生越忠の発言 (文教委員会)

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○生越参考人 お答えいたします。
 私は、実はちょっとまたここで大ぼらを吹くことになるかと思いますが、教育制度改革構想というのは、私はいわゆる学校という形をとっての教育は高等学校までで十分だと思います。そこを出まして、一応社会に出て職業につく、あるいは家庭に入る、そこでこんな勉強をしたいと思ったときにいつでも自由に大学に戻ってこられるようにする、そういう機関としての高等教育機関というものが広く大衆化された形であるのが一番望ましいと思っております。ということでございますので、いまのように下からずっと小学校、中学校、高等学校、大学、大学院と何年も何年もスクーリングという形で教育を受けるのはいかがなものであろうか、こういうふうに教育年限が長いということが日本の教育のひずみになっていはしないかというふうにつくづく思います。たとえば、大学の数が多い割りにはすぐれた研究あるいはユニークな研究がないと言われておりますけれども、これは科学技術白書なんかを見まして技術貿易の収支のあれを見ましても、先進国で導入技術の支払い額が輸出した技術の額よりもはるかに大きい、高いというのは、大体先進国では日本だけだと思います。このようになっておりますのは、やはり日本の教育が受け身の教育ということから来ているのではないか、学問もしたがってサルまね学問、物まね学問、これに徹しておるというところからこういう形になっておるのだと思います。そういう日本の教育のひずみなどについて根本的なメスを入れることなしに、従来の制度の多少の手直し程度ではやはりいかぬのじゃないかと思います。
 生涯教育は私もちろん必要だと思います。先ほど先生も言われましたけれども、やはりこれから情報化がどんどん進んでまいりますと、どんな職業につきどんな場所で働く人間も、一生にわたって自分の頭脳を絶えずリフレッシュするということが必要になろうかと思います。ということから、生涯教育を含めた教育研究体制をどう考えるかということがまさに現在の課題だと思いますが、今回の法律改正ではそういう観点が必ずしも十分なくて、一応いろいろな人たちに開かれたようには制度の上ではなっておりますけれども、現実には、やはり資格制度がつきまとい、それから修士を出た人間が博士課程ということになりますと、下から順々に学校教育を受けて研修を積み上げてきた人間のうちいわゆるエリートと称される人間だけが終着駅まで着けるということに実際はなってしまうだろう。これは言うなればエリート教育をさらにさらに進めていくものじゃないか。しかし、私はエリートの存在を決して無視するものではないし必要ないとは言っておりませんけれども、従来のようなエリート教育というのはまさに専門ばか、学者ばかといわれるような、そのこと以外のことについては何にも問題提起もできないような、そういう非常に狭い人間をつくってしまって、結果において柔軟な、あるいは激動社会といわれる情報化社会には全然適応できないような、まさに非エリート教育をエリート教育の名のもとにやってしまうことになりはしないかということでございますので、やはりそのあたりの問題がさらに追求されるべきだろうと思います。
 大学が大衆化し、そうするとやはり大学院というものがクローズアップされてきて、研究と教育とがある程度分離されるということ、これは必然的な勢いだろうと思いますが、その大学院もまた大衆化することになると一体どうなるか。先ほど私以外の二人の参考人の方もいろいろその点についての問題の指摘をされておりましたけれども、私は重ね重ね申しますように、大衆化ということは結構なんでございますけれども、その大衆化がなぜ起こったか、ここらあたりの問題もやはりこのあたりでもう一度議論する必要があろうかと思います。はっきり申しまして大学の大衆化というのは私は結構なことだと思っておりません、現在の実情では。本来結構なものであるはずなんだけれども、現在の大衆化というのは、要するに学問をやるということよりはパスポートを得る、そういう国民の飽くなき要求が大学の大衆化をもたらしたのであって、これは非常に不健全であるというふうに私は思っております。そういうことではない本当の意味の大衆化を図るためにはどうしたらいいかということがまさに問われているのであって、パスポート要求の学生がふえたことをもって大学の大衆化、高等教育の大衆化が図られ、これは結構なことだということは若干問題でなかろうかと思います。
 それと同様に、これだけ大学が大衆化したのだから大学院に行かないとエリートになれないということで、昔大学へ行っていたように——私どもの学生のころは三%でございました、高等教育の進学率、大学進学率は。それと同じあるいはそれ以上の比率の人たちがまたまた今度は大学院を目指してもう一つ学歴をとろうということで大衆化してまいった場合、これはいわゆる管理社会をますますしんどいものにする要件になりはしないかということでございまして、大衆化の意味するもの、その中身、それは是か否か、そういう問題についての検討もさらに必要であろうかと思います。
 ちょっと取りとめのない意見の開陳で申しわけございませんが、とりあえずそういうことでございます。

発言情報

speech_id: 107505077X01519750611_011

発言者: 生越忠

speaker_id: 19407

日付: 1975-06-11

院: 衆議院

会議名: 文教委員会