生越忠の発言 (文教委員会)
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○生越参考人 お答えさしていただきます。
できる子供ならばみんな東大へ入れるのだ、これは事実だと思います。だからいまの教育制度は民主的なんだということが言えるかどうかというと、私は必ずしもそうではないと思います。たとえば、最近のあの東大生は非常にブルジョア化しておって、六〇%ぐらいが大会社の部長あるいは重役、中央官庁の次官、局長、そういったところのいわゆる高級管理職、その方々の子弟が大体六割ぐらいまで占めておるということが言われております。昔は農村の子弟が十数%おりましたが、いまはわずか二%。つまり、いまの社会制度のもと、あるいは経済情勢のもとでは、東大という大学に入ろうと思うと、その前にどれだけ金をかけるかということがまずポイントになってまいります。こういったことの不公平あるいは社会的な不公平、不公正、こういう問題についてのメスが入れられませんと、制度として幾らすべての人間に開かれておることになっておりましても、実際には一部の人間にしか開かれていないということになろうかと思います。先生先ほど御指摘の筑波大学の問題についても、私は全くそのように思っております。開かれた大学と申しますけれども、結局財界などにしか一方的に開かれていないということは、昨今の筑波大学のいろいろな問題を洗ってみますと、そういうことが言えるのでございまして、やはり真に広く民衆に向かって開かれているとは言えないと思います。
そういうことから考えまして、単に制度の改革さえやればいいんだということではないということを私は先ほど最初の意見開陳の際に申し上げました。
そこで、やはり先生先ほど御指摘のように、いまの大学制度は硬直化しているから柔軟にしなければいかぬ、これはわかるというふうに言われました。私もそう思うのでございますが、しかし今回のこの法律改正がもし実施されますと、やはり不当な大学間の格差がますます広がることにならぬだろうかということを私は恐れます。いまの大学の実情をそのままにしておいて、たとえば大学院のところだけをいじるということになりますと、たとえば博士課程だけの大学院を持っておる大学というのはほかの大学に比べて格が上になり、そこの大学のいわゆるエリート化がさらにさらに進んでいきはしないかということになりますと、これは青少年、特に小中学生の自殺者がたくさん出ているというような非常に嘆かわしい事態を生んでおる現在の受験競争をさらに過酷なものにする原因にならぬだろうかどうだろうかということを私は感じるわけでございます。ということでございますので、やはりこういう制度の改革が実現いたしました場合に、ほかのさまざまな方面にいかなる影響が及ぶだろうかということの、これは最近の公害問題で言いますと、事前評価、テクノロジーアセスメント、こういう言葉も最近出ておりまして、そういうことの必要性が非常に叫ばれておりますけれども、こういう制度の改革がほかの面に及ぼす影響などについての調査など、あるいは予測などもきちんといたしませんと、いい制度だと思って始まったものが、それが裏目に出たということになろうかと思います。そういうことでございますので、先ほど先生が言われましたことについては、私は基本的に賛成でございます。
それで、私は何よりもいまの大学をもう少し直したらどうかというようなことをつくづく大学の現場におって感じております。伊藤先生には申しわけございませんが、たとえば東大教授の東大閥、九五%が東大出身者でございます。法学部は教授、助教授が一〇〇%東大卒。新聞研もそう、東洋文化研究所もそう。ただ原子核研究所、それから物性研、海洋研こういうところ——これは伏見先生の方の御関係でございますが、いわゆる共同利用研究所につきましては、東大には東大閥はございません。東大についでもしいま改革することがあるとしたら、大学院制度をいじり、あるいは総合大学院をつくるとかいうことではなくて、たとえば学閥をなくすというようなことを先にやったら、大分いまの枠の中でもちゃんとした大学ができ、その上に大学院制度の改革が行われて、もうちょっとちゃんとした大学院ができるということでございましたら、効果は一〇〇%だろうと思います。ちなみに、原子核研究所などでは教授九人のうち東大卒業者はわずか三人、三三・三%、助教授は二五%、十六人のうちで四人。たとえばこういうことが法学部、文学部、理学部でなぜできないのか、まさにこれをやっていないということが問題なのでございまして、そういうことをやった上での制度いじりなら、私は全面的に賛成するつもりでございます。