敬慕せられ、また、多大なる事績を残されました。
政界にあっては、貴族院議員に列し、昭和二十二年四月、第一回参議院議員通常選挙において京都地方区から当選せられ、以来引き続き四回に及び、政党人として、わが国民主政治確立のため尽瘁せられたのであります。その間、あるいは自由党常任総務、参議院自由党議員会長として、あるいは自由党及び自由民主党顧問として、また、十五期の長きに及び同党京都府支部連合会会長、名誉会長等、党の数々の要職につかれました。
吉田内閣長老の一人として、君は、吉田内閣第三次、第四次、第五次の国務大臣として入閣せられ、国政の枢機に参画せられたのであります。その間、昭和二十六年九月サンフランシスコ講和会議の全権委員代理として出席し、また、第一次日米安全保障条約調印に立ち会いまする等、わが国戦後の国交回復に尽力せられたのであります。
同君は、また、実業界にあって、京都商工クラブ会長、株式会社大野木製作所、洛東産業株式会社、和信産業株式会社のそれぞれ社長として活躍せられまするとともに、京都外国語大学理事長、立命館大学、京都薬科大学のそれぞれ理事として教育界に重きをなし、さらに、宗教界にあっては、鞍馬寺、泉涌寺、妙心寺、知恩院の各総代の要職にあって、広く各界に縦横の御活躍をなされたのであります。
同君は、その円熟せる人柄に加え、豊かなるところの御経験と広い視野のもとに立って、政界をはじめ、各界の重きをなしていたのでありますが、いま、こつえんとして幽明境を異にいたしましたることは、返す返すも痛恨のきわみであります。このことは、ひとり本院の損失にとどまらず、国家の損失と申さなければなりません。
ここに、いささか同君の事績をしのび、その人となりを追慕いたしまして、つつしんで同君の霊に対し哀悼の誠をささげ、追悼のことばといたします。(拍手)
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