小林武の発言 (文教委員会)

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○小林武君 そこらあたりが、文部省と提案者と議論をしてもしようがないのですけれども、これはやっぱり教育問題をとらえる場合に初中局長さんはやっぱり役所育ちの方、提案者は現場育ちのいわば教員です、だから学校の中に入っていってぼくらが接した場合の見方と、それから文部省の見た場合との違いというのはだいぶ出てきていると、こう思うのです。私は、なじまないとかなじむとかというようなことは、これは教育の場においては、かけるべき金はかけ、教師にそれだけのよい授業のできるような環境を与え、それに相応する環境ですから設備その他等も十分にやってやるということになりますれば、なじまないということはないわけです。アメリカの流儀とか日本の流儀とかいいますけれども、これは多少国の違いによってあれができましても、学校の中における図書館の問題についてそんなに妙な違いが、アメリカではよくて日本ではだめだということはぼくはないと思うのです。ぼくは一番問題なのは、先ほど言った日本の国の学校図書館の中に専任百二十名しかいないということが問題だと思うのです。専任百二十人というのが、これがいまほんとうの数どのくらい正確度があるかといったらぼくはよくわかりませんけれども、大体そこらだと、皆さんおっしゃる。それでは、これはもう図書館教育というものはうまくいかないと思う。しかし、専任のところをぼくらは見た。専任のところへ行ってみたら、いまの文部省のお考えになっているようなぐあいではなくて、逆に定着していると思う。
 それからもう一つ、本を読む読まないという問題については、ぼくらもいまのような考え方一時持ったことがあって、見学に回ったりして、そういうことを聞いたことがある。漫画ばかり読んでさっぱり文字で書いた本のほうは読まないのじゃないかというようなことをいいましたけれども、これは図書館の中に示された——きょうはちょっと忘れてきたのですけれども、この数字をあげてみるというと、図書館における本の読み方、それからたとえば高等学校であれば一年の生徒が読む本、二年になると二年の場合の違い、三年になってくるとどういうように変わっていくのかというような詳細なやはりデータも出ている、こういうのを見ますというと、私は何というか、教育環境を整備しないでやって独断的な一つの結論を出すというようなことは、図書館の教育の問題については言うべきではない。私はその意味では、ひとつ文教委員会に所属していらっしゃる方ばかりではなく、広く議員も、近くに相当ありますから、いいところも悪いところも、悪いところなんというとちょっとあれですけれども、相当われわれが見学をして勉強になるところがありますからごらんになればよくわかるとこう思うのです。その点はどうもぼくは、いささか議論じみてまいりましたけれども、問題がある。
 それからたとえば、いまの場合専任がその程度では、これはなかなか学校の先生も容易でないのです。中学なら二十四時間から二十七時間というのが大体受け持ち時間、小学校だというと週三十時間をこえるものさえあるという状況です。高校で二十時間ぐらいと、こういう。これだけのことをやって、そのほかにクラブ活動もあれば、いろいろなことをやって、そうして図書館のあれを持たされたら、この間われわれが聞いた先生の話でもなかなか容易じゃない、購入した図書の整理だけでもこれはえらいことだと、そういうことを聞いているわけでありますから、この点はひとつ、やはりまずなじまないとか何とかという考え方でなくて、私は条件を整えるということにまず重点を置かなければならぬ。人の条件、この図書館についてのさまざまな設備の条件というものに重点を置いて、私はやはり学校教育の中に法律の第一条に書いてありますように、欠くことのできないところの施設としての整備をやるべきである、こう考えています。

発言情報

speech_id: 107215077X01719740530_015

発言者: 小林武

speaker_id: 30010

日付: 1974-05-30

院: 参議院

会議名: 文教委員会