黒川俊雄の発言 (社会労働委員会)
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○黒川参考人 慶應義塾大学の黒川です。
私は、一研究者の立場でこの最低賃金制の問題について私なりの意見を申し上げたいと思います。
いま問題になっております全国一律最低賃金制については、政府やあるいは経営者団体の中で、わが国においては賃金格差が余りにも大きいから実効性がないというふうなことがしばしば言われますけれども、正確に言うと、恐らくそういう立場からは、むしろ無理だ、実効性ではなくて無理だということが率直な考え方ではないかと思います。私は逆に、わが国のように賃金格差が大きく、そしてまた賃金分布を見ましたときに平均賃金あるいは中位の賃金水準を下回る低賃金層が非常に多いというふうな状況、これは皆さんのところにあるいは資料をお渡ししたと思いますが、西ドイツ、イギリス、アメリカなどもそうですが、それらの賃金分布と比較してみましたときに非常にはっきりいたします。欧米諸国の場合には、平均あるいは中位の賃金水準に近い賃金を受け取っている層が多い。ところがわが国の場合はそれを下回った賃金を受け取っている層が多い、格差も大きい、こういう特徴を示しております。このようなことは、ある意味では現在の開発途上国と似通った面があり、ただ違う点は、平均を上回る賃金層がわが国の場合にはかなり高いところの水準まであるということでありますが、こういう状況の中で、やはり現行の最低賃金法、先ほどから話が出ておりましたように、低い水準で、しかも幅のある、格差のある最低賃金が、地域別、業種別に決定されるというような現行最低賃金法の方が私は実効性がないのではないかというふうに考えます。
というのは、ある意味では、戦前からも比較してみますと、先ほど言ったような賃金分布状況というのはほとんど変わっていない。現行の最低賃金法が成立して、当初はもっぱら業者間協定方式がとられましたが、六八年以降十六条方式がもっぱらとられるようになっても依然として賃金分布はほとんど変わりがないというふうな状況にある。このことを考えてみますと、やはり実効性がないというふうに判断せざるを得ないのではないか。そういう意味で、やはりわが国においては全国一律の最定賃金制というものが必要であるというふうに考えるわけであります。
そういう点で、確かに世界各国を見渡してみますと、完全な意味の全国全産業一律の最低賃金制がとられているのはフランスだけであるというこどが言えますけれども、これもやはり成立の状況の中で、労使のいろいろな対抗関係で妥協の産物として各国の最低賃金制が成立しておりますので、現実においては全国全産業一律制が成立しにくいという状況があります。その中で特に先ほど申しました開発途上国、そういう意味では底辺の層がきわめて多い開発途上国であっても、たとえばメキシコなどにおいては戦前早くから最低賃金制が成立いたしましたけれども、その中でやはり全国一律制というものが必要であるという意見が出されてきている。
具体的に申しますと、一九三三年に最低賃金制がメキシコにおいてできておりますが、四一年には労働厚生省自身が、地域別あるいは業種別の格差のついた最低賃金制というのは効果がない、単一の最低賃金率というものを決定する必要があるというふうなことを申しておりますが、それとあわせて、ラテンアメリカの労働法の権威者でありますマリオ・デ・ラ・クェヴァ教授なども大体そのような意見、いわば全国一律の最低賃金制がなければメキシコの低賃金というのは克服できないということをはっきり申しております。
また、戦後いち早く最低賃金制を実施しましたインドにおきましても、第一次経済計画から第二次経済計画へ移る段階において、やはり第一次計画の中で基礎になっていた業種別、地域別の低い最低賃金というものがほとんど効果がなかったという反省の上に立って、ここに挙げましたインドのピライ教授は、生計費を基準にした全国一律的な最低賃金を基準にして産業構造を再編成していかなければならない、こういうような意見を吐くようになってきております。言うまでもなく、その場合に産業構造をそのままにしているというふうな前提ではなしに、やはり生計費を基準にした全国一律に基づいて構造を変えていく政策をとる必要があるというふうに主張しているわけで、あえてそのようなことを主張するのは、インドにおける低賃金労働というのは国家の名誉にしるされた汚点である、これは早急になくす必要がある、そういうような観点からこのような主張をするようになってきていたわけであります。しかし現実の政治は、インドにおいてもなかなか思うようにはいっていないようでありますが、そのような見解が出されてきているということはやはり注目しなければならないと思います。
しかし、こういったラテンアメリカ諸国あるいはインドのような国々でなくても、先進諸国においても言うまでもなく全国一律制というものが要求されていることは事実でありまして、先ほどのフランスのみならず、各国においてすでに業種別、地域別の最低賃金制が実施されているところにおいても、絶えず全国一律制というものが主張されてきておる。御存じのようにイギリスの場合には地域別、特に産業別の最低賃金になっておりますが、しかしイギリスにおいても、現在、産業別の審議会を廃止して全国的な最低賃金を設定していく必要があるんではないか、そうしなければ効果が上がらないというふうな意見が出ております。しかしながら、先ほど申しましたように、イギリスはわが国と比べたならばまだ中位水準の賃金を受け取っている層が最も多い。わが国のように中位以下あるいは平均以下の賃金を受け取っている層が多いわけではないのでありますけれども、しかしこのイギリスにおいても、全国一律制というものが要求されるようになってきている。こういう点で、やはりわが国においても全国全産業一律の最賃制というものが必要ではないかというふうに私は考える次第であります。
次に最低賃金額の決定の基準の問題であります。これについては、いままでの参考人の方々がそれぞれ述べられましたが、ここで特に私が指摘しておきたいと思いますのは、一九二八年でありますが、ILOの総会において最低賃金決定制度の実施に関する勧告案が上程されました。その席上、使用者側から、支払い能力を考慮するという修正案が提出されました。これについていろいろ議論の結果、支払い能力原則というものを打ち出すことは最低賃金制の実施そのものを妨げる結果になるということでこの修正案は否決されて、現実においてこの勧告案の中には支払い能力という言葉はありません。
そういうようなことを考えてみますと、その基礎にあるのは何かというと、しばしば常識的には支払い能力がないから低賃金である、こういう因果関係が主張されますが、実はそうではないのであって、低賃金で労働者が雇えるので、そのような低賃金労働者を雇っている中小零細企業を大企業が犠牲にしあるいは利用する結果、中小零細企業の支払い能力が少なくなっている、こういうふうな状況があるのではないか。この点特にわが国の場合には、ここであえて細かい数字は省略いたしますけれども、一人当たりの付加価値額の規模別格差というものをとってみますと、中小零細企業の付加価値額の格差は大企業に対してきわめて大きい。そして、そういう意味では賃金格差よりさらに大きいというふうな状況を示しております。これはしばしば生産性の違いがこの一人当たり付加価値額の格差にあらわれているのだと主張されておりますが、これはそうではないので、わが国の規模別の格差が欧米諸国よりも大きい、さらに一人当たり付加価値額の格差がさらに大きいというのは、やはり格差のある低賃金で働かされている労働者がいるというふうなことから、先ほど申しましたようにその中小零細企業がいろいろな形で利用されあるいは犠牲にされて、その結果付加価値額がきわめて少なく抑えられている、いわゆる支払い能力がないと言われるような状況を呈しておるのがこのような統計数字に反映されているのだ、この点がやはり重要ではないか、そういうふうに思われるわけであります。
そういう意味でわが国において全国一律の最低賃金を決定していった場合に、中小企業に対するいままでの下請単価の決定であるとか原材料の仕入れであるとか、あるいは金融、税制、そういうふうな面が社会的に規制されていくということが当然そこに出てくるわけで、先ほどの産業構造の再編成と言われたその問題、インドのピライ教授が言われているような点がここに問題になってくるというふうに考えられるわけであります。
次に最低賃金額の決定の方法の問題であります。時間の関係で簡単に申し上げますが、決定方法に関して政府が決定をしていく、あるいは法律に規定していくという方法が余り各国の最低賃金制においてとられていないのは、最低賃金制成立当初において、これはD・セルズという人が書いた「ブリティッシュ・ウエイジズ・ボード」という本の中に書いてありますが、所得の民主化という趣旨と、もう一つは賃金決定方法の民主化という意味で、政府、国家が決定をするのではなくて労使の代表が出た機関において労使が対等な条件で決めていく、これを尊重するということが賃金決定方法の民主化である、こういうことを主張しておりますし、さらにイギリスにおいて早くから最低賃金法案を作成するために努力をしたチャールズ・ディルク夫妻、これは未組織労働者の組織化に努めたヒューマニストでありますけれども、この人なんかも実際において賃金委員会制度というものをようやく工夫し探り当てて、そのような法案をつくることになった。なかなかこれは成立しませんでしたけれども……。そういうことを考えてみますと、決定方法についてもやはり民主的な方式という意味が非常に重要な点になってくるのではないか。
以上のようなことを勘案してまいりますと、私が野党四党法案について見ましたところ、いろいろその問題点は私なりに持っておりますけれども、しかし少なくとも現行法に比べたならば、わが国の低賃金を克服していく上ではるかに実効性のあるものであると私は評価せざるを得ないというふうに申し上げたいと思います。
以上であります。(拍手)