杉原一雄の発言 (公害対策特別委員会)
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○杉原一雄君 まあ繰り返すようでありますが、公害国会と言われるわけでございますから、本来ならば、いま橋本政務次官が言われたことばないし意欲ある発言を、できれば法律そのものに、みずからお認めになっているわけですから、本来ならば救済法そのものを同時に改正して、前向きの姿勢で今国会で討論されれば、私はいま申し上げたような千名を下らない公害患者にも大きな希望を与えるのじゃなかったかと思います。でありますから、いま答弁なさった範囲において、健康から、健康のみならず生活の保障その他に領域を広める方法を明示されたわけですから、最善の努力を行政の中で大いに御奮闘いただきたいということを希望いたします。
同時に、橋本政務次官も御多忙ですから、どうか知りませんけれども、けさの朝日が川崎の実態を調査しております。二百五十三人の公害病患者をずっと歴訪してまいりまして、その実態のあまりにもひどいのに驚いてしまった。しかも認定患者は八割が生活難だというようなトータルが出てまいりました。私驚きません。私の場合も、県のイタイイタイ病の場合も農業をしている人がかなりありますから、ある程度飯米にも困る、あす食うにも困るというような実態は出てまいりませんけれども、やはり周辺の都市部の人たちの生活と比較して、かなり見劣りする苦しい生活実態であることは重々承知いたしておりますので、朝日のけさのデータには、私はそう大きなショックは受けておりませんけれども、ただ、この中で見のがしがたいことは、たとえば公害病認定患者でおります「木村正男さん。四十歳。妻と、中学生をかしらに三人の子をかかえる。去年夏、肺炎から、瞬間的に息が詰る気管支ぜんそくに襲われた。「顔が紫色になって、このまま死んでしまうのかと思った」と、妻のヒロさん。
猛烈な発作が四日間続いた。一滴の水、一粒のコメもノドを通らない。十一月末に勤め先の運送会社から手紙が来た。「勤続二年未満の方は、休職が二カ月続くと、社則により自動的に退社となります。」
アワをくって無断退院した。医者が「あと二、三カ月は……」といっていたのに。ことし四月にまた発作、再入院。今度は一カ月たらずで退院したが、四月末に健保の休業補償を請求したところ、「二月まで六カ月間の支給で補償期間は切れました」と一片の通知。五万円ほどの月給の六割補償もダメになった。ヒロさんは「生れて初めて質屋のノレンをくぐった」という。」こう訴えたそうであります。
この朝日の調査の結果について、私はやはりたいへんなことになりつつある。これにも増して水俣病等の問題はいろいろお伺いしておりますが、私はやはり健康管理、健康回復の問題、治療の問題、かねて、そのうちの生活、収入の大黒柱が倒れる場合がきわめて多い。こういう点でやはりいま橋本政務次官がおっしゃった生活保障、生活か守るという観点に行政の今後の力点、なかんずく今度の予算編成の中で最大の努力をしていただくことを先ほど御答弁をいただきましたが、そのことをいま一度私自身胸に確認をしながら進みたいと思うのであります。
そこで、次に、同じ小松さんを代表とする私のところの九十八名の公害病患者、とりわけ五百六名の人たちが三井金属を向こうに回して七億百三十九万円の賠償を要求して、裁判闘争を始めております。二年八カ月も経過いたしました。先般も連合審査会で御報告したように、去る二十一日の地方裁判所におきまして、岡村裁判長が鑑定申請を却下し、事実上の結審を私たちは期待もし、結果もあらわれて、凱歌をあげたわけであります。ところが、その後、被告側は直ちに岡村裁判長外二名の裁判官忌避の挙に出たわけであります。私は弁護士の経験はありませんからわかりませんけれども、これがやがて高裁にまで忌避が上がり、最高裁に上がってくるとなれば、ほぼ数カ月は裁判がストップするおそれがきわめて大きい。そういう形の中でいま九十八名の公害病患者はもとより、たくさんの人が公害病にかかり、イタイイタイ病にかかって死んでいきました。そうした遺族等に対するいわゆる回答と申しますか、補償といいますか、国家がめんどうを見るということにつきましては、いま政府側の答弁をそのまま利用すれば、現在の法律上、法体系のたてまえ上は、それはしかたございませんと、こういうことにおそらくなるようにも思います。で、ここで裁判の連続をやろうと思わないし、皆さんから判決をいただこうとは思いません。ただ、こうした事件の中から、やはり根本に、国会の各法案を審議するにあたって非常に学ぶべきものがあると思うんです。後ほど田子の浦のヘドロの問題についてもその点に焦点を合わせて申し上げますが、やはり資本というものは、企業家というものは一筋や二筋の縄じゃいかぬな、ということですね。こういうことをこの際痛感するわけであります。
この問題に限って一応終止符を打ちますが、ただ、ここで、先ほど橋本政務次官がおっしゃった健康から生活保障へ、この方面への行政の努力、そうして、これはさかのぼることはおそらく不可能だと思いますが、裁判でいま論議されている遺家族の問題等、これは法の適用外になるおそれがきわめて大きい。でありますが、こういった問題につきまして、実情を十分お調べいただいて、公害という近代的な高度成長の結果から生まれたそうした問題、そうした問題に対処する。いわゆる被害者の側に対するところの力強い、あたたかい力添えをぜひともいただきたいということを、特に訴えておきたいと思います。小松みよさんをめぐる問題ということで、私の質問をその問題に限って、一応終止符を打っておきたいと思います。
次に、三番目の問題として、通産省を中心として公害行政についての質問を続けていきたいと思います。これは、すでに公害対策特別委員会で、私再三実情を訴えて、また通産省などの反応を見、今日まで進んできたのでありますから、新しい問題ではありません。ただ、一つの問題をずっと、私はわが県にあるできごとですから追跡をいたしております。そういう意味で、問題をもう一度追及をしていきたいと思います。
第一点は、五月の十八日、地方紙が暴露することによって、今回公害国会開催の一つの動機になったんじゃないかと思われる日本鉱業三日市製錬所の問題であります。八月二十七日、通産省が、それこそ蛮勇をふるって鉱山保安法の適用をされたわけであります。そこで、八月二十七日の時点で、保安法適用前の状況と、それから八月二十七日以後の今日までの状況と、つまり企業が公害防止、または地元の人たちに対する補償その他の問題について、どのような努力を続けているか、このことをここで発表していただくことで、今後の、この種の公害対策に対するわれわれの取り組みのめどが確立されるのではないか。連合審査委員会では、私は通産省の努力に敬意を表したいという表現を実はとりました。それは七月九日の公害対策特別委員会において、宮澤通産大臣との間に取りきめた鉱山保安法適用の約束であります。それは具体的に、八月二十七日に実行された、この意味においては、私は敬意を表したのでありますが、相前後する行政指導、工場の努力等については、まだまだ問題を持っているように思われますので、通産当局はこれをどのようにつかんでいるか。はしょって申し上げますれば、八月二十七日、鉱山保安法適用、昭和二十九年から会社が建っておりますが、そんな古いことはお聞きしませんが、その前とあとの、この工場の、企業の努力、あるいは地域への働きかけ等について掌握しておいでになることがありましたら御披露をいただきたい、このように思います。