受田新吉の発言 (文教委員会)
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○受田委員 世間でいう語感の上からは、あなたは労働者とはいえない。しかし、あなた御自身は労働者であるという広い意味で自覚しておられる。まことに適当なことばに見えますけれども、労働者というこのことを極度にきらう概念、考えが特に自民党の方々の中に非常に流布されて、労働者というものは筋肉労働者のような意味で、労働を提供する者は一般的に下層的なものだという考え方でこれを見ようとするというか、まだ封建的なものがどこかに残っておるのではないか。それが災いをして、教師を労働者であるということをできるだけ押えるという方向にあるんじゃないか。労働を提供する上においては、精神労働も肉体労働もあるわけでございまするから、労働は神聖なりという古言もあるわけで、この意味においては、私としては、労働を精神的に肉体的に提供する者を非常に崇高な人生を送る人であると考ええております。そこで教師の労働者という面を取り上げると、文部大臣は極度におきらいになられる。そこできれいなお仕事という意味、それをお取り上げになって聖職と指摘されている。この点も私わからないわけではありません。そうした人間を育成する大事な仕事を持っているという点においては非常に清い仕事、人間練成という意味では、私自身も、大臣がそういう方向の職務を持っている労働者であるという考えを持っていることに、その点では共鳴をします。
福沢諭吉先生がこういう教えを子孫に残しております。世の中で最もとうとい事業というものは人間をつくる事業である。その人がこの世を去るときに人間をつくって去ることが最もとうといものである。その次は事業である。最もまずい考えを持たれる者は金を残す者である、こう教えています。金をつくることに狂奔する人間は、われわれとしてもさみしさを感じまするし、そこからいろいろの欠陥が出てくる。教育者は、福沢諭吉先生の教えた、最も世の中でとうといものは人間を残すことであるという意味においては、私はとうとい職務であると考えております。清いということばを、非常にとうとい人間育成という職務を持った労働者である、かように私は定義したいと思うのですが、大臣いかがお考えでしょうか。