村田敬次郎の発言 (建設委員会)

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○村田委員 新首都建設につきましては、実はいままでもいろんな説が出ております。首都の建設についてのまず方法論と申しますか、その大きな区分をいたしますと、第一に遷都論、これは都を移すという考え方でございます。それから第二に都を展開する展都論または分都論、それから第三番目に、東京都の過大化を救うという意味で東京改造論という、大体三つの類型に分けて考えることができると私は思います。
 遷都論につきましては、すでに数年前でありますけれども、日本道路協会の専務理事をしておられた近藤兼三郎氏の浜松遷都論、それから愛知学芸大学教授の伊藤郷平氏の浜名湖遷都論などがございます。この提案の趣旨は、東京の現状を打開するためには徹底的な改造か新首都の建設のいずれしかないけれども、大改造には巨費を要するので、新首都を建設することが必要である、こういうことから出発をしておるわけであります。
 それから展都論につきましては、首都東京の機能を、現在の東京都の区域を越えて広域的に展開することによって東京都の過密化の現状を打開しよう、こういった意図でございまして、提案としては、当時東京都立大学の磯村英一教授の富士山ろく展都論、それから石原憲治氏、磯村英一氏、高山英華氏及び横山光雄氏の四人委員会による富士圏開発の構想がございました。また類似の構想として清水馨八郎教授の分都、京葉中央道建設論等がございます。展都論というのは遷都論ほど思い切った考え方ではございませんので、展開させる機能としては、最高の権能を持つものを選ぶことが必要であって、皇居、国会、最高裁判所、総理府の一部がまず選ばれ、次いで中央官庁、大学等が選ばれる、こういうことになるわけでございます。そういった場合の移転の可能地としては、たとえば土地取得の容易さであるとかあるいは高速道路計画であるとか新首都の防災等の見地から、富士山ろくに求めるのが適当であるという議論が多かったわけです。
 それから東京改造論は、首都そのものを移転するのではなくて、東京を改造していこうという考え方でございます。したがって、現在首都東京の持つ総合的な都市機能を分解分散させることなく、東京湾上に積極的に開発、展開させて、東京の構造改革を行なおうとするものであります。提案としては、東京湾の埋め立てを骨子とする故加納久朗氏及び産業計画会議の「ネオ東京プラン」、それから東京湾海上都市の建設を骨子とする東京大学の丹下健三教授の「東京計画一九六〇‐その構造改革の提案」等があったわけです。
 その後、この案が出ましたころに、先ほど大臣も紹介されました河野構想というものが発表されたわけであります。この河野構想が発表されましたのは昭和三十九年の六月十六日、これは閣議がその日に行なわれたわけでありますが、その日に例の新潟大地震がございまして、私は当時愛知県におったわけでございますが、この新首都建設の構想というものは私は非常に注目を持って読みました。そうして、河野大臣が新首都建設構想を発表いたしましたときに、いま大臣がおっしゃいました第一期計画、第二期計画、それから将来計画というものが発表され、そうしてそれに伴って、第一期計画では当初六年の二十八平方キロ、第二期計画ではその後二十年の四十三平方キロ、将来計画では人口百万人の七十六平方キロというものが河野大臣の口から発表されたわけであります。そうして、ただいま承りますと、大臣はさらに、その当時一兆二千八百五十五億円という第二期計画の数値が河野大臣の口から出たのでございますけれども、現在であれば二兆円程度の構想は少なくとも必要であろう。また、その構想に従って、あるいは委員会であるとかそれから学識経験者であるとか、そういった人々にも相談をしてよく研究をしていかなければならないということを、非常に前向きに発言されたと理解いたします。
 また、最近の考え方として御紹介をしたいのは、早稲田大学の二十一世紀の日本研究会が発表いたしました「二十一世紀の日本」の中の「国土と国民生活の未来像の設計」であります。これは代表者は松井達夫さんでありますが、その中で有名な北上京の建設ということを言っております。日本列島の座軸が二十一世紀に向けて大きく転換しつつあることは間違いのないところである。その意味で、新天地に新しい首都を建設することが必要だ。首都が東京であることの役割りは現在すでに終わったと見ることができる。政治と経済の癒着、それにからまる巨大都市集積は、東京を日常的なパニック状況にまで追い詰めている。いまでは東京に政治中心があるということそれ自体が諸悪のもとであると申しております。そしてさらに、その場合に、それでは一体どこに新首都を持っていくかということについて、注目すべき発言だと私は思うのでありますが、新首都の立地は過密地域をはずれたところ、東海道メガロポリスをはずれたところ、現在過疎地域とみなされているところが望ましい。過疎、過密問題には政府みずからが決着をつけるべきであるということで、北上京を言っておるわけでございますが、この北上京の提案については、そのリーダーである早稲田大学教授の古阪隆正氏の提案がございます。東海道、瀬戸内海に充血し過ぎている日本列島をひっくり返して、貧血状態の裏日本、東北、北海道へ血を流す。新首都は、新しい中心地、価値の転換を伴ってダイナミックに動いている日本の未来にいま少し暗示的なところ、感じでいえば実中心より虚中心といった場所、そこでさがし求めたのが盛岡市の北東約二十キロの北上山系の丘陵地、北京、ワシントンと同じ北緯四十度近くにあるということを指摘しております。
 この早稲田大学のプランあるいはただいま御紹介申し上げましたような遷都論、展都論、東京改造論について、大臣の率直な御意見を承りたいと存じます。

発言情報

speech_id: 107104149X00319730228_004

発言者: 村田敬次郎

speaker_id: 6860

日付: 1973-02-28

院: 衆議院

会議名: 建設委員会