戸叶武の発言 (外務委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○戸叶武君 きょうは外務大臣がおかぜを引いているので委員長がいたわってくれと言うので、なるたけ答弁は短くて結構ですから、耳の方は非常に発達しているようですから、どうぞ私たちの考え方をやはり耳に受けとめてもらいたいと思うのです。
私は、文化人類学の立場から人間の顔というものに非常に興味を持っていますが、その中で最近は耳の研究に全力を注いでおります。やはり聖徳太子の像をかくのにしても、耳を非常に美しくふくらみのある形でかくとこれが聖徳太子ということになるのですが、やはり耳が貧弱だと一国の政治を指導するのには物足りない。だから「聡明」の「聡」も「耳」ですが、外務大臣の耳を見ると、なかなかいいかっこうのようですから、聞く耳は持っているのだと思います。
きのう実は請願の問題で多少、内輪のことは発表しちゃいけませんことが礼儀かもしれませんが、非常に食い違いがある点を、理事なり委員の中での議論は差し控えますが、外交防衛の問題は一国の運命にかかわる問題ですから、それを含めて、やはり外務大臣の、外交権を持っているところの政府の外務大臣の役割りというのは非常に重大だと思いますから、外交権はおれが持っているから勝手だというのでなくて、せめて聞く耳だけはやはり持ってもらいたいと思うのです。それは請願の問題でも、請願権というのは主権者である国民にあるんです。何でもいいからという非常識なものまで国会に持ち運んではいけませんけれども、国民の世論形成の中において、少数派であってもまともな請願というものは受けとめるだけの寛容さがやはり国会にもあり、また外交防衛、特に外交の問題で責任を持つ内閣にもなければいけないと思うのです。
私はイギリスで少しばかり勉強していたときに、イギリスの学者が言うガバナビリティですか、とにかく統治能力というのはどこにあるかというと、自由を尊重することだ。それから聞く耳を持つことだ。それからやはり常識的であって非常にプラクティカルに物を処理していく能力を持つことだ。特に英帝国といわれたときにいろいろな無理がありましたけれども、イギリスが世界帝国を形成したときにおいても、この聞く耳を持につだけの雅量はいつも持ったのです。聞いただけで物を実行しないじゃないかという批判はありますけれども、インドの革命家が——私も二十二年ほど前に約四ヵ月ほとんど全土を歩きまして、いろんな演説会や集会に招かれましたが、司会者が一時間、閉会の辞が一時間、客は二十分か三十分ぐらいしかやれないのは、イギリスの統治下におけるイギリスの統治方式というものは、支配しているんだから支配されている連中の言うことを一応聞くだけで、聞くだけでも心が晴れる思いがするんだから、それだけはやろうという雅量があったんですけれども、このごろの自民党並びに政府はそういう聞く耳を持たないで、ややもすれば全体主義的な能率を上げるんだという形において強権政治の方向へ、ファシズムの方向へ向かっているんで、それを能率と考えるのは、行政官の有能な人ばかり集まって、あと法律分野の秀才という——この間変な男が裁判官からも出ましたが、ああいう自分が頭がいいと錯覚しているんだからどうにもならないこういうエリート、大衆が愚であるからエリートが前衛党的な役割りで引っ張っていくんだ。このばかげた右と左からの全体主義に包囲されている日本において——アメリカも大統領選に国民が興味を余り持たないのは、あんなずうずうしい悪いやつばかりを大統領にしちゃしょうがないという気持ち。日本だってそれが底辺にある。それが政治からひとつ国民を遊離させている原因だ。もっと私たちはこの機会に、本当にわれわれは外交防衛の問題でこんな政府と野党とかけ離れた状態じゃなくて、腹を割って、そしてこの祖国日本をどうやって守り抜くか。それだけじゃなくて、日本だけのエゴイズムじゃなく、アメリカなりあるいはソ連なり中国なり、それぞれの権謀術策がはなやかに展開されています。しかし、東洋的な哲学というのは、権謀術策の徒は権謀術策によって倒れる。光明に背面なし。明るい光を求めることが政治の要諦であるということは、政治から宗教までおしなべて本当はあったはずなんです。それが政治権力と結ぶと政治もイデオロギーも、あるいは科学の名において、特に社会科学などという名を使って一個のイデオロギー的な独断が横行する傾きもあるんです。
この程度にしますが、とにかく小坂さんは円転滑脱な人で明るい方にかけては人後に落ちない方でしょうが、ひとつかぜを引いたのを機会に若干沈黙を守って、そうして本当に権謀術策の小細工の政治じゃなくて、イデオロギーや民族や国境が違っても世界の人々の心を打つような真心と愛情を持った、思いやりを持った外交政策を展開していかないと大変なことが私は起きると思うんです。この三年間に世界がひっくり返るようなことが私は起きてくると思うんです。朝鮮だって容易じゃないです。朝鮮に火がついたならば、ベトナムよりもイスラエルよりも、あるいは東ドイツと西ドイツの関係よりも非常に厳しい私は問題が発生するんじゃないかと思うんです。
そこで、知識人の人たちが、いま隣の朝鮮半島のことを非常に心配しております。そしてこれらの人が国際の平和と繁栄のためにインドシナ地域における平和と民族の統一が達成されたその上に立って、朝鮮民族の統一の悲願というものもやはり達成させてやらなければならない。このことは一九四五年以来の南北分断と厳しく対立する一つの考え方であるが、朝鮮民族にとってはいろんな相互不信感があるにしても、やはりアジアにおいて南北朝鮮の平和的統一というものができるならば、アジアにおける一つの安定勢力というものが、ここにモデル地域が曲がりなりにでもでき上がってくるんだと思います。抽象的な観念ではなくて、やはり国連においてもこの問題をとらえて、昨年の第三十回国連総会でその趣旨を内容とする決議案が採択されたのであります。私たち全部挙げてこれを歓迎したじゃないですか。歓迎してもそれが実らないところに今日の政治、外交の貧困があるんです。これをどういうふうに実らせるか、そういう外交の方向づけに対して、一言でも二言でもいいから、簡単に御回答を願います。