村田敬次郎の発言 (建設委員会)

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○村田委員 ぜひひとつ来年度以降大規模に予算をとる方向で検討を進めていただきたいと思います。
 さて、小林局長の御説明の中に、諸外国における実例の調査ということを言っておられたのでありますが、これはたとえば、トルコ共和国の成立に伴って首都がイスタンブールからアンカラに移されたという例があります。それから有名な、ブラジルではリオデジャネイロから内陸のブラジリアに首都を移した。実はこれは旧首都から北に九百四十キロメートルという非常な遠隔の地で、大体当初人口は十数万人を予想した。それから西ドイツのボン、これは一九四九年に決定をしたわけでありますが、ベルリン、ハンブルグ、ミュンヘンから四百キロないし五百キロという地でございまして、人口はやはり十数万人でございます。それからオーストラリアがキャンベラに一九〇九年に位置を決定いたしまして、一九一三年に事業を開始し、そして一九五八年には四万人の都市になりました。シドニーから二百五十キロ、メルボルンから四百五十キロという距離であります。それからワシントンDCは、御承知のようにニューヨークから三百五十キロ隔たっておりまして、人口は七十六万人、一七九〇年に位置を決定して一八〇〇年に移転を決定しております。
 この例から見ましても、首都というものは必ずしも経済的な中心地からすぐ近くになければいけないということはない。歴史的に見ますと、先ほどあげました早稲田大学の「二十一世紀の日本」におけるレポートでは、日本はまず耶馬台国といわれたころから、九州から始まりまして、飛鳥浄御原宮、藤原宮、平城宮あるいは難波大隅宮、平安宮、志賀大津宮といったところは大体十世紀までの首都でありまして、大体近畿地方を中心にしておった。それ以後政治の中心はだんだんと東遷をいたしまして、鎌倉に一一九二年、これは天皇がおったわけではありませんが、政治の中心は鎌倉でありました。それから江戸が一六〇二年、東京が一八六九年であります。したがって、二〇〇一年は先ほど言った北上宮に移すべきであるといった意見を述べておるわけでありますが、これは一つの例でございまして、サンケイ新聞の世論調査で見ますと、富士山のふもとが一四%、東北が六%、静岡県の浜松付近が一二%、東京から車で一、二時間というのが二四%、近畿地方が一四%、やはり東京というのが一五%、わからないが一〇%、その他が五%となっておるわけであります。したがって、首都の位置について、必ずしも経済的な中心から近い必要はないと思うわけでございますが、これらの外国の例、あるいは世論調査に見るように、現在の日本におけるいろいろな地域を想定しておる考え方について、大臣はいかがお考えになりますか。

発言情報

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発言者: 村田敬次郎

speaker_id: 6860

日付: 1973-02-28

院: 衆議院

会議名: 建設委員会