伊藤正己の発言 (文教委員会)
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○伊藤参考人 時間もありませんので簡単にお答えいたしますので、御質問の主意に沿うかどうかわかりませんが、大学院の趣旨は一体どこにあるのか、大学院というものはどういうものなのかということになりますと大問題でございますが、日本の学問研究が世界の学問研究におくれないようにするのにはいろいろな方法があるかと思います。研究所を充実させる。先ほども再々お話に出ております共同利用研究所というようなものをつくっていただきまして、一人前の研究者が一緒になって共同研究をして学問を推進するということも一つの方法かと思いますが、やはりもう一つは、大学院ということによって、そのいわば研究者になる人を育てていくということが必要ではないか。その場合には、研究所にほうり込むというよりは、研究所にいたしましても、大学院という一つの教育組織をつくってそこで養成していくということが必要ではないか。今度の設置基準によりましても、博士は何も一人前のでき上がった研究者に博士を与えるのではなくて、自立して研究ができる人、そういう人を系統だった形で育てていくという大学院が日本の学問研究にとっては必要なのではないかというふうに考えております。
〔三塚委員長代理退席、委員長着席〕
それから修士につきましては、先ほど申しましたように、多少枠を広げまして、多様化する大学院というものを考える、そういう形での多様な大学院というものを置くということが必要であり、今度の改正案はそれに一部こたえるものであるというふうに考えているわけでございます。
それから第二の、大学院と資格の問題でございますが、先生は単位の加算ということをおっしゃいました。こういうことも十分必要であろうかと思います。ただ、私などが、これは分野によって違うかもわかりませんが、こういう大学院において学位論文を書くということが非常に意味があるのではないか。修士の場合は多少、論文でなくても研究の一種の報告でもいいということになりましたが、特に博士の場合に、博士論文を書くということが意味があるわけでございまして、そういう博士論文を書くことによって自立した研究者になるということになるんじゃないか。そういう意味では、こういう大学院制度を設け、そうして修士なり博士なりという学位を与えるという方法はやはり必要なのではないだろうか。諸外国でも大体そういうことが行われているように思うわけでございます。
それから第三の点、確かに私も申しましたように、制度、道を開くだけでは十分ではなくて、現在の大学院は国公私立を通じて十分の設備がなく、また定員不足によってもずいぶん悩まされているということはございまして、これなどはやはり国の十分な配慮を必要とするというふうに思いますが、今度の改正が直ちにそれに役立つかどうかということになりますと、私は判断できませんが、こういう多様な大学院を置ける道を開くことによって、国の方でもそう多様化した大学院にふさわしい設備なり人員を充実させるという一つの機縁にはなり得るのではないだろうかというふうに私は考えているわけで、これは国会の諸先生方にもよろしくお願いしたいというふうに思うわけでございます。