生越忠の発言 (文教委員会)

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○生越参考人 御紹介いただきました和光大学の生越でございます。
 私は、まず私の立場を先に申させていただきます。私はもともと大学院の独立論者でございます。それが一番、二番目といたしまして、しかし大学院を拡充、強化する方向でその改革を直ちに行うことにつきましては、現在多大の疑問を持っているものでございます。三番目、他の諸制度の改革と並行して大学院の改革を進めてまいりませんと、せっかくのいい制度が裏目に出てくるのではないかということを、私は現在非常に恐れております。四番目、結論といたしまして、先ほどの伊藤参考人のお考えとは多少異なりまして、やはりこの際大学問題全体を考える中で大学院問題についての検討をさらに深く進めていくべきだろう、したがいましてこの法律が直ちに成立することは、私としては現在望んでいないものでございます。
 時間の範囲内でいままで申しました四点につきまして少しずつ申し上げてまいりたいと思います。
 まず、私はもともと大学院独立論者であるということにつきましては理由が幾つかございます。
 第一の理由、大衆化いたしました現在の大学は、教育機関としての機能が研究機関としての機能に比べて相対的に非常に大きくなっておりますし、また大きくなるべきであろうというふうに思います。したがいまして、教育機関としての機能を大きく持つべきである大学が、研究機関としての機能をより多く持つべきである大学院と同じ組織であるということにつきましては、さまざまな不都合があろうかと思います。
 それから二番目、これは一番目の理由と関連することでございますけれども、教授が自分の研究をちゃんとやっていれば、それがそのまま教育効果を生むというのは大学院レベルでは考えられると思いますけれども、大衆化した大学では、決してそういう現状にはございません。これは昔の大学と旧制高校における教師の役割りなどを考えれば一目瞭然だと思いますけれども、教育と研究とは本来は分離できないものでございますけれども、最高の研究者が常によき教育者であるということには限っておりません。それからまた、いわゆるよき教育者と言われている人たちが最高の研究者として現在学界の第一線で華々しい活躍をしているとも限らないと思います。そういうことがございまして、教育と研究とは元来一体のものであるけれども、実際に先ほどのような事情がございまして、ある程度組織的に教育機関と研究機関とを分離することは私は必要な場合もあろうかと思います。
 それから三番目、大学院と学部とが現在のように結合しておりますことにつきましては、確かにメリットもございますでしょう。しかし、これは大学に格差をもたらす大きな原因になっております。私、現在和光大学におりますけれども、それ以前東大理学部の地質学教室におきまして長い間研究生活をいたしておりました。大衆大学とそれから大学院を主とした大学と二つの大学で私は経験がございますが、なるほど東大のような博士課程までの大学院がそろっております大学の学部の学生にとってみますと、自分の大学に大学院があることは非常なメリットでございます。それからまた、自分が大学院に進学しようと思えば比較的簡単に進学できる事情にもございます。
 しかし、大学院のない大学、たとえば和光大学、何々大学、そういう大学の学部の学生で大学院に進学しようと思いますと、これは非常に難事中の難事でございます。私の大学でも東大の大学院、上智の大学院、横浜国立大学の大学院、そういうところに間々進学している学生がございますけれども、こういうコースをたどるということは、それこそ非常に大変なことでございます。これはどういうことであるか、大学院がすべての大学の学部に広く公平に開かれておりますならばそういうことはないと思いますけれども、実際には、自分の大学の学部の学生に先に優先的に門戸を開いているという実情がございます。こういうことがございますために、大学院のない大学の学部の学生と、大学院のある大学の学部の学生との間には、大学院の進学を希望した場合にすでに大きなハンディキャップ、差ができてきておる。すべての大学が大学院を持つことは絶対に不可能であります以上、大学院というものは大学の学部から原則として独立させまして、すべての大学の学部に公平に門戸を開いた方がはるかに教育の機会均等の精神に沿うものだというふうに私は思っております。このような理由がございますので、私は大学院だけを置く大学を異例として認めるのではなくて、それをむしろ原則とすべきであるということを常々主張してまいりました。
 しかし、大きな二番目といたしまして、にもかかわらず、ただいま先生方が御審議中のこの法律がもし成立し、実現いたしました場合どうなるだろうかということにつきまして、やはり多大の危惧を持たざるを得ません。その理由につきまして、これからいろいろと申し上げていきたいと思います。
 大学院の独立構想を含めました今回の法律改正でございますが、これはやはり四十六年六月の中教審答申に沿ったものだというふうに思われます。この答申は、日本の高等教育の改革構想を大胆に述べたものでございまして、いわゆる日本の教育の近代化構想であろうかと思います。前近代的な高等教育制度を近代化することにつきましては、従来は是とする向きが多かったと思います。私もそのように思っておりました。しかし、最近になりまして、ただ近代化すればいいかということにつきましては、いろいろと問題が出てきたように思います。ということは、決して現状維持を図れということではございません。しかし、近代における大学及び大学教育にいかなる矛盾あるいは欠陥、不合理があったか、この問題につきまして、現代という視野から、そういう近代における大学あるいは大学教育のひずみをいかに乗り越えるかということを考えることが今日非常に必要になってきたと思います。ということで、いわゆる近代化構想には私は原則的に反対する立場に最近立っております。それが一番でございます。
 二番目の理由といたしましては、現代科学の課題は何かということについてもう少し慎重に考える必要があろう。
 御承知のように資源問題、エネルギー問題、公害の多発と広域化あるいは人口の急増、それから異常気象と食糧危機その他さまざまな要因によりまして、いまや地球上の四十億の人類が滅亡するかいなかの危機に立たされております。そういう状態のときに、いままでのような経済発展に第一義的に寄与してまいりましたようないわゆる近代科学、その研究を従来の延長線上でもってさらに能率的、効率的に進めていくことが果たしてこれからの科学の要請にこたえるものであろうかどうかということにつきまして、私は非常に疑問に思っております。それよりも、人類が生き延びるための科学とは何ぞや、そういうものを追求いたしまして、そういう科学への百八十度の転換を迫る必要が来たと思います。
 したがいまして、単純に高等教育の拡充あるいは学術研究の高度化、そういうものが達成されればそれでよしとするものではないと思います。したがいまして、だれのための、何のための学問か、現代科学の課題とは何か、そういう問題をいまこそ深く追求する必要があろうかと思います。そういう問題についての根源的な問い直しが余り十分に行われることなく、単に制度をあれこれ攻革いたしましても、余り意味がないのではないかと思います。
 三番目、資格制度の空洞化、形骸化が最近目立ってきたというふうに、私は本来地質学の専門でございますが、そういう学問分野に即して非常に感じております。
 いよいよ本格的な情報化社会が到来いたしました。既成の情報の急速な陳腐化が進みつつございます。そのようなことになりますと、従来のような大学におきます単位制度あるいは卒業制度、修了制度、資格制度、学位制度、こういうものはだんだん無意味になってきたように私には感じられます。しかし、この改正案にはそうした考え方が十分検討されていないように思います。やはり従来どおり資格授与機関として大学院及び大学院の研究科を機能させるということが一つの考えのようでございますが、私はそれには反対でございます。
 一つの資格が十年、二十年と物を言う時代は過去のものだと思います。これからは一生涯に何度も資格を取り直す時代がやってまいったと思います。もし学位制度がありますならば、一生の間に、たとえばこの政治家は当選何回の議員であるというように、何回博士号をとったというようなことがこれから必要になってまいりますでしょう。そうでなければ、実力のみが問われ、資格は問われないという時代が、ある分野については参るであろうということがございますので、この資格制度についての根本的な再検討が必要であろう。そういうことの再検討なしに、従来の延長線上で大学院のいわゆる近代化を図るということにつきましては私は反対でございます。
 それから四番目でありますが、研究者は純粋培養されるべきものではないというふうに最近つくづく感じております。
 これから大学院が職業人あるいは主婦などその他さまざまな階層の人たちに広く門戸を開く、そのために柔軟な組織にするということにつきましては、私は全面的に賛成でございますけれども、大学の学部の卒業者が直ちに入ることを前提とするいままでの大学院の考え方、これは時代おくれだと思います。博士課程の大学院だけをつくる場合には修士課程を卒業した者ということになっておりますけれども、しかし、私どもの研究の最近の動向を見てみますと、大人になって、かなり年をとってからもう一度研究テーマを変えた人間、そういう人たちが非常にユニークな研究業績を上げ、あるいは新しい研究のテーマを発見しておるというのがございます。こういうところが非常に重要なんでございまして、大学を出てそれから修士課程に入り、あるいは博士課程に入りということで、若いうちに研究業績を積み上げてしまう、そういう早期からの選別によるいわゆるエリート教育、これは裏目に出るのではないかということを私最近つくづく感じております。ということで、そういう日本の研究体制の風土あるいは土壌、このあたりの問題を再検討しなければ、制度だけを改革しても何も意味はないのではないかと思います。
 それから五番目は、研究機関の多核化が非常に進んでいるということでございます。大学院に最高の基礎科学研究機関としての機能を期待することは、私は幻想だろうと思います。すぐれた教育、あるいは研究者の養成、あるいは高度の専門性を備えた職業人の養成を、果たして大学院の整備拡充で図ることができるかどうか、私は非常に疑問に思っております。基礎研究でさえいまは大学だけでなく官公庁、企業などでも盛んに行われております。応用研究や開発研究を進めていく中で新しい基礎研究のテーマが見つかったということもしばしばございます。あるいは現実の市氏の厳しい生活あるいは労働の中から新しい基礎研究のテーマが見つかったということもしばしばございます。現実の行動による検証の全くない研究室、書斎の中だけの理論優先の学術研究が、果たして今後の社会の要請に合うだろうかどうか、私は全くそうではないのではないかというふうに思います。ということがございますので、大学院及び大学院研究科を基礎研究機関の中心に据えるという考え方、あるいは研究者、高度の職業人の養成を大学院で行うという考え方が果たしていいかどうか、私は非常に疑問だと思います。
 その次の理由は、こういう改革が実施に移されますと、大学の格差が拡大しやしないかということになってまいります。先ほど伊藤参考人が申されましたように、この改革案には、既成の大学院の硬直化した制度を柔軟化するという意味で非常に大きなメリットはあるかと思います。しかし、いかほど結構な制度の改革と申しましても、やはりほかの要因を考えませんと、せっかくいい制度が裏目に出るということがあろうかと思います。やはりいま大学の不当な格差をもたらしている要因は何であるか。博士課程までの大学院のある大学、修士課程どまりの大学院のある大学、大学院と称するものは一切ない大学、まずこの三つで格差がAクラス、Bクラス、Cクラスというふうについておると思います。こういういわれのない格差が学部教育の中にも格差を持ち込んでいるという厳然たる事実、この問題を抜きにして大学院制度だけをいじりましても、私は現在の大学のひずみをある意味では逆に拡大することになるのではないかと思います。そういうこともございますので、柔軟な大学院制度をつくるのでございましたならば、私がかねてから主張しておりますように、大学院と称するものはむしろ大学制度からはずし、科学院、研究院などの名前に変えて別枠にする、名実ともに独立させますならば、大学の格差拡大のおそれはございません。中途半端な改正はよくないと思います。
 次は博士浪人の問題がございます。伊藤参考人も多少述べておられました。大学院研究科をいかほど拡充強化いたしましても、そこを修了した人間の就職問題は一体どうなるだろう。いまでさえ博士浪人問題は非常に深刻な問題でございます。これの解決策の見通しは立っておりません。そういう問題を抜きにしておいて大学院制度をいかほどいじろうとも、卒業生あるいは修了生の就職問題のことは、さらにさらに厳しくなるのではないかというふうに思います。いろいろ大学院の拡充強化によりましていわゆる研究者、教授、助手その他のスタッフは拡充されますでしょう。そうした場合に、いわゆるあぶれた研究者が一時的にポストを得て就職可能ということになるかもしれません。しかしそれだけのことでございます。ということで、ほかの制度の同時改革がかなり必要であろう。
 真に民主的な研究体制、内容の充実した研究体制の確立を図るのならば、まず研究員の任期制などを大胆に試行して新陳代謝を図るということが必要であろう。学閥人事を防止するため、同じ大学の出身者の占有率、シェアがたとえば五割を超えないようにすることを法的に制限する、そういったチェックも必要であろう。たとえばそういう大胆な制限措置が先行されることによって、先生方が現在御審議になっておられます大学院制度の改革、学校教育法の一部改正ということでございますが、その中身が生きてくるのではないかと思います。そういう現在の日本の大学の腐敗堕落あるいは沈滞、科学研究のおくれ、それをもたらしているさまざまな理由の中で、金よりも人の問題がございます。そういう問題をやはり同時に手をつけることなしに制度の改革だけを先行させましても、余り大した意味はないのではないかということでございますので、もう少し多方面からの慎重な御審議が必要であろうかと思います。
 時間になりました。私の意見はこれでもって一まず終わらせていただきたいと思います。(拍手)

発言情報

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発言者: 生越忠

speaker_id: 19407

日付: 1975-06-11

院: 衆議院

会議名: 文教委員会