嶋崎譲の発言 (文教委員会)

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○嶋崎委員 いずれ技術科学大学院が先で問題になるでしょうから、またそこで細かな審議になりますが、さしあたって資料要求しておきます。国立高専のカリキュラム、どういう科目をどういうふうに単位を取って、そして国立高専卒の資格というものを得ているか、それについてのデータをいただきたい、それが一つ。
 それで国立高専の、いま大臣がおっしゃったけれどもぼくもそうなんです。この間中国に行っていろいろな大学の研究や学校教育を見てきましたけれども、大変すぐれた実践つまり応用、実験というものと結びついた学問というものの非常にリアルなものをたくさん見てきました。しかしこのときには背後には、あの国は共産主義の国ですから非常に社会科学を重要視しています。つまり技術者というのは、社会のメカニズムを抜きにして技術論なんてありっこないわけですから、だからそういう意味で、単に技術的な側面において応用的な能力が足りないいまの大学研究のあり方を反省して新しいタイプのものをつくろうということは、発想それ自体としては否定はしませんが、しかし学校というものをつくり、特に学校教育法でいっておるところの大学の中に、教養課程というものを非常に重視してきた、その重視してきた教養課程のあり方がいま大学で非常にまた問題になっているのです。ですから高専から大学院大学に行けるようにするために、二年間進学の課程をつくって大学卒的な資格要件を与えさえすれば、後は大学院のマスターをとれるような条件になるのだというようなことで処理されるほど単純ではない。やはりいままでの大学の教養課程をなぜ重視したのか、そして学部中心の大学の上になぜ大学院をつくってきたのか、そういういわば伝統的な大学院、日本の学術研究の体制のあり方というものを踏まえた上でなければ、機能的な側面から見て日本の教育の欠陥を補う新しいタイプだからこれはいいではないかというふうには断定しかねる。しかも法の体系から見ると、これははみ出た大学であるという意味で、今後問題になるこの技術科学大学院については議論をしなければいかぬと思います。
 そういうふうに見てきますと、私は今度の法改正の中に何か一本貫いている大学院大学を目指す日本の学術研究体制に対する立法政策的なものの中に、いままで学校教育法でいう大学、そこで伝統的に言われてきた大学観、大学の見方、その中にはよさもあり、メリットもあればデメリットもある、そのメリットを生かさないでいるところにデメリットがあるだけの話で、デメリットばかり議論したのじゃぼくは問題にならないと思います。そういういままでの憲法、学校教育法、国立学校設置法等々で言われている観念ですね、大学観というものをやはり前提にしつつ、新しい時代の要請にこたえてどう改革の道が開けるかというふうに問題がいつも立てられていなければならぬと思うのです。保守的に何も古い大学でなければならぬと言ったり、学部割拠主義がよろしいなんということを私は言っているのではないですから。ところがここに出ているいまの大学院大学の場合、片や共同利用研究所の上に博士課程の大学院大学が出てくるかと思うと、今度は国立高専の上にいままでの制度で考えられないような大学院の構想が一方に出てくる。だからそういう独立大学院の構想にしても、片一方共同利用、こういう技術科学大学院みたいなタイプがある、今度は連合大学院といっても外のやつもあれば内もあれば、いろいろなタイプが構想されていそうであります。ただそこに一貫して貫いているものは、いままでの大学をどう充実させて、そしていままでの大学の上に、大臣がいつも言ってきた大学格差をなくするために地方の大学にいい大学をつくり、そして集権な大学のあり方というものを変えていかなければならぬという、そっちの方をベトーネンしていく発想が背後にあって、本当はあってやるのですとおっしゃる、答えは何回でもそれをおっしゃっている。しかし実際に出てきている改革の方向というのは、全部新しい方向ばかりなんですね。要請に応じた新しい方向なんです。だからその新しい方向、たとえば連合大学院といって出てきた場合に、地方のマスターをドクターにするということがあり得ると言っている、ケース・バイ・ケースで。あり得ると言っているけれども、恐らくぼくはないと思うのですよ、いまのままでいったら。ないと考えているのじゃないですか。大体この辺はマスターで終わり、この辺はマスターも持てない大学、それから今度連合大学院に行くときには、いままであるドクターや何かで、学際教育で新しいものをつくる、そっちの方に力点がかかっているので、もういまやマスターまで出てきた大学院の上には大学院をつくらないという前提がすでに政策的にあるとぼくは判断しているのです。ないという保証ができたらりっぱですけれども。そうしたらそこらじゅうの大学をもっと再検討をして、予算のつけ方や何か全部検討しなければなりません。だから、どうもいままでやっていることが、いままでの大学の格差を前提にして、そして旧制大学、旧制の帝大プラスアルファ大学、それから中間の地方大学のややいい伝統を持っている大学、そうでない大学というように、もうすでに国立にそういう格差を前提にし、私立にもそういう格差を前提にして、そしてその格差の中でいまの時代の要求にこたえる先進的な研究や先進的な新しい大学の部分だけをその中から抜き取って新しいものをつくる。そしてその古いものに対しては、ないしは格差をそのままに固定化していくかっこうで全体が発想されていると私は判断するのです。これは野党ですから、客観的に野党の立場から見ますからね。
 だから、担当者の側から言えば、両方やるのですと言うけれども、そうなりますと、莫大な金が要りますよ。だから、そういう予算の見通し、国家計画というものが、全体的なビジョンもパースペクティブもなくて、何か時代の要請に応じて大学をつくっていくためにいろいろな道が開かれていって、そして開かれていく道は、いままでの大学の格差というものを克服するのじゃなくて、むしろそれの上に立ってつまみ食いみたいなかっこうで次々と時代の要請が処理されていく。そういう立法政策が一本貫いている、大学教育政策が一本貫いているというふうに判断されてならないわけであります。
 そういうわけで、もう一度憲法とそれから学校教育法と、そういう中に、戦後大学改革の中で打ち出されてきた、古い明治憲法のもとでの大学から、新しい新憲法のもとで構想されてきた大学観、その大学観が確かに時代の要請に応じて変化してきています。しかしその大学観の中にある伝統を生かして、それを充実させていくという、そういういわば政策を前に出しながら新しいタイプを構想していくという、車の両輪みたいな役割りを果たすような、そういうつまり行政であり政策でなければならないと思うのです。どうも出されてきているのは、いまの大学院大学、独立大学院一つをとってみても、既存の大学の体系の中ではできない。制度的には――特殊なものとして認めれば別ですけれども、普通の頭で考えてみたら、大変無理してつくる大学院だなあという感を免れない異質な印象を与えるわけです。そういうものを急がれるというところに、どうも一面、両輪じゃなくて、新しいものばかり、ないしは進んだ側面ばかりと言っているが、この進んでいるやつでも内容を一遍全部検討してみなければいかぬと思うのです。
 今日の段階で、日本の科学技術の要請というのは何なのかという中身を押さえてみると、共同利用研究所、たとえば分子科学みたいなものもありましょう、原子力もありましょう、ライフサイエンスもありましょう、環境科学もありましょう。しかしそういうのは、やはり高度成長時代以来のいわば科学技術的なあり方を前提にした構想になって、大学が追っかけているような気がするのです。現に、いままで昭和三十五年から四十五年までの間にできた大学の学部とか学科を調べてみたら、圧倒的に理工系ですから。文科系なんというものはほとんど冷や飯を食わされているのです。これはもう客観的データが出ますよ。
 だから、そういう学問研究のバランスみたいなものも考えなければならない。それから、時代の要請という場合の要請の中身についても、日本の将来の学術研究というもののバランスを考え考えていかなければいけない面もあると思う。そういうことについての全体的な構想やビジョンみたいなものがないまま、この制度の改革ばかりが急いで出されてきているという印象を免れないということでございます。そういう意味で、国立高専というのは、特にその中で検討すべき大学院大学であるというふうに私は判断を申し上げておきたいと思うのです。
 ここで、木島さんが大学院大学に関して関連質問があるそうでございますので……。

発言情報

speech_id: 107505077X01319750604_086

発言者: 嶋崎譲

speaker_id: 860

日付: 1975-06-04

院: 衆議院

会議名: 文教委員会