飯島宗一の発言 (文教委員会入試問題に関する小委員会)

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○飯島参考人 私ばかり申し上げて恐縮ですが、まず第一の、日本の高等教育機関が多過ぎるかどうかというのは、私どもは多過ぎるということは簡単には言えないと思います。と申しますのは、問題はむしろ高等教育というものの中身は何であるかということにかかわってくるので、もし高等教育ということを最近アメリカ等で言われておりますポストセカンダリーエデュケーションという言葉に置きかえるといたしますと、社会がますます高度化し、豊かになり、そうして文化的にも発展していく要因としてポストセカンダリーエデュケーションの機会というものは、それを望むなるべく多くの市民に与えられるというのは、これは一つの必然的な方向であって、その限りにおいてもし高等教育という言葉をポストセカンダリーエデュケーションに置きかえるとすれば、現在でもう十分だという議論にはならない。ただポストセカンダリーエデュケーションの中で従来たとえば国立大学などが行ってきました高等教育と申します部分は、最小限度三つの具体的な目標がございます。
 一つは、専門家ないしはセミプロフェッショナル、あるいはある資格を持った社会通念としてこれだけの能力、資格が欲しいという人を養成する、つまり専門家養成ということが一つでございます。
 それから第二に、新しい学問を生んでいくための研究者の学問的後継者の養成ということがございます。
 それから第三番目に、ポストセカンダリーエデュケーションの意味で現在われわれが持っている、あるいは新しくできていく学問、知識、文化をなるべく多くの市民に広める、与えるという三つの要素がすでに現在の国立大学の中には含まれておりますが、その中でプロフェッショナルの養成あるいは研究後継者の養成という問題はそれぞれの専門領域の内容に従ってそれに最も有効に取り組んでいってもらうためのある一定の素質、条件が必要であるということは、これはもう明らかでございます。ですから、私どもはこのポストセカンダリーエデュケーションの意味での高等教育というものは今後ますます拡大をしていく必要があると思いますけれども、その中で上下の問題ではなしに、機能分担の問題としてポストセカンダリーエデュケーションにかかわるインスティチューションがそれぞれのミッションに応じた働きを今後整理をしていく。その中で国立大学はいままでの伝統、現状から考えまして、その中にプロフェッショナルの養成と学問的後継者の養成という重要な社会的使命を持っておりまして、この部分については、それぞれの専門分野あるいはそれぞれの目標に応じてある一定の能力、素質というものを要求するということはやむを得ないことであると申しますのは、もしそれを無視してだれにでも、たとえば数学の研究者の道を開放する、だれにでも非常に高度な物理学の研究の道を開放するといたしましても、それは実際上実効も上がらず、意味のないことでありますから、そういう部分に関してはある一定の素質の要求が行われるということは当然ではないかと思います。

発言情報

speech_id: 108005098X00419770406_014

発言者: 飯島宗一

speaker_id: 19364

日付: 1977-04-06

院: 衆議院

会議名: 文教委員会入試問題に関する小委員会