片山正英の発言 (決算委員会)

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○政府委員(片山正英君) 御指摘の屋島ドライブウェイ株式会社に対しまして貸付をいたしておりますが、一つは、農耕用としての御指摘のとおりの貸付、一つは、道路敷としての貸付がございます。道路敷のほうにつきましては、自然公園法に基づきまして許可を受けた、そのことに対する貸付でございます。それからもう一つは、御指摘の農耕用地に対してなぜ観光業者に貸しておるか、こういう御指摘でございます。それに対しましては、若干経過を述べさしていただきたいと思います。
 御承知のように、昭和二十二年、いわゆる食糧の非常に不足しておる時代に緊急開拓事業実施要領というものをつくりまして、地元の屋島の農業会の会員の方々に開墾耕作用ということで貸し付けたのが始まりでございます。その後、昭和二十六年あるいは二十六、七年になりますと、食糧の需給状況あるいは食糧事情が比較的緩和された段階になりまして、そこでつくっております農作物等につきまして、必ずしもそういう形が適当でないというようなことから、県と、あるいは専門家によりまするその土地の利用というものが考えられたわけでございます。食糧事情の関係につきましては成り立たないというようなことから放棄していくというような諸情勢の中で検討が加えられたわけでございまして、その際に、いわゆる特産物としてのオリーブ——これは自然公園の中でございますから、風致との関係から、そういうものを育成したらどうかということになりまして、昭和二十八年に特産物の生産ということで、オリーブ植樹敷として貸し付けるに至ったわけでございます。しかしながら、オリーブとして貸し付けた段階におきましては、非常に良好に見通しておったわけでございますが、オリーブの需要がなくなりまして、三十二年からまたオリーブの生産も放棄していくというような事態になったわけでございます。御参考までに、二十二年から二十八年までに、二十二年のときに四十二ベタタール貸しておったわけでございますが、だんだん放棄いたしまして、二十八年のときには三十四ヘクタールに減ったわけでございます。七・七ヘクタールほど放棄していったわけであります。さらに三十四年になりますと、それがさらに三十一ヘクタールに減少いたしました。三ヘクタール余をまた放棄していった、こういう諸情勢が中にあったわけでございます。たまたまそのときに——昭和三十四年になりますが、屋島ドライブウェイ株式会社が公園事業として、先ほど申しましたドライブウェーの開設の認可を受けたわけでございます。その際に——翌々三十六年でございますが——際に、先ほど申しましたオリーブの敷地を放棄していっておるというような諸情勢の中で、その一部の人が、いわゆる共同借り受け人の一人が会社との話によりまして——共同借り受け人の同意のもとに会社がそのオリーブをつくるということに変わったわけでございます。そのようなことで会社が現在オリーブのやつをやっておる。したがいまして、会社に譲り渡す当時におきましては非常に放置されたような植樹敷が多々あった、その一部を会社が借りたということでございますので、これは農地法の違反というふうにはわれわれは解釈をしておらない次第でございます。

発言情報

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発言者: 片山正英

speaker_id: 25719

日付: 1968-05-10

院: 参議院

会議名: 決算委員会