文教委員会入試問題に関する小委員会
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会
会議録情報#0
昭和五十二年四月六日(水曜日)
午前十時七分開議
出席小委員
小委員長 藤波 孝生君
石川 要三君 石橋 一弥君
小島 静馬君 登坂重次郎君
中村 靖君 長谷川 峻君
小川 仁一君 木島喜兵衞君
中西 績介君 池田 克也君
鍛冶 清君 曽祢 益君
山原健二郎君 西岡 武夫君
出席政府委員
文部大臣官房長 井内慶次郎君
文部省大学局長 佐野文一郎君
小委員外の出席者
文教委員 有島 重武君
文部省大学局大
学課長 阿部 充夫君
参 考 人
(東北大学学
長) 加藤陸奥雄君
参 考 人
(大阪大学学
長) 若槻 哲雄君
参 考 人
(広島大学学
長) 飯島 宗一君
参 考 人
(東京大学教養
学部教授) 湊 秀雄君
文教委員会調査
室長 大中臣信令君
—————————————
四月六日
小委員山原健二郎君同月五日委員辞任につき、
その補欠として山原健二郎君が委員長の指名で
小委員に選任された。
—————————————
本日の会議に付した案件
入試問題に関する件
————◇—————
この発言だけを見る →午前十時七分開議
出席小委員
小委員長 藤波 孝生君
石川 要三君 石橋 一弥君
小島 静馬君 登坂重次郎君
中村 靖君 長谷川 峻君
小川 仁一君 木島喜兵衞君
中西 績介君 池田 克也君
鍛冶 清君 曽祢 益君
山原健二郎君 西岡 武夫君
出席政府委員
文部大臣官房長 井内慶次郎君
文部省大学局長 佐野文一郎君
小委員外の出席者
文教委員 有島 重武君
文部省大学局大
学課長 阿部 充夫君
参 考 人
(東北大学学
長) 加藤陸奥雄君
参 考 人
(大阪大学学
長) 若槻 哲雄君
参 考 人
(広島大学学
長) 飯島 宗一君
参 考 人
(東京大学教養
学部教授) 湊 秀雄君
文教委員会調査
室長 大中臣信令君
—————————————
四月六日
小委員山原健二郎君同月五日委員辞任につき、
その補欠として山原健二郎君が委員長の指名で
小委員に選任された。
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本日の会議に付した案件
入試問題に関する件
————◇—————
藤
藤波孝生#1
○藤波小委員長 これより入試問題に関する小委員会を開会いたします。
入試問題に関する件について調査を進めます。
本日は、本件について参考人として、東北大学学長加藤陸奥雄君、大阪大学学長若槻哲雄君、広島大学学長飯島宗一君及び東京大学教養学部教授湊秀雄君に御出席を願っております。
参考人各位には御多用中のところ本小委員会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。
まず、議事の順序について申し上げます。
初めに、小委員長から、本小委員会において討議を重ねてまいりました中から集約された問題点についてお尋ねをいたしまして、その後各小委員の質疑に対し参考人のお答えをお願いいたしたいと存じます。
本小委員会は、さきに文教委員会において可決いたしました国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案によって設置されます大学入試センターの運営や内容を中心に、いまや大きな社会問題の一つになっております入学試験の改善に関し、国民的立場から調査する必要があるとして設けられたものであります。
大学入試は、各大学の自主性に基づいて行われることは、いまさら言うまでもありません。今度行われる共通第一次テストも大学入試の一つの改善策として、国立大学協会の長年にわたる建設的な調査、研究に基づくものでありまして、これまでの御努力に対し心から敬意を表するものでございます。
今日まで本委員会は、いろいろな角度から討議を重ねてまいりましたが、その中で幾つかの問題点が指摘されましたので、これらの点について種種お考えを承り、私どもの理解を深めさせていただきますと同時に、国民のいろいろな意見を背景として法律の審査や国政の調査を進めております私どもの意見や心配も参考人各位にお聞き取り願い、御参考にしていただければ、本日の会議の意味はさらに大きくなるものと存じます。できる限りやわらかい雰囲気で会議を進め、隔意のない意見の開陳をお願いいたしたいと存じますので、何とぞ御協力をお願い申し上げます。
まず、国、公、私を通ずるわが国大学入試の改善方策についてでございます。
わが国の大学入試の現状は、大きな社会問題となっており、その改善が急務であるとされております。
まず、国大協としては、国、公、私を通ずる大学入試の改善方策については、一、二期校問題、共通テスト、第二次テスト、調査書、面接等ひっくるめて全般的にどのように考えておられますか。
次に、共通第一次学力試験の実施に伴う高校教育への影響についてであります。
大学入試のあり方が、高校教育に大きな影響を及ぼすことは言うまでもないことですが、特に、この試験を実施するに当たりましては、実施期日が十二月下旬ということでありますが、高校の教育課程との関係、試験の内容と達成度の取り方などに問題があるのではないか。また、実施を予定しておりますマークシートを利用した客観テスト方式につきましては、利点、長所もあるかわりに、種々の制約や留意すべき問題点もあるのではないか。また、共通試験であることから職業高校出身者への配慮が必要になるのではないかなどの諸点について指摘がなされましたが、これらの点についてはどのように考えておられるのでしょうか。
次に、各大学の行う第二次試験の内容、方法についてであります。
今度行われます第一次試験と各大学が行う第二次試験の関係はどのように考えられておられますか。もし、各大学が行う第二次試験が従来どおりでは、受験者の負担が過重となり、入試改善の目的も達成できないと考えます。ガイドラインに示されたような方針が実際に貫かれるように強い方策が考えられるべきではないでしょうか。その点、いかにお考えになっておられますか。
次に、入試期日一元化に伴う受験機会の減少等についてであります。
入試期日の一元化により、受験者が国、公立大学を受験する機会が一回限りとなるわけでありますが、何らかの形で第二次志望を生かす方途は考えておられないでしょうか。高校の調査書、面接、第一次テスト及び第二次テスト等により総合的判断を行って入学者を決めるという方針から見まして、第一次試験の成績によるいわゆる足切りは、いかなる大学においても行わないことにすべきではないかと考えますが、いかがでしょうか。
次に、大学入試センターの運営と機能についてであります。
大学入試センターがその役割りを十分に果たしていきますためには、国大協の自主性の確保、高校関係者等の意向の反映等の仕方に注意を払っていく必要があり、また、研究部門におきましては、共通入試そのものに限らず、より基礎的、基本的な入試の制度や内容に関する調査研究のため体制が必要だと思いますが、どのように考えておられますか。
最後に、大学改革の必要性等についてであります。
わが国における学歴偏重や有名校偏重の社会的風潮を是正いたしますためには、生徒がそれぞれの生徒の個性や能力に適した高等教育機関に対して進学するよう、広く国民に対し意識の変革を求める必要がありますが、大学自体の現状についても検討すべき点が多々あると思います。地方大学の充実、国、公、私大学問の学術交流、国、公、私大学のそれぞれの特色を発揮した教育研究体制の充実、学部などの小さな壁を乗り越えて、開かれた研究体制をつくること、入退学の弾力化、単位の積み重ね方式の制度など課題が山積をいたしており、これらを解決していくことが入試改善と対応して非常に大切なことと思いますが、いかがお考えでしょうか。
以上、大きく六項目につきまして、従来本委員会でいろいろ御討議がありましたことの中からかいつまんで問題点を浮かび上がらせて総括的にお尋ねをいたしました。
これより、各項目別に質疑に入りますが、本日は午後四時ごろまでに終わりたいと存じますので、余りどの問題に何分というふうにかた苦しく決めようと思いませんけれども、大体各項目について約四、五十分程度質疑を行って、この項目、項目をこなしていきたい、こう思いますので、進行についてどうぞ御協力をお願いをいたしたいと思います。
なお、参考人各位に申し上げますが、発言の際は小委員長の許可を得て御発言をお願いいたしたいと思います。また、念のため申し上げますが、参考人は小委員に対して質疑はできないことになっておりますので、妙な話でございますけれども、これは定めでございますので御了承をお願いをいたしたいと思います。
なお、小委員各位に申し上げますが、自由に御質疑を願いたいと存じますが、会議の進行上、質疑をされる方は、小委員長の指名により御発言願いたいと思います。
それでは、まず、国立大学協会が考えておられます入試改善の方策について最初にお尋ねをいたします。どうぞお願いいたします。加藤参考人。
この発言だけを見る →入試問題に関する件について調査を進めます。
本日は、本件について参考人として、東北大学学長加藤陸奥雄君、大阪大学学長若槻哲雄君、広島大学学長飯島宗一君及び東京大学教養学部教授湊秀雄君に御出席を願っております。
参考人各位には御多用中のところ本小委員会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。
まず、議事の順序について申し上げます。
初めに、小委員長から、本小委員会において討議を重ねてまいりました中から集約された問題点についてお尋ねをいたしまして、その後各小委員の質疑に対し参考人のお答えをお願いいたしたいと存じます。
本小委員会は、さきに文教委員会において可決いたしました国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案によって設置されます大学入試センターの運営や内容を中心に、いまや大きな社会問題の一つになっております入学試験の改善に関し、国民的立場から調査する必要があるとして設けられたものであります。
大学入試は、各大学の自主性に基づいて行われることは、いまさら言うまでもありません。今度行われる共通第一次テストも大学入試の一つの改善策として、国立大学協会の長年にわたる建設的な調査、研究に基づくものでありまして、これまでの御努力に対し心から敬意を表するものでございます。
今日まで本委員会は、いろいろな角度から討議を重ねてまいりましたが、その中で幾つかの問題点が指摘されましたので、これらの点について種種お考えを承り、私どもの理解を深めさせていただきますと同時に、国民のいろいろな意見を背景として法律の審査や国政の調査を進めております私どもの意見や心配も参考人各位にお聞き取り願い、御参考にしていただければ、本日の会議の意味はさらに大きくなるものと存じます。できる限りやわらかい雰囲気で会議を進め、隔意のない意見の開陳をお願いいたしたいと存じますので、何とぞ御協力をお願い申し上げます。
まず、国、公、私を通ずるわが国大学入試の改善方策についてでございます。
わが国の大学入試の現状は、大きな社会問題となっており、その改善が急務であるとされております。
まず、国大協としては、国、公、私を通ずる大学入試の改善方策については、一、二期校問題、共通テスト、第二次テスト、調査書、面接等ひっくるめて全般的にどのように考えておられますか。
次に、共通第一次学力試験の実施に伴う高校教育への影響についてであります。
大学入試のあり方が、高校教育に大きな影響を及ぼすことは言うまでもないことですが、特に、この試験を実施するに当たりましては、実施期日が十二月下旬ということでありますが、高校の教育課程との関係、試験の内容と達成度の取り方などに問題があるのではないか。また、実施を予定しておりますマークシートを利用した客観テスト方式につきましては、利点、長所もあるかわりに、種々の制約や留意すべき問題点もあるのではないか。また、共通試験であることから職業高校出身者への配慮が必要になるのではないかなどの諸点について指摘がなされましたが、これらの点についてはどのように考えておられるのでしょうか。
次に、各大学の行う第二次試験の内容、方法についてであります。
今度行われます第一次試験と各大学が行う第二次試験の関係はどのように考えられておられますか。もし、各大学が行う第二次試験が従来どおりでは、受験者の負担が過重となり、入試改善の目的も達成できないと考えます。ガイドラインに示されたような方針が実際に貫かれるように強い方策が考えられるべきではないでしょうか。その点、いかにお考えになっておられますか。
次に、入試期日一元化に伴う受験機会の減少等についてであります。
入試期日の一元化により、受験者が国、公立大学を受験する機会が一回限りとなるわけでありますが、何らかの形で第二次志望を生かす方途は考えておられないでしょうか。高校の調査書、面接、第一次テスト及び第二次テスト等により総合的判断を行って入学者を決めるという方針から見まして、第一次試験の成績によるいわゆる足切りは、いかなる大学においても行わないことにすべきではないかと考えますが、いかがでしょうか。
次に、大学入試センターの運営と機能についてであります。
大学入試センターがその役割りを十分に果たしていきますためには、国大協の自主性の確保、高校関係者等の意向の反映等の仕方に注意を払っていく必要があり、また、研究部門におきましては、共通入試そのものに限らず、より基礎的、基本的な入試の制度や内容に関する調査研究のため体制が必要だと思いますが、どのように考えておられますか。
最後に、大学改革の必要性等についてであります。
わが国における学歴偏重や有名校偏重の社会的風潮を是正いたしますためには、生徒がそれぞれの生徒の個性や能力に適した高等教育機関に対して進学するよう、広く国民に対し意識の変革を求める必要がありますが、大学自体の現状についても検討すべき点が多々あると思います。地方大学の充実、国、公、私大学問の学術交流、国、公、私大学のそれぞれの特色を発揮した教育研究体制の充実、学部などの小さな壁を乗り越えて、開かれた研究体制をつくること、入退学の弾力化、単位の積み重ね方式の制度など課題が山積をいたしており、これらを解決していくことが入試改善と対応して非常に大切なことと思いますが、いかがお考えでしょうか。
以上、大きく六項目につきまして、従来本委員会でいろいろ御討議がありましたことの中からかいつまんで問題点を浮かび上がらせて総括的にお尋ねをいたしました。
これより、各項目別に質疑に入りますが、本日は午後四時ごろまでに終わりたいと存じますので、余りどの問題に何分というふうにかた苦しく決めようと思いませんけれども、大体各項目について約四、五十分程度質疑を行って、この項目、項目をこなしていきたい、こう思いますので、進行についてどうぞ御協力をお願いをいたしたいと思います。
なお、参考人各位に申し上げますが、発言の際は小委員長の許可を得て御発言をお願いいたしたいと思います。また、念のため申し上げますが、参考人は小委員に対して質疑はできないことになっておりますので、妙な話でございますけれども、これは定めでございますので御了承をお願いをいたしたいと思います。
なお、小委員各位に申し上げますが、自由に御質疑を願いたいと存じますが、会議の進行上、質疑をされる方は、小委員長の指名により御発言願いたいと思います。
それでは、まず、国立大学協会が考えておられます入試改善の方策について最初にお尋ねをいたします。どうぞお願いいたします。加藤参考人。
加
加藤陸奥雄#2
○加藤参考人 東北大学の加藤でございます。
第一のテーマでございますが、国立大学協会として現在共通一次試験ということを考えるに至ったわけでございますが、それにつきまして、この質問については、国大協がそもそも最初に発足した経緯を申し上げることが一番よろしいのではないかというふうに思いますが、国大協会がこの大学入試問題を取り上げましたのが四十五年、ですからもう足かけ七年になります。いわば国大協会設立と同時に始まったと言えるかと思います。
御承知のように、国立大学の入学試験は、戦前は各大学が個々別々に独自な入学試験をやってきたわけでございますが、戦後、急に大学の数がふえ、さらにそれに伴いまして大学への進学率が二〇%、三〇%、現在四〇%近くなってきているわけですが、そういう実情を考えますと、大学全体の入学試験というものについて社会的な問題が非常に多くなってきた、それに伴いまして大学側もそれを考えるべき時点に来ているのではないか。当時国立大学としますと六十五ございました。現在八十八でございますか、当時国立大学が六十五ですが、それでも非常にそのような大学入学試験問題というのが社会問題になりつつあった時代でございますので、それに対応して大学全体の入学試験というものをどうあるべきかということを考えるべしというのが、国大協の第二常置委員会がその種の問題を扱う委員会でございますが、そこで取り上げを始めたわけでございます。そこで、入学試験全般について改善しなくちゃならぬという出発点から始まったわけでございますが、国立大学あるいは公立大学ないし私立大学というものがそれぞれ設置形態が違っておりますし、さらにまた大学の内容の性格がそれぞれに異なった点が非常に多いであろうということから、その全体の入学試験改革というものをともかく同じ土俵を持っている国立大学だけでも考えていくべきではないか、そこで一つの入学試験問題ということに対する国立大学としての責任をその場で果たす必要がないであろうかという考え方を持ったわけでございまして、その結果が、現在私ども御審議いただいております共通一次試験の方式を考え出したわけですが、その時点になりましてから、公立大学からこの試験方式に対して利用したいという申し出をいただいてきておるわけでございます。このことは大学協会としては非常にありがたいことだと思っておりますが、私立大学の当局者の二、三の方々からもそれに対し大きな関心をお示しいただいているということは、私ども承知しておるわけでございますので、再出発点の大学というものの入学試験を改善するということがこのような公立大学あるいは私立大学に御関心をお持ちいただくに至ってきているということは、非常に重要なことだというふうに私ども考えております。当面、ともかく国立大学だけでもこの社会で重要問題視している入学試験というのに対応した答えを出すべきであろう、そのことでいま申しました共通一次方式を考えたわけでございます。
そこで、それの内容を少し触れさせていただいてよろしゅうございましょうか。——ここで問題になりますのは、大学入試ということについていろいろな批判がなされておりますが、それについての批判を私どもとしてやはり十分解析してそれに当たらなければならないということでございます。一つは、競争が激化してくるに従って、問題に対する批判が非常に多くなってきているということがございますし、さらに、いわゆる一発勝負という言葉で言われているように、ただ一回の入学試験で志願者が判定されるという一つの不公平さといいましょうか、不公平さということについて考えなければならぬということで、当然のことでありますが、現在でもそうですが、調査書あるいは面接、特に調査書については文部省からの指導もあるわけで、高等学校におけるこのような調査書というものをやはり十分に勘案しながら考えていかなければならぬ。その問題は現在もありますので、それはそのまま続行していくべきである。問題になるのは、こちらで選抜させていただく。選抜させていただくという点は、国立大学だけをともかく考えたわけですが、いま全国立大学の定員が約八万名でございます。推定の志願者がいまのところ大体三十万、こういうふうに私ども見ております。そういう志願者に対して定員が八万であるということからしますと、これはよしあしにかかわらず選抜ということをさせていただかなければならぬという実情がございます。そうなると、その選抜のあり方を十分に合理的に、しかも平等に、公平にやるべきであるという考え方に立って私どもは検討を進めなければならぬという立場に置かれているわけです。
そこで、いろんな批判にこたえるためにはどうしたらいいか。いわゆる一発勝負というようなことでありますので、やはり志願者というものを私どもが選抜するという立場をとったときに、十分な資料を持ってその志願者を判断する必要があろうということ。資料が多ければ多いほどいいはずであります。その一つが、現在も言われているような調査書とか面接とか、そういうことがその部分になるわけですが、学力試験についてもやはり資料が多くあってしかるべきであるということが考えられます。そういうようなことを勘案しながら、いろんな議論の末に共通一次というものと共通二次というものを組み合わせる。するとそこで、立場を変えますけれども、資料が二つそろうという点があるわけで、そういうような意味で共通一次それから二次テストというものを学力の場面で総合判断するという考え方がいまの合理性を持つのではないかというふうに考えるに至ったわけでございます。
ところで、一方、五十一年から高等学校の例の教科課程が変わってまいりました。高等学校の教科課程の内容を見ますと、最近また変わりましたが、現段階では、高等学校に入ってから卒業までの間に個人の一つの能力分化あるいは適性分化が起こってまいります。それに対応した意味で、低学年では必修科目が課せられております。それから中高学年になりますと、選択科目をそれに上乗せするという課程が、現在五十一年度に改定が行われております。その姿をやはり私どもは十分に考えなくてはならない。そういう状態と、学力試験についても資料を多くしなければならぬということをどう組み合わせるかという問題が出てくるわけでございます。そういう点で共通一次というのは、国立大学といえども、現在八十八ですけれども、それぞれにキャラクターがございまして、単科大学的なのから総合大学がありますし、同じ総合大学の同じ学部でも大学によって性質が違いますから、本来的に選抜はそれぞれの大学のキャラクターに従ってやるべきだという考え方が依然として理念的にあるわけであります。そのこともいまの問題にどう組み合わせるかという考え方が必要になってくるわけでございます。そういう点で考えますと、高等学校において必修科目を課しているということは、高等学校教育の中で全人格的な養成のためには、その科目は全部必要なんであるということに基盤があるのだと考えます。
さらに、高等学校の中で適性分化が個人個人で出てきたときは、それに選択科目が対応して考えられるのだということが考えられますので、つまり大学として共通的に考えられるのは、高等学校を卒業してきているという点で、基盤的に持っている内容を少なくも国立大学は共通的に判断する土俵があり得るのではないかということであります。それといまの共通必修科目がペイをする形になるわけであります。そこで共通一次試験は、いまの必修科目というものを課することによって共通一次をする。それは大学全体が共通的に志願者に対して判断し得る一つの基盤があるわけであります。
そこで、先ほどちょっと申しました、大学それ自身それぞれの学部でも一つの個性があるわけで、それを目指して志願してくるわけでございますから、その点の判断は各大学が第二次試験としてそれに対応した選択科目というものがございますから、それと見合った形で第二次試験というものを行う。そうしますと、一番最初に申しました趣旨が一応生きてくるのではないかというふうに考えるわけです。
そういうことで共通一次試験は、高等学校生として高等学校における全人格養成というものについて対応した教科、それの学力を全般的に見る、そういうことを私どもとしては高等学校教育における達成度という表現で使わしていただいているわけです。その基本になる教科科目についてそれを共通一次としてやる。高等学校卒業というものは、それだけの内容は全部持っているべきはずであるということを判断させていただく、それが達成度を見るために共通一次テストをやるのだという趣旨でございます。
さらに、今度は各大学がそれぞれにキャラクターを持っているし、そのキャラクターに対応して受験生は志願してきているはずでありますから、そういう点についてはそれぞれの大学がそれぞれのキャラクターに対応して、いまの共通一次の趣旨を十分理解した上で二次試験を大学が課したらよろしい。そうしますと資料が多くなると同時に、さらに従来から現在でもあります調査書なり云々は、そのままそれを引き継ぐ形ということで総合判断をしたらよろしかろうというようなことを考えたわけでございます。
さらに、ここにありますように、その問題と一期校、二期校の問題が一つございます。これは国大協として実は一期校、ちょっと話を前に戻した方がいいかもしれませんでしたが、この入学試験という問題は、試験そのものの改善と、それからもう一つ問題になっております一期校、二期校の問題があるわけで、その二つの問題を国大協としては並行して検討を進めてきたわけですが、一期校、二期校の現在の状態というのは非常に不合理な面がございます。いい面は、受験生に対して少なくも二度の受験の機会を与える、これは受験者側からしますと非常に大きなメリットだと私は思います。ところが別の立場からしますと、社会通念でいうところの格差というものを生んできてしまっております。これは大学自体にもそういう通念的な気持ちを持つようになると同時に、受験生自身もそれを持つという問題が一つ出てきております。そういう点をどう解消したらいいか、一期校、二期校を存続したままでその点をうまく解消できるかという問題が一つはあるわけです。
御承知と存じますけれども、実は現在本当に公平的に二度の機会があるかというと、その点で非常に疑問があるわけです。と申しますのは、たとえば法学部という例で申しますと、法学部という学部を持っている大学はすべて一期校だけでございまして、二期校にはございません。もう一つ医学部も、二期校にもございますが、大部分が一期校に属しております。そういうことからくるアンバランスが、本当の公平な立場で二回の機会を与えるということに対して一つの問題点を私どもは感ずるわけです。そういうようなことを解消するためには一期校、二期校という制度をどうしたらいいかというのをやはり国大協で数年にわたりまして検討を進めてまいりました。たとえば同種の大学というものを大学単位でうまく一期校、二期校に分けられないか、あるいは地域的に分けられないか、あるいはいまの例として法学部、医学部を申しましたけれども、各大学の持つ学部構成というものを平均的に一期、二期に分けて考えることができるかどうかということをずいぶんと検討してまいりました。それをやりますと、従来にも増したデメリットを起こす問題が非常に強いというふうになりましたわけで、さらに受験生側からしますと、例の現在の二期校は時期的に年度末に非常に詰まっておりますし、そしてそれにもかかわらず試験をしなくてはならない、さらに受験生が非常に殺到してきているという状態で、実施という面でも非常な混乱を起こしているのが実情でございます。と同時に、欠員、欠席、欠席は受験の場合の欠席でございますが、後で入学時の欠員関係というものが、特に国立大学の場合には欠員を起こすということは非常に大きな問題であろうかと思います。この制度はそのこととかなりひっかかってくる問題であります。
そういう不都合な点を考えますと、二度受けるという点については問題はあろうけれども、いまのような合理性なり何なりを考えますと、この際一期校、二期校を解消して一度にやってはどうか。当然にその場合には入試全体をどうすべきかということと結びつけて考えなくてはいかぬということが出てまいりますので、実は共通一次ということが可能であるというふうに私どもは結論を持ってきましたのですが、いまのような共通一次の状態を考えますと、一期校、二期校を解消して、同時にそれをやってしまうというところでかなりの問題が解消してきて、合理的にそれを処置できるのではないかというような一つの考えを持つに至ったわけでございます。
大体そのようなことで進んできたわけですけれども、要は高等学校において、高等学校卒業生であるということとして、いわば人文社会系の学生であろうともあるいは自然科学系に適性を持った学生であろうとも、基本的に持っている高等学校としての達成度というものを共通一次でやる。これは大学共通に考えられることで、それに加えてそれぞれの大学が持っている特質と受験生の個性、適性と結びつけた第二次の試験をやる。それの資料を総合的に判断して、さらに調査書なりその他のことを加えて受験生を選抜させていただくということは非常に合理性があるのではないかというふうに考えたわけです。このような考え方に対して、公立大学が非常にその点を評価していただきまして、早速利用したいという申し出をいただいたわけでして、その点私どもとしては非常に喜んでおるわけでございます。
このようなことが、ともかく出発点は、同じ土俵を持っている国立大学だけでもいいから、大学入試というこの社会問題に対して対応しなくてはならぬということで具体的な一歩を踏み出したわけですが、それが公立大学なり私立大学の関心を呼ぶに至ったという点を考えまして、われわれとしては大学全体の入試が今後これを一つの契機として合理的な方向に歩んでいくということを願っているわけでございます。
大体そのようなことで、具体的な点はこの二の項目以外からあるいは出てくるかもしれませんですが……。
この発言だけを見る →第一のテーマでございますが、国立大学協会として現在共通一次試験ということを考えるに至ったわけでございますが、それにつきまして、この質問については、国大協がそもそも最初に発足した経緯を申し上げることが一番よろしいのではないかというふうに思いますが、国大協会がこの大学入試問題を取り上げましたのが四十五年、ですからもう足かけ七年になります。いわば国大協会設立と同時に始まったと言えるかと思います。
御承知のように、国立大学の入学試験は、戦前は各大学が個々別々に独自な入学試験をやってきたわけでございますが、戦後、急に大学の数がふえ、さらにそれに伴いまして大学への進学率が二〇%、三〇%、現在四〇%近くなってきているわけですが、そういう実情を考えますと、大学全体の入学試験というものについて社会的な問題が非常に多くなってきた、それに伴いまして大学側もそれを考えるべき時点に来ているのではないか。当時国立大学としますと六十五ございました。現在八十八でございますか、当時国立大学が六十五ですが、それでも非常にそのような大学入学試験問題というのが社会問題になりつつあった時代でございますので、それに対応して大学全体の入学試験というものをどうあるべきかということを考えるべしというのが、国大協の第二常置委員会がその種の問題を扱う委員会でございますが、そこで取り上げを始めたわけでございます。そこで、入学試験全般について改善しなくちゃならぬという出発点から始まったわけでございますが、国立大学あるいは公立大学ないし私立大学というものがそれぞれ設置形態が違っておりますし、さらにまた大学の内容の性格がそれぞれに異なった点が非常に多いであろうということから、その全体の入学試験改革というものをともかく同じ土俵を持っている国立大学だけでも考えていくべきではないか、そこで一つの入学試験問題ということに対する国立大学としての責任をその場で果たす必要がないであろうかという考え方を持ったわけでございまして、その結果が、現在私ども御審議いただいております共通一次試験の方式を考え出したわけですが、その時点になりましてから、公立大学からこの試験方式に対して利用したいという申し出をいただいてきておるわけでございます。このことは大学協会としては非常にありがたいことだと思っておりますが、私立大学の当局者の二、三の方々からもそれに対し大きな関心をお示しいただいているということは、私ども承知しておるわけでございますので、再出発点の大学というものの入学試験を改善するということがこのような公立大学あるいは私立大学に御関心をお持ちいただくに至ってきているということは、非常に重要なことだというふうに私ども考えております。当面、ともかく国立大学だけでもこの社会で重要問題視している入学試験というのに対応した答えを出すべきであろう、そのことでいま申しました共通一次方式を考えたわけでございます。
そこで、それの内容を少し触れさせていただいてよろしゅうございましょうか。——ここで問題になりますのは、大学入試ということについていろいろな批判がなされておりますが、それについての批判を私どもとしてやはり十分解析してそれに当たらなければならないということでございます。一つは、競争が激化してくるに従って、問題に対する批判が非常に多くなってきているということがございますし、さらに、いわゆる一発勝負という言葉で言われているように、ただ一回の入学試験で志願者が判定されるという一つの不公平さといいましょうか、不公平さということについて考えなければならぬということで、当然のことでありますが、現在でもそうですが、調査書あるいは面接、特に調査書については文部省からの指導もあるわけで、高等学校におけるこのような調査書というものをやはり十分に勘案しながら考えていかなければならぬ。その問題は現在もありますので、それはそのまま続行していくべきである。問題になるのは、こちらで選抜させていただく。選抜させていただくという点は、国立大学だけをともかく考えたわけですが、いま全国立大学の定員が約八万名でございます。推定の志願者がいまのところ大体三十万、こういうふうに私ども見ております。そういう志願者に対して定員が八万であるということからしますと、これはよしあしにかかわらず選抜ということをさせていただかなければならぬという実情がございます。そうなると、その選抜のあり方を十分に合理的に、しかも平等に、公平にやるべきであるという考え方に立って私どもは検討を進めなければならぬという立場に置かれているわけです。
そこで、いろんな批判にこたえるためにはどうしたらいいか。いわゆる一発勝負というようなことでありますので、やはり志願者というものを私どもが選抜するという立場をとったときに、十分な資料を持ってその志願者を判断する必要があろうということ。資料が多ければ多いほどいいはずであります。その一つが、現在も言われているような調査書とか面接とか、そういうことがその部分になるわけですが、学力試験についてもやはり資料が多くあってしかるべきであるということが考えられます。そういうようなことを勘案しながら、いろんな議論の末に共通一次というものと共通二次というものを組み合わせる。するとそこで、立場を変えますけれども、資料が二つそろうという点があるわけで、そういうような意味で共通一次それから二次テストというものを学力の場面で総合判断するという考え方がいまの合理性を持つのではないかというふうに考えるに至ったわけでございます。
ところで、一方、五十一年から高等学校の例の教科課程が変わってまいりました。高等学校の教科課程の内容を見ますと、最近また変わりましたが、現段階では、高等学校に入ってから卒業までの間に個人の一つの能力分化あるいは適性分化が起こってまいります。それに対応した意味で、低学年では必修科目が課せられております。それから中高学年になりますと、選択科目をそれに上乗せするという課程が、現在五十一年度に改定が行われております。その姿をやはり私どもは十分に考えなくてはならない。そういう状態と、学力試験についても資料を多くしなければならぬということをどう組み合わせるかという問題が出てくるわけでございます。そういう点で共通一次というのは、国立大学といえども、現在八十八ですけれども、それぞれにキャラクターがございまして、単科大学的なのから総合大学がありますし、同じ総合大学の同じ学部でも大学によって性質が違いますから、本来的に選抜はそれぞれの大学のキャラクターに従ってやるべきだという考え方が依然として理念的にあるわけであります。そのこともいまの問題にどう組み合わせるかという考え方が必要になってくるわけでございます。そういう点で考えますと、高等学校において必修科目を課しているということは、高等学校教育の中で全人格的な養成のためには、その科目は全部必要なんであるということに基盤があるのだと考えます。
さらに、高等学校の中で適性分化が個人個人で出てきたときは、それに選択科目が対応して考えられるのだということが考えられますので、つまり大学として共通的に考えられるのは、高等学校を卒業してきているという点で、基盤的に持っている内容を少なくも国立大学は共通的に判断する土俵があり得るのではないかということであります。それといまの共通必修科目がペイをする形になるわけであります。そこで共通一次試験は、いまの必修科目というものを課することによって共通一次をする。それは大学全体が共通的に志願者に対して判断し得る一つの基盤があるわけであります。
そこで、先ほどちょっと申しました、大学それ自身それぞれの学部でも一つの個性があるわけで、それを目指して志願してくるわけでございますから、その点の判断は各大学が第二次試験としてそれに対応した選択科目というものがございますから、それと見合った形で第二次試験というものを行う。そうしますと、一番最初に申しました趣旨が一応生きてくるのではないかというふうに考えるわけです。
そういうことで共通一次試験は、高等学校生として高等学校における全人格養成というものについて対応した教科、それの学力を全般的に見る、そういうことを私どもとしては高等学校教育における達成度という表現で使わしていただいているわけです。その基本になる教科科目についてそれを共通一次としてやる。高等学校卒業というものは、それだけの内容は全部持っているべきはずであるということを判断させていただく、それが達成度を見るために共通一次テストをやるのだという趣旨でございます。
さらに、今度は各大学がそれぞれにキャラクターを持っているし、そのキャラクターに対応して受験生は志願してきているはずでありますから、そういう点についてはそれぞれの大学がそれぞれのキャラクターに対応して、いまの共通一次の趣旨を十分理解した上で二次試験を大学が課したらよろしい。そうしますと資料が多くなると同時に、さらに従来から現在でもあります調査書なり云々は、そのままそれを引き継ぐ形ということで総合判断をしたらよろしかろうというようなことを考えたわけでございます。
さらに、ここにありますように、その問題と一期校、二期校の問題が一つございます。これは国大協として実は一期校、ちょっと話を前に戻した方がいいかもしれませんでしたが、この入学試験という問題は、試験そのものの改善と、それからもう一つ問題になっております一期校、二期校の問題があるわけで、その二つの問題を国大協としては並行して検討を進めてきたわけですが、一期校、二期校の現在の状態というのは非常に不合理な面がございます。いい面は、受験生に対して少なくも二度の受験の機会を与える、これは受験者側からしますと非常に大きなメリットだと私は思います。ところが別の立場からしますと、社会通念でいうところの格差というものを生んできてしまっております。これは大学自体にもそういう通念的な気持ちを持つようになると同時に、受験生自身もそれを持つという問題が一つ出てきております。そういう点をどう解消したらいいか、一期校、二期校を存続したままでその点をうまく解消できるかという問題が一つはあるわけです。
御承知と存じますけれども、実は現在本当に公平的に二度の機会があるかというと、その点で非常に疑問があるわけです。と申しますのは、たとえば法学部という例で申しますと、法学部という学部を持っている大学はすべて一期校だけでございまして、二期校にはございません。もう一つ医学部も、二期校にもございますが、大部分が一期校に属しております。そういうことからくるアンバランスが、本当の公平な立場で二回の機会を与えるということに対して一つの問題点を私どもは感ずるわけです。そういうようなことを解消するためには一期校、二期校という制度をどうしたらいいかというのをやはり国大協で数年にわたりまして検討を進めてまいりました。たとえば同種の大学というものを大学単位でうまく一期校、二期校に分けられないか、あるいは地域的に分けられないか、あるいはいまの例として法学部、医学部を申しましたけれども、各大学の持つ学部構成というものを平均的に一期、二期に分けて考えることができるかどうかということをずいぶんと検討してまいりました。それをやりますと、従来にも増したデメリットを起こす問題が非常に強いというふうになりましたわけで、さらに受験生側からしますと、例の現在の二期校は時期的に年度末に非常に詰まっておりますし、そしてそれにもかかわらず試験をしなくてはならない、さらに受験生が非常に殺到してきているという状態で、実施という面でも非常な混乱を起こしているのが実情でございます。と同時に、欠員、欠席、欠席は受験の場合の欠席でございますが、後で入学時の欠員関係というものが、特に国立大学の場合には欠員を起こすということは非常に大きな問題であろうかと思います。この制度はそのこととかなりひっかかってくる問題であります。
そういう不都合な点を考えますと、二度受けるという点については問題はあろうけれども、いまのような合理性なり何なりを考えますと、この際一期校、二期校を解消して一度にやってはどうか。当然にその場合には入試全体をどうすべきかということと結びつけて考えなくてはいかぬということが出てまいりますので、実は共通一次ということが可能であるというふうに私どもは結論を持ってきましたのですが、いまのような共通一次の状態を考えますと、一期校、二期校を解消して、同時にそれをやってしまうというところでかなりの問題が解消してきて、合理的にそれを処置できるのではないかというような一つの考えを持つに至ったわけでございます。
大体そのようなことで進んできたわけですけれども、要は高等学校において、高等学校卒業生であるということとして、いわば人文社会系の学生であろうともあるいは自然科学系に適性を持った学生であろうとも、基本的に持っている高等学校としての達成度というものを共通一次でやる。これは大学共通に考えられることで、それに加えてそれぞれの大学が持っている特質と受験生の個性、適性と結びつけた第二次の試験をやる。それの資料を総合的に判断して、さらに調査書なりその他のことを加えて受験生を選抜させていただくということは非常に合理性があるのではないかというふうに考えたわけです。このような考え方に対して、公立大学が非常にその点を評価していただきまして、早速利用したいという申し出をいただいたわけでして、その点私どもとしては非常に喜んでおるわけでございます。
このようなことが、ともかく出発点は、同じ土俵を持っている国立大学だけでもいいから、大学入試というこの社会問題に対して対応しなくてはならぬということで具体的な一歩を踏み出したわけですが、それが公立大学なり私立大学の関心を呼ぶに至ったという点を考えまして、われわれとしては大学全体の入試が今後これを一つの契機として合理的な方向に歩んでいくということを願っているわけでございます。
大体そのようなことで、具体的な点はこの二の項目以外からあるいは出てくるかもしれませんですが……。
藤
藤波孝生#3
○藤波小委員長 きょういろいろお伺いをいたしますことのいわば総論的なことを最初にいまお答えをいただいたわけでございますが、お手元のメモにございますように、具体的に各項目についてはそれぞれ後からまた突っ込んでいきたいと思いますけれども、いま御意見の発表のございました総論的なことについて御質疑がございましたらどうぞお出しをいただきたいと思います。
この発言だけを見る →木
木島喜兵衞#4
○木島小委員 大変に御努力いただいている点は感じました。
いまのお話しございましたように、八万のところに三十万も来る、したがって選抜せざるを得ない。だが大学全体で見れば、浪人を考えなければ大ざっぱに言って高校からの進学者数と大学の入れ物は大体同じ、それに浪人を入れて平均したら一・三四倍になるのでございましょうか。ですから、本来枠だけで言えばそう大きな問題が、社会的な問題で言われるほど問題ないのかもしれません。あるのは、格差があるから有名校に殺到するからよけいになるという視点に立てば、今回の制度で格差が一体どうなるのか。格差がもしこのことによって拡大するならば、このことの出発が格差によって起こっておるとすれば、このことによって格差がもしも仮に拡大されるというようなことがあれば、この目的、皆さんの御苦心というものの基本が崩れてくることになりはしないか。
一つは、私立が入らないということは、これから御期待なさるという最後の言葉がございましたけれども、私立が入らないということになりますと、学生の負担からしますと、さっき一期、二期の二回のチャンスということがありましたが、一回にしてもしょせん私立の方も受けることになりますね。子供の負担は、それで試験の形が違いますから負担にもなりますが、同時に国立の第一次に受けて落ちた者が私立に行くというような形になる可能性はある。あるいは第一次テストで高い点を取った者が有名校に志望をするということになっていくのだろうと思いますね。すると、いままでは受験生が自分の判断で有名校に殺到したのですけれども、今度は共通一次テストという一つの公式なといいますか、そういうものの中で、何点ぐらいの者はたとえば東大、何点の者は加藤先生の東北大、こういう公認的格差になり、かつ国公私立の格差という面でも大きな格差が出てくるのではないか。そういうことにもしなれば、先ほど申しましたようにこの一番基本のねらいというものが、格差があるから殺到する、そのことの解消のために出発したものが、実は格差を拡大していくということになりはしないかという点がいままでの中でも多く議論のあったところなのですけれども、いかがなものでございましょう。
この発言だけを見る →いまのお話しございましたように、八万のところに三十万も来る、したがって選抜せざるを得ない。だが大学全体で見れば、浪人を考えなければ大ざっぱに言って高校からの進学者数と大学の入れ物は大体同じ、それに浪人を入れて平均したら一・三四倍になるのでございましょうか。ですから、本来枠だけで言えばそう大きな問題が、社会的な問題で言われるほど問題ないのかもしれません。あるのは、格差があるから有名校に殺到するからよけいになるという視点に立てば、今回の制度で格差が一体どうなるのか。格差がもしこのことによって拡大するならば、このことの出発が格差によって起こっておるとすれば、このことによって格差がもしも仮に拡大されるというようなことがあれば、この目的、皆さんの御苦心というものの基本が崩れてくることになりはしないか。
一つは、私立が入らないということは、これから御期待なさるという最後の言葉がございましたけれども、私立が入らないということになりますと、学生の負担からしますと、さっき一期、二期の二回のチャンスということがありましたが、一回にしてもしょせん私立の方も受けることになりますね。子供の負担は、それで試験の形が違いますから負担にもなりますが、同時に国立の第一次に受けて落ちた者が私立に行くというような形になる可能性はある。あるいは第一次テストで高い点を取った者が有名校に志望をするということになっていくのだろうと思いますね。すると、いままでは受験生が自分の判断で有名校に殺到したのですけれども、今度は共通一次テストという一つの公式なといいますか、そういうものの中で、何点ぐらいの者はたとえば東大、何点の者は加藤先生の東北大、こういう公認的格差になり、かつ国公私立の格差という面でも大きな格差が出てくるのではないか。そういうことにもしなれば、先ほど申しましたようにこの一番基本のねらいというものが、格差があるから殺到する、そのことの解消のために出発したものが、実は格差を拡大していくということになりはしないかという点がいままでの中でも多く議論のあったところなのですけれども、いかがなものでございましょう。
飯
飯島宗一#5
○飯島参考人 いまの話は、私ども確かに共通第一次テストを行う場合の非常に重要な問題点であるというふうに考えております。
それで、問題はその大学の格差とは何を言うかという問題でありますけれども、これはたとえば大学の設置なり組織なり内容なりの基本的条件にいろいろな違いがある。たとえば定員とか財政の面で違いがあるという格差が基本的な問題だと思いますが、それ以外に言われているところの格差というのは、たとえば卒業生に対する社会的評価が非常に違う、あるいは地理的な便、不便があるというふうな問題等がいわば総合的に格差ということの中にほうり込まれておる。それで御指摘のように、日本の大学の中で少なくとも、設置形態からいって、国立大学と私立大学という非常に大きな二つのジャンルがございます。それでこれは、たとえば学生の就学に対する経費の負担だけから考えてみましても、一般論として、私立大学に比べて国立大学の方が負担が非常に安いということで、すでにそこに基本的な差異があるわけでございます。私ども国立大学協会としては、もちろんこういう日本における大学格差というものは、解消する方向に進まなければならないという前提に立っておることは申し上げるまでもないことであります。
そこで、先ほどの御質問に関連して、共通一次試験を行った場合に、いま御指摘のように、共通一次試験の成績というものによって、言われているところの総合的な格差がある程度浮き彫りになってくるということは、可能性としては否定できないと私は思います。しかし、それは問題を浮き立たせただけにすぎないのであって、格差を助長するということとすぐつながるかどうかは、今後のわれわれの対応の問題ではないかというふうに考えております。つまり、いままでは受験生の任意の選択というふうにおっしゃいましたけれども、しかし受験生の任意の選択によって格差は存在しているのではなくて、現に社会的にいろいろな意味での格差は確かに存在している。そのことが、今般の共通一次試験を試行することによってあるいは浮き立ってくるかもしれませんけれども、その浮き立ってきた場面で、私ども大学関係者もあるいは国民全体もそのはっきり浮き立ってきた格差をどう対処していくかということをもう少し明確に取り組むということが、直ちに次の手だてとして存在をしなければならない。たとえばその格差と言われているものの中に、いま申し上げたように、設置の基本の条件にかかわる格差というものが確かに存在するとすれば、それは修正する方向で努力しなければなりませんし、また卒業生を受け取る社会の側に、いろいろな従来からの考え方からいって格差感を生ぜしめるような問題点があるとすれば、その解消に努力をしなくてはならない。
それから本来、仮に社会的な受け取り方の基本条件が同じであっても、やはり大学といえども大学の構成員が一生懸命に教育に献身をし、そして成果を上げるということがなければ、どうしてもいい大学と悪い大学ができてくるのはあたりまえのことであります。その大学関係者に残された教育研究の努力の余地によるところの各大学の内容の充実のための一種の競争と申しますか、お互いに励み合うという部分のことは、これはいつの世になっても残っても構わないことであって、むしろ各大学は学生を含めてその努力をする。
ですから、御指摘のように、この問題によってあるいは日本における大学格差というものが浮かび上がってくるかもしれませんけれども、それは事態を新しくつけ加えることではなくて、事態をより明確にする一つの現象であるというふうに考えれば、当然われわれはその明確に浮き上がってきたものに対して対処をしなければならない。根本的に申し上げれば、これは共通一次を課したから格差が拡大するという程度の問題ではなくて、共通一次試験をやろうがやるまいが、現にわれわれの日本の大学問題として基本的な格差問題というものが存在をしている。もしこのことが共通一次試験によって浮き上がってき、それが悪循環の方向へ転換するというようなことになるならば、大学としてもあるいは国全体としてもあるいは国民全体としても、それに対する対処を、いまよりもさらに明確な認識で進めなければならないというふうに、私どもは考えております。
この発言だけを見る →それで、問題はその大学の格差とは何を言うかという問題でありますけれども、これはたとえば大学の設置なり組織なり内容なりの基本的条件にいろいろな違いがある。たとえば定員とか財政の面で違いがあるという格差が基本的な問題だと思いますが、それ以外に言われているところの格差というのは、たとえば卒業生に対する社会的評価が非常に違う、あるいは地理的な便、不便があるというふうな問題等がいわば総合的に格差ということの中にほうり込まれておる。それで御指摘のように、日本の大学の中で少なくとも、設置形態からいって、国立大学と私立大学という非常に大きな二つのジャンルがございます。それでこれは、たとえば学生の就学に対する経費の負担だけから考えてみましても、一般論として、私立大学に比べて国立大学の方が負担が非常に安いということで、すでにそこに基本的な差異があるわけでございます。私ども国立大学協会としては、もちろんこういう日本における大学格差というものは、解消する方向に進まなければならないという前提に立っておることは申し上げるまでもないことであります。
そこで、先ほどの御質問に関連して、共通一次試験を行った場合に、いま御指摘のように、共通一次試験の成績というものによって、言われているところの総合的な格差がある程度浮き彫りになってくるということは、可能性としては否定できないと私は思います。しかし、それは問題を浮き立たせただけにすぎないのであって、格差を助長するということとすぐつながるかどうかは、今後のわれわれの対応の問題ではないかというふうに考えております。つまり、いままでは受験生の任意の選択というふうにおっしゃいましたけれども、しかし受験生の任意の選択によって格差は存在しているのではなくて、現に社会的にいろいろな意味での格差は確かに存在している。そのことが、今般の共通一次試験を試行することによってあるいは浮き立ってくるかもしれませんけれども、その浮き立ってきた場面で、私ども大学関係者もあるいは国民全体もそのはっきり浮き立ってきた格差をどう対処していくかということをもう少し明確に取り組むということが、直ちに次の手だてとして存在をしなければならない。たとえばその格差と言われているものの中に、いま申し上げたように、設置の基本の条件にかかわる格差というものが確かに存在するとすれば、それは修正する方向で努力しなければなりませんし、また卒業生を受け取る社会の側に、いろいろな従来からの考え方からいって格差感を生ぜしめるような問題点があるとすれば、その解消に努力をしなくてはならない。
それから本来、仮に社会的な受け取り方の基本条件が同じであっても、やはり大学といえども大学の構成員が一生懸命に教育に献身をし、そして成果を上げるということがなければ、どうしてもいい大学と悪い大学ができてくるのはあたりまえのことであります。その大学関係者に残された教育研究の努力の余地によるところの各大学の内容の充実のための一種の競争と申しますか、お互いに励み合うという部分のことは、これはいつの世になっても残っても構わないことであって、むしろ各大学は学生を含めてその努力をする。
ですから、御指摘のように、この問題によってあるいは日本における大学格差というものが浮かび上がってくるかもしれませんけれども、それは事態を新しくつけ加えることではなくて、事態をより明確にする一つの現象であるというふうに考えれば、当然われわれはその明確に浮き上がってきたものに対して対処をしなければならない。根本的に申し上げれば、これは共通一次を課したから格差が拡大するという程度の問題ではなくて、共通一次試験をやろうがやるまいが、現にわれわれの日本の大学問題として基本的な格差問題というものが存在をしている。もしこのことが共通一次試験によって浮き上がってき、それが悪循環の方向へ転換するというようなことになるならば、大学としてもあるいは国全体としてもあるいは国民全体としても、それに対する対処を、いまよりもさらに明確な認識で進めなければならないというふうに、私どもは考えております。
木
木島喜兵衞#6
○木島小委員 私だけ独占して済みません、もう一問でやめますから。
お話はわかります。先生おっしゃるように、国立大学だけで言えば、二次との絡みで、たとえばおのおのの大学の個性化というのでありましょうか、特徴というのでありましょうか、そういうものの中から格差というものを自主的になくしていくということができてくるであろうという御説、これはわかります。けれども、時間があれですから一つだけ言うと、国大の中における格差と、もう一つは国公私立の格差という二つがどうしても出てくると思うのです。その私立との格差の関係をやはり考えないと、国立大学だけの問題では国立大学として任務を完全に果たしたと言えないと思うのです。私立との関係では、国立と私立の格差は、社会的評価というのはこのことを通してかえって拡大をするのじゃないのか。なぜ私立も含めたことを最初からやれなかったのだろうかというところに、これはもう少し私の質問の最後に行くのかもしれませんが、その辺はどうなのでしょうか。
この発言だけを見る →お話はわかります。先生おっしゃるように、国立大学だけで言えば、二次との絡みで、たとえばおのおのの大学の個性化というのでありましょうか、特徴というのでありましょうか、そういうものの中から格差というものを自主的になくしていくということができてくるであろうという御説、これはわかります。けれども、時間があれですから一つだけ言うと、国大の中における格差と、もう一つは国公私立の格差という二つがどうしても出てくると思うのです。その私立との格差の関係をやはり考えないと、国立大学だけの問題では国立大学として任務を完全に果たしたと言えないと思うのです。私立との関係では、国立と私立の格差は、社会的評価というのはこのことを通してかえって拡大をするのじゃないのか。なぜ私立も含めたことを最初からやれなかったのだろうかというところに、これはもう少し私の質問の最後に行くのかもしれませんが、その辺はどうなのでしょうか。
飯
飯島宗一#7
○飯島参考人 先ほど私の申し述べたことは、格差と言って表現しておるのは、国立大学だけに限って申し上げているわけではなくて、私立大学も含めた日本全体の大学格差の問題というものは厳存するという趣旨で申し上げました。
それから、入学試験の問題を考える場合に、先ほど加藤参考人からお述べになったように、国大協も私学の問題を全く念頭に置かないで今日まで議論してきたわけではございません。現在、日本の中で国公私立が一堂に会していろいろな共通的なことを議論できる場というのは、御承知のように非常に乏しゅうございまして、唯一のその機関としては大学基準協会というものが存在しております。この大学基準協会でも、国公私立を通じた入学試験の改革という問題についてはいろいろ御議論があり、その基準協会における入学試験の改革の問題については国立大学協会も従来から御協力を申し上げ、意見交換をしております。それから、今日までの作業過程の中で、きわめてインフォーマルな形でありますけれども、私学関係の少なくとも三つの団体、御承知のように私学はこれまた大学の連合会が三つに分かれておりますけれども、それぞれの団体とも意見交換をしております。したがって、私どもの意識の中で、私立大学を含めた格差解消の方向への努力というものは終始いたしておりますけれども、これは国立大学が私学の問題に対して、もし容喙をするという誤解を受けるような運び方では問題があるということで、私どもは国立大学だけに閉じこもる考えは毛頭ございませんで、今後機会をとらえて、先ほど加藤参考人も申し上げたように、私学の問題も一緒に考えていきたい。
それから、この共通一次試験が私学と国立ということで格差感を助長するということは、それほど強くはあらわれてこないのではないかというふうに私は考えております。これは見解の問題でございますから、根拠はございません。
この発言だけを見る →それから、入学試験の問題を考える場合に、先ほど加藤参考人からお述べになったように、国大協も私学の問題を全く念頭に置かないで今日まで議論してきたわけではございません。現在、日本の中で国公私立が一堂に会していろいろな共通的なことを議論できる場というのは、御承知のように非常に乏しゅうございまして、唯一のその機関としては大学基準協会というものが存在しております。この大学基準協会でも、国公私立を通じた入学試験の改革という問題についてはいろいろ御議論があり、その基準協会における入学試験の改革の問題については国立大学協会も従来から御協力を申し上げ、意見交換をしております。それから、今日までの作業過程の中で、きわめてインフォーマルな形でありますけれども、私学関係の少なくとも三つの団体、御承知のように私学はこれまた大学の連合会が三つに分かれておりますけれども、それぞれの団体とも意見交換をしております。したがって、私どもの意識の中で、私立大学を含めた格差解消の方向への努力というものは終始いたしておりますけれども、これは国立大学が私学の問題に対して、もし容喙をするという誤解を受けるような運び方では問題があるということで、私どもは国立大学だけに閉じこもる考えは毛頭ございませんで、今後機会をとらえて、先ほど加藤参考人も申し上げたように、私学の問題も一緒に考えていきたい。
それから、この共通一次試験が私学と国立ということで格差感を助長するということは、それほど強くはあらわれてこないのではないかというふうに私は考えております。これは見解の問題でございますから、根拠はございません。
小
小島静馬#8
○小島小委員 いま飯島先生の御指摘の点、私は非常に同感でございます。と申しますのは、ただ格差の拡大ということ、あるいは格差ということに注目をし過ぎますと、実は量的な拡大を図り得たとしても資質の低落を招く、こういうことになるだろうと思います。受験地獄というような言葉で表現されているその不合理は改善しなければなりませんが、さりとて、人間には本来資質の優劣がございます。やはりその資質をどういうふうに伸ばしていくかというところに教育の基本がなければならない。この点はやはり大切なことだろう。ただ楽にしてやればいいという考え方であってはならぬという気がするのですがね。そういう中で難問奇問が出て、何が何だか、学校以外の勉強をしなければいかぬというふうなことで全体をゆがめる、初等教育をゆがめてしまう、あるいは中等教育をゆがめてしまう、そういう観点から高等教育への入試の関門というものを考えていかなければならぬ。私は、スタートというものを明確にしていかなければならないという考え方の中で、一つこのことが重要な動機であったというふうに感ずるわけですね。そういうことの中で、それでは具体的には一次共通テスト、それから二次テスト、それからその中に問題になってくるところの高校の調査書のようなものですね。さらに、そこまで言いますと、高校同士が、あの学校はどの程度のレベルだとかいうふうな認識というものが当然あるわけですが、そういうものをひっくるめまして、配点はどういうふうになさるのか、選抜の中での配点はそれぞれ各大学が自主的に行うのか、それとも大まかなガイドラインがあるものなのか、そういう点はいかがですか。
この発言だけを見る →飯
飯島宗一#9
○飯島参考人 それでは初めの部分だけちょっと簡単にお答えして、あとは加藤参考人から具体的なことをお答えいただくようにいたしますが、仰せのとおり、人間の資質、能力に少なくともいろいろなバラエティーがあるということは、私は事実だと思います。これを直ちに一般論として優劣という形で言うかどうかというのは、これは私ども医学等をやっておりますけれども、なかなか容易には決められない。ただ、資質のバラエティーというものに応じてそれぞれのバラエティーを社会が十分に受け入れ、またそれぞれの人がそれぞれの特徴を持った、それぞれに与えられた能力をなるべく豊かに伸ばしていくような形で、高等教育及びその選抜の問題も考えていきたい。ですから、いま格差という形で上下の問題で考えられている事柄をもう少し平面的な場面でのいろいろな豊かな展開という点で考えていけないかということが一般論として私ども考えておることでございまして、物理に非常に能力のある人は大いに物理をやる、しかし、たとえば絵をかくことに非常に能力がある人はそちらを伸ばしてもらいたいというようなことをなるべく多くの、先ほど加藤参考人もおっしゃった多面的な条項、多面的な評価というもので、それぞれを位置づけていくという作業を私ども国立大学関係者も入学試験選抜という場面でも考えていきたいという趣旨でございます。
この発言だけを見る →加
加藤陸奥雄#10
○加藤参考人 いま飯島参考人のお話ししたのは、これは一般論でございますが、いまお話ございました具体的な配点云々に関連したことを申し上げたいと思いますが、おっしゃるように、現在大学の入試で批判されている面は、いまお話ございましたように、いわば高等学校卒業程度をオーバーするようなむずかしい問題を出す、あるいはいわゆる俗に言う難問奇問というようなものが出てくるんだ。そのことが一具体的場面では格差問題ということにもつながっている面があろうかと思うのです。そういう点はやはり解消しなくてはなりませんので、そういう点で共通一次を考えていくということは、そこに非常に大きなウエートがかかっているわけでして、この共通一次をやりますときの出題なりなんなりは、全国の大学教官が寄り集まりまして、その問題設定をするという方式をとっておりますので、おかげさまで昨年までの実験的なテストをやっておりますが、その段階での問題に対する評価は、高等学校関係からも非常にいい、妥当な問題であるというようなことの批評をいただいているわけです。そういうことが高等学校の全般の教育というものの目印を置いた意味での設問がなされるという点は非常に重要なことだと思っております。
それに対応して今度は、いま先ほどからお話がありますように、各大学の持つ特性、したがって、受験生がそれに対応して特性を持っている。それの結びつきを二次試験でやろうという形になっておるわけでして、ですから、共通一次は、その意味では高等学校全体の教育に対応するような妥当な、いわば従来から言いますと、難問というものではなくて、適切な問題が設定される可能性がある。それといまの個人の適性というものが、二次で組み合わさる。そこの点数配分をどうするのかというお話だと思いますが、そこは、共通一次と二次の状態をうまくどう組み合わせるかという点は、これは各大学に任せてございます。ですから、まだはっきりいたしません。各大学が共通一次と二次をどういうウエートでかみ合わせるかというのは、いま飯島参考人のお話にもありますように、それぞれの受験生の個性を伸ばすようにという立場を、それぞれ性格を持った学部がそれを判断するという形でございますので、そういう趣旨から一次、二次の点数配分のウエートというものは、大学の良識において、その点をいまの趣旨を踏まえた上で考えるべしということにしてあるわけでございます。
この発言だけを見る →それに対応して今度は、いま先ほどからお話がありますように、各大学の持つ特性、したがって、受験生がそれに対応して特性を持っている。それの結びつきを二次試験でやろうという形になっておるわけでして、ですから、共通一次は、その意味では高等学校全体の教育に対応するような妥当な、いわば従来から言いますと、難問というものではなくて、適切な問題が設定される可能性がある。それといまの個人の適性というものが、二次で組み合わさる。そこの点数配分をどうするのかというお話だと思いますが、そこは、共通一次と二次の状態をうまくどう組み合わせるかという点は、これは各大学に任せてございます。ですから、まだはっきりいたしません。各大学が共通一次と二次をどういうウエートでかみ合わせるかというのは、いま飯島参考人のお話にもありますように、それぞれの受験生の個性を伸ばすようにという立場を、それぞれ性格を持った学部がそれを判断するという形でございますので、そういう趣旨から一次、二次の点数配分のウエートというものは、大学の良識において、その点をいまの趣旨を踏まえた上で考えるべしということにしてあるわけでございます。
小
小島静馬#11
○小島小委員 もう一つ、関連して。
いま言いました配点の問題は一次、二次の絡み合わせで大学独自ということはわかりました。
そこで、もう一つ調査書の問題ですね。これはどの程度に御参照になりますか。
この発言だけを見る →いま言いました配点の問題は一次、二次の絡み合わせで大学独自ということはわかりました。
そこで、もう一つ調査書の問題ですね。これはどの程度に御参照になりますか。
加
加藤陸奥雄#12
○加藤参考人 調査書につきましては、現在の各大学が——一応私ども国立大学という表現を使わしていただきますが、現在の大学がやっております状態を促進するという趣旨を持っておりますけれども、その点について私どもずっと研究してきた段階においては特に取り上げておりませんが、その取り上げ方も調査書のそれの参考に仕方も各大学が、いま先ほどからお話になっているような趣旨に沿って調査書を利用すべしということにとどまっております。一律的にどうすべしということは打ち出してございません。
この発言だけを見る →西
西岡武夫#13
○西岡小委員 国大協の先生方に国大協としての基本的な御認識というものを二点ばかりお尋ねしたいのですが、一点は、国大協としては現在のわが国の高等教育機関の数が多過ぎるという御認識はないのかどうか。高等教育というものが量的に拡大し過ぎているという御認識がおありかどうか。これが一点です。
もう一つは、入試の問題を考える場合に、高等教育を受けるためには一定の平均的な能力が前提というふうにお考えなのか。先ほど飯島先生はそれぞれの才能というものを伸ばしていくべきだ、それぞれの能力というものを伸ばしていくべきだということを具体的におっしゃったわけですけれども、それにしても高等教育機関に入学するためには、その人の特別の才能以外の基礎的な学力というものをやはり大学として要求なさるのかどうか、そこのところの兼ね合いですね。
この二点をお尋ねいたします。
この発言だけを見る →もう一つは、入試の問題を考える場合に、高等教育を受けるためには一定の平均的な能力が前提というふうにお考えなのか。先ほど飯島先生はそれぞれの才能というものを伸ばしていくべきだ、それぞれの能力というものを伸ばしていくべきだということを具体的におっしゃったわけですけれども、それにしても高等教育機関に入学するためには、その人の特別の才能以外の基礎的な学力というものをやはり大学として要求なさるのかどうか、そこのところの兼ね合いですね。
この二点をお尋ねいたします。
飯
飯島宗一#14
○飯島参考人 私ばかり申し上げて恐縮ですが、まず第一の、日本の高等教育機関が多過ぎるかどうかというのは、私どもは多過ぎるということは簡単には言えないと思います。と申しますのは、問題はむしろ高等教育というものの中身は何であるかということにかかわってくるので、もし高等教育ということを最近アメリカ等で言われておりますポストセカンダリーエデュケーションという言葉に置きかえるといたしますと、社会がますます高度化し、豊かになり、そうして文化的にも発展していく要因としてポストセカンダリーエデュケーションの機会というものは、それを望むなるべく多くの市民に与えられるというのは、これは一つの必然的な方向であって、その限りにおいてもし高等教育という言葉をポストセカンダリーエデュケーションに置きかえるとすれば、現在でもう十分だという議論にはならない。ただポストセカンダリーエデュケーションの中で従来たとえば国立大学などが行ってきました高等教育と申します部分は、最小限度三つの具体的な目標がございます。
一つは、専門家ないしはセミプロフェッショナル、あるいはある資格を持った社会通念としてこれだけの能力、資格が欲しいという人を養成する、つまり専門家養成ということが一つでございます。
それから第二に、新しい学問を生んでいくための研究者の学問的後継者の養成ということがございます。
それから第三番目に、ポストセカンダリーエデュケーションの意味で現在われわれが持っている、あるいは新しくできていく学問、知識、文化をなるべく多くの市民に広める、与えるという三つの要素がすでに現在の国立大学の中には含まれておりますが、その中でプロフェッショナルの養成あるいは研究後継者の養成という問題はそれぞれの専門領域の内容に従ってそれに最も有効に取り組んでいってもらうためのある一定の素質、条件が必要であるということは、これはもう明らかでございます。ですから、私どもはこのポストセカンダリーエデュケーションの意味での高等教育というものは今後ますます拡大をしていく必要があると思いますけれども、その中で上下の問題ではなしに、機能分担の問題としてポストセカンダリーエデュケーションにかかわるインスティチューションがそれぞれのミッションに応じた働きを今後整理をしていく。その中で国立大学はいままでの伝統、現状から考えまして、その中にプロフェッショナルの養成と学問的後継者の養成という重要な社会的使命を持っておりまして、この部分については、それぞれの専門分野あるいはそれぞれの目標に応じてある一定の能力、素質というものを要求するということはやむを得ないことであると申しますのは、もしそれを無視してだれにでも、たとえば数学の研究者の道を開放する、だれにでも非常に高度な物理学の研究の道を開放するといたしましても、それは実際上実効も上がらず、意味のないことでありますから、そういう部分に関してはある一定の素質の要求が行われるということは当然ではないかと思います。
この発言だけを見る →一つは、専門家ないしはセミプロフェッショナル、あるいはある資格を持った社会通念としてこれだけの能力、資格が欲しいという人を養成する、つまり専門家養成ということが一つでございます。
それから第二に、新しい学問を生んでいくための研究者の学問的後継者の養成ということがございます。
それから第三番目に、ポストセカンダリーエデュケーションの意味で現在われわれが持っている、あるいは新しくできていく学問、知識、文化をなるべく多くの市民に広める、与えるという三つの要素がすでに現在の国立大学の中には含まれておりますが、その中でプロフェッショナルの養成あるいは研究後継者の養成という問題はそれぞれの専門領域の内容に従ってそれに最も有効に取り組んでいってもらうためのある一定の素質、条件が必要であるということは、これはもう明らかでございます。ですから、私どもはこのポストセカンダリーエデュケーションの意味での高等教育というものは今後ますます拡大をしていく必要があると思いますけれども、その中で上下の問題ではなしに、機能分担の問題としてポストセカンダリーエデュケーションにかかわるインスティチューションがそれぞれのミッションに応じた働きを今後整理をしていく。その中で国立大学はいままでの伝統、現状から考えまして、その中にプロフェッショナルの養成と学問的後継者の養成という重要な社会的使命を持っておりまして、この部分については、それぞれの専門分野あるいはそれぞれの目標に応じてある一定の能力、素質というものを要求するということはやむを得ないことであると申しますのは、もしそれを無視してだれにでも、たとえば数学の研究者の道を開放する、だれにでも非常に高度な物理学の研究の道を開放するといたしましても、それは実際上実効も上がらず、意味のないことでありますから、そういう部分に関してはある一定の素質の要求が行われるということは当然ではないかと思います。
藤
飯
飯島宗一#16
○飯島参考人 したがいまして、いま第二の問題もあわせてお答えをしたわけでございますが、国立大学共通と申しましても、二次試験がかみ合わさって、たとえば教育学部のこういう部分についてはこういう人が欲しい、あるいは医学部の医師として専門家を養成するためにはこれだけの素質の人が欲しいということは当然残ってまいりますし、それは最終的な意味での能力ばかりではなくて、私どもの教育責務から考えまして、教育することが効果があり可能であり、私どもが責任を持てるという範囲でのある素質が要求される部分というのは確かにございます。
この発言だけを見る →西
西岡武夫#17
○西岡小委員 ちょっとそれに関連して。そうしますと、いまの飯島先生のお話をさらに進めて展開をしていきますと、大学における量的な拡大と質的な充実、質的なものについての要請という、二つのある意味では相矛盾する役割りを、大学は矛盾の中に引き受けなければならないというふうにお考えなのか、それとも量的拡大と質的充実ということは相矛盾するものであるから当然質的な要求、先ほどおっしゃった専門家というものと学問の後継者を養成するというような役割りを果たす高等教育機関と、三番目に御指摘のあったいわば量的拡大にこたえる高等教育機関という二つの系統に日本の大学は再編成されるべきであるというふうにお考えなのか、その点はいかがでしょうか。
この発言だけを見る →飯
飯島宗一#18
○飯島参考人 問題を、いま西岡委員のおっしゃったように非常にクリアにある機能とある機能というものに分けますと、論理の必然性から言って、主としていま言った専門家養成、それから学問的後継者養成のインスティチューションと一般的な教養ないしは学問、文化を広く付与する機能というものとは論理的には二つの機能に分化しなければならないということになるのは当然であると思いますが、しかし私どもは、実は大学なりあるいは学校なりという機関というものが、それほど論理的にクリアにカットできる要素ばかりを持っているわけではない。たとえば研究を進めていく、あるいは専門家を養成するというものの中にも、多くの若い諸君に接触をする中からおのずから大学教育の中でそういう方向に定まっていく人を見守って養成するというゆとりが少なくともインスティチューションの中にはなければならない。それからまた、逆に一般市民にいわゆる高等と申しますか、ポストセカンダリーエデュケーションの意味での知識、文化を与えるといたしましても、与えるもとをどこが生産するかと言えば、どこかでやはり学問の創造ということをやらなければならない。ある部分は学問の創造だけに限られ、ある部分はその創造されたもののメッセンジャーにとどまるというような形態は、社会的、現実的に存在している大学としては、あるいは社会の進歩によってはそういうことがよりクリアになる部分が出てくる。たとえば付置研究所なりあるいは研究所がだんだんに高等教育機関の中であるシェアをふやしていくということはあるかもしれませんし、あるいはいわゆるコミュニティーカレッジのような形で主として知識の伝達のような部分が肥大していくということはあり得るかもしれませんし、それは当然のことでありますけれども、現在私どもが総合大学として認識しておりますのは、いま御指摘の矛盾的要素というものは存在するけれども、歴史的、現実的な存在形態としての総合大学というものは、その矛盾をなるべく克服する形で私どもの大学を考えていきたい。それは先ほど申し上げましたように、ある論理の断面から言えば、分離さるべき要素を持っておるけれども、また別の観点から見れば、お互に相連係して一つになっていく部分というものも歴史的、現実的に存在しているのでありますから、私ども現在の現に大学をお預かりしている者の立場としては、いまのような意識で大学改革なりあるいは大学の機能の整備ということに努めてまいりたいというふうに考えております。
この発言だけを見る →山
山原健二郎#19
○山原小委員 三つばかりお尋ねしたいのですが、一つは、先ほど昭和四十五年から国大協が共通一次試験というものに到達する経過と考え方が報告されたわけですが、これは純粋に国大協自体の経過の御報告であったと思いますけれども、この間に、たとえば他動的といいましょうか、政治的あるいは文部省などの見解というものがどのような形で国大協に反映をされてきたか、そういうものは全くなくて国大協自体が共通一次試験ということに到達したかという問題でございます。これを少しお聞きしたいと思うのです。
それから二つ目は、一期校と二期校の問題でありますが、一期校二期校というのは、もともとそういう制度ができたときにどういう理念のもとにできたかということが私には少し不明確なんです。したがって、一期校、二期校を一元化する場合に、考え方としてはいろいろな形態が考えられたのではなかろうかと思うのです。たとえば一期校、二期校を固定化せずに流動的なものにするとかいうようなこともあり得たのではないかと思います。しかし一方では、共通一次テストというものが設定をされると必然的に一期校、二期校が解消されて一元化されたのではなかろうか、そういうことを感じるわけでございますが、最初にこの二つの点についてお伺いしておきます。
この発言だけを見る →それから二つ目は、一期校と二期校の問題でありますが、一期校二期校というのは、もともとそういう制度ができたときにどういう理念のもとにできたかということが私には少し不明確なんです。したがって、一期校、二期校を一元化する場合に、考え方としてはいろいろな形態が考えられたのではなかろうかと思うのです。たとえば一期校、二期校を固定化せずに流動的なものにするとかいうようなこともあり得たのではないかと思います。しかし一方では、共通一次テストというものが設定をされると必然的に一期校、二期校が解消されて一元化されたのではなかろうか、そういうことを感じるわけでございますが、最初にこの二つの点についてお伺いしておきます。
加
加藤陸奥雄#20
○加藤参考人 第一の問題でございますが、国大協がこの点の検討をしてくる経緯においてほかの方からのいろいろな問題があったかどうかということでございますが、これは一言で申しますと、全くございません。国大協、実は四十五年から始まったわけですけれども、私が委員になりましたのは四十六年からでございますが、それ以外は国大協が全くの大学という共通意識において議論を進めてきてこのような結果に到達したということでございまして、その点では文部省なり何なりからの指示というものはございません。ただ、問題ありとするならば、例の改善会議がございますが、改善会議と通称で私ども言っておりますが、そういうところの方で御議論いただいている点は、私どもとしてむしろ主体的にそれを読ませていただいているということはございます。ございますが、この方式を検討してくる過程においては、全く国立大学の教官連中の一つのコンセンサスを得るという努力をこの六、七年間続けてきたということにとどまろうかと思います。具体的なことでもっと御質問がございますればお答えいたします。
それから第二番目の一期校、二期校が共通一次試験をやるということに伴って、一期校、二期校を解消することが出てきたのではないかというお話だと思いますが、実はこの一期校、二期校と、共通一次試験方式というものを考えるに至りました経緯は、国大協の検討の経緯を申しますと、第二常置委員会が入試問題の改善はこの二つの問題があるということをまず最初に認識いたしました。それから検討を進めてまいりましたが、この二つの問題についてそれぞれ別の特別委員会がつくられました。その意味では、一期校と二期校というものの解消問題と共通一次試験問題というものは、検討の経過においては全く独立的に進んできております。現に、一期校、二期校というものを解消して一本立てにすべしという理屈は、国大協としましてはいまから三年前にもうすでに結論を出しております。その時点では共通一次方式はまだ中間報告を出す段階にまでも至っておりません。ですから、この二つの問題は実は質的に非常に違う問題を絡んでおりまして、それぞれ別々に解決すべき問題であるというふうに話の発端がございます。
ところで、この共通一次方式というものを考えるに至りましたときに、いま一期校、二期校を一斉にすべしということは、全体的な入学試験改善という点では、それが非常に無理なく合理的にドッキングをしたということの考え方であろうと思います。
一期校、二期校についてのいろいろなメリット、デメリットについては、いろいろございますが、先ほどその一端を申しましたけれども、その線で一期校、二期校はすでに三年前に、解消すべしというのが国大協の全体的な意見としてまとまったわけでございます。ですから、共通一次試験というものを考えるために一期校、二期校を解消したということではございません。
この発言だけを見る →それから第二番目の一期校、二期校が共通一次試験をやるということに伴って、一期校、二期校を解消することが出てきたのではないかというお話だと思いますが、実はこの一期校、二期校と、共通一次試験方式というものを考えるに至りました経緯は、国大協の検討の経緯を申しますと、第二常置委員会が入試問題の改善はこの二つの問題があるということをまず最初に認識いたしました。それから検討を進めてまいりましたが、この二つの問題についてそれぞれ別の特別委員会がつくられました。その意味では、一期校と二期校というものの解消問題と共通一次試験問題というものは、検討の経過においては全く独立的に進んできております。現に、一期校、二期校というものを解消して一本立てにすべしという理屈は、国大協としましてはいまから三年前にもうすでに結論を出しております。その時点では共通一次方式はまだ中間報告を出す段階にまでも至っておりません。ですから、この二つの問題は実は質的に非常に違う問題を絡んでおりまして、それぞれ別々に解決すべき問題であるというふうに話の発端がございます。
ところで、この共通一次方式というものを考えるに至りましたときに、いま一期校、二期校を一斉にすべしということは、全体的な入学試験改善という点では、それが非常に無理なく合理的にドッキングをしたということの考え方であろうと思います。
一期校、二期校についてのいろいろなメリット、デメリットについては、いろいろございますが、先ほどその一端を申しましたけれども、その線で一期校、二期校はすでに三年前に、解消すべしというのが国大協の全体的な意見としてまとまったわけでございます。ですから、共通一次試験というものを考えるために一期校、二期校を解消したということではございません。
山
山原健二郎#21
○山原小委員 そうしますと、足かけ七年前から国大協の検討が始まって、四年たった約三年前、大体一期校、二期校問題についての結論が出ている。それから後で共通一次試験の問題が出てくるということになりますと、共通一次試験という問題については、比較的新しい時期で、こちらから見るならば遅い時期で、決定をされたということになるのでしょうか。共通一次試験という問題はかなりそういう意味ではいろいろ言われてきたけれども、約二、三年前にほぼ結論に達したというふうに考えてよろしいのでしょうか。
この発言だけを見る →加
加藤陸奥雄#22
○加藤参考人 時間的経過の問題に絡むと思いますが、第二常置委員会で二つの問題を同時に取り上げ始めたわけでして、そしてそれをするためには第二常置委員会自体がその二つの問題を検討するに、余りに問題が大きかろうということで、それぞれ特別委員会を二つつくったわけです。その二つつくった段階で、すでに出発点においてその特別委員会ができた段階では、一期校、二期校をどう考えるかという問題と、もう一つはそのときすでにもう共通一次方式はどうであろうかという研究問題がそこが出発点になっております。共通一次方式というものを理念的に考えたのはその以前になって、四十五年にさかのぼるわけでして、四十六年に特別委員会ができた段階では、その特別委員会は共通一次方式というものが十分に考え方としても成り立つか、それに合理性があるかないかという点を始めたわけでして、しかし問題が共通一次方式というのは一期校、二期校を一本化するということよりも、内容的には非常に複雑な問題をはらんでおります。そのことが時間的に非常にかかってきたということでして、現実に共通一次方式を考えるに当たっては実際上の実験的なテストもしなければならぬという問題も出てきておりますし、そういうことのために時間がかかってきたということで、一期校、二期校がいま御質問いただいたように見解が統一した後に共通一次方式というものを考え出したということではございません。
この発言だけを見る →山
山原健二郎#23
○山原小委員 もう一回、時間をとってはいけませんので……。
四十五年に発足した当時から共通一次テストという問題が私はあったと思いますけれども、そのほかにもいろいろな形態の問題があったわけですね。それは何か報告書の中に出ているのでしょうか。
この発言だけを見る →四十五年に発足した当時から共通一次テストという問題が私はあったと思いますけれども、そのほかにもいろいろな形態の問題があったわけですね。それは何か報告書の中に出ているのでしょうか。
加
加藤陸奥雄#24
○加藤参考人 その四十五年から特別委員会ができて以後のつながりの、その共通一次方式を考えるに至ってからの時間が非常に長いわけですが、それ以前にはたとえば一斉にもう全部、お互いの現在、現状でもって、一期校、二期校を解消して現状の状態でやったらよろしいとか、あるいは各大学が自在に適当なそれぞれの大学の主観において考えた日にちにやったらよろしいとか、そういういろいろな方式が考えられますが、それを議論したあげくに、その当時もうすでに共通一次方式も一つのテーマとして上がっておりますが、そういう議論の経過は詳しい報告としては国大協としては出しておりません。部内のものとしての記録はございます。
この発言だけを見る →山
加
曾
曾禰益#27
○曽祢小委員 これは詳しくは第二次試験のときにお尋ねすることかもしれませんが、基本的な問題ですから。
第一次と第二次とを分けている意味が、先ほどから特に加藤参考人のお話ですが、なるべく必要にして十分なデータを集めて選抜したいということから言って、第一次試験のあれで大体総合的に高校卒の学力をテストするのに必要にして十分だと仮にしても、やはり学校によっては特殊のたとえば体育とか音楽とかいう場合には特にそうでしょう、特殊の能力テストが要る、そういう意味での第二次試験というものをどうしても合理化しなければならぬという面があるように考えられます。それとともに、しかし第一次試験をどんなにあれしてみてもやはりマークシート方式というようなものでやれば、いわゆる一発勝負的に終わるので、やはりそれでは足りぬではないか。かと言って、三十万人ぐらいのあれを大量に消化するためには、個々面接だとか内申書ですか調査書等々で一々点検するわけにいかない。だから第一次試験にはやはり技術的に限界がある。したがって、その分はやはり第二次で各校でやってもらってもしようがないだろう。だから各校で能力テストする必要がある部門と、必ずしもそうでなしに、第一次ではどうも無理だ、だからどうしても二次において各大学がやる中に当然にもう少しバランスのとれた能力をテストする分と、自分の学校にふさわしいもの、両方あるんだ、それを第二次と総括しているのだ、こういう意味にもとられるのですが、大体どうなのですか。
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加
加藤陸奥雄#28
○加藤参考人 おっしゃるとおりでございます。と申しますのは、先ほど一般論的に申しましたので、具体的な個々の問題にすでにお触れいただいたかと思います。おっしゃるように、共通一次試験というのは学力としての高等学校における基盤的に持っている知識を見るのだ、それに加えてその次の段階として各大学あるいは各学部がそれぞれのキャラクターを持っている。と同時に、それに対応して志願者のそれに対する適性がそれにタイアップするはずであるという考え方、その中には、ですから第二次としては学力も含むであろうし、いまの特殊な面では技能的なものも含むはずであります。そういう点を含めて第二次としてやっていただくというのが趣旨であります。同時に、いまおっしゃるようにこの三十万から、私どもこの共通一次をやるに当たっては四十万ないし五十万を想定しております。そういうものを高等学校における達成度という表現を使わしていただきますが、それを学力試験をするためには、これは当然の結果としていわゆるマークシート方式でそれを処置しなければなりません。マークシート方式によっても、世に言うところの客観テストというものについての研究をずいぶん深めなくてはならない、それが先ほどもお話がございましたように、年数を要した一つの要素でもあるわけですが、客観テストをなるべく、たとえば具体的に申しますと、客観テストであってもグラフも書けるようなテストはできないか、そういうような研究をずいぶんと重ねてまいりました。世に言うところの客観テストよりは非常に進んだ形の客観テストができるように一応なってまいりました。これは今後とも研究が続くはずだと思っております。それであったところでやはり局限があります、制限があるわけでして、たとえば表現力とか長い作文的なものとか、そういうものは課すことができません。そういう点もこの二次試験の方で欠を補う、つまり二次試験の広い意味の学力試験というものの中にはそういうものも加えていただく必要があろう。ですから、これは別に分けますと、小論文的なものとか、あるいはでき得べくんば面接もやる、そういう要素も含めて第二次の選抜の試験をやっていただく、それが私どもの趣旨でございます。いまおっしゃったとおりのことが二次の中には含んでおります。これの客観テスト云々につきましては……。
この発言だけを見る →湊
湊秀雄#29
○湊参考人 ただいまのお話をちょっと付言させていただきます。いずれまた技術的な問題につきましては次の項目で触れさせていただきたいと存じますけれども、ただいま加藤参考人から申し上げましたように、認定といたしましてはマークシートの方式を全部私ども検討いたしまして、読解力だとか思考力等も見られるようになっておりますが、ただ、いかんせんどうにもできませんのは、文章を書かせて読み取るということでございます。現在の社会からの要望といたしましては、やはり文章を書くということが大変重要でございますが、この点はいたし方なく二次に譲らざるを得ないというのが一点でございます。
それともう一点は、先ほどから御説明申し上げておりますように、共通一次試験と申しますのは、広く全部の高校生が受けられるようにするということでございますので、必修科目に限るということでございます。ところが、私、理科関係なものでございますので、ちょっと例を挙げさせていただきますが、たとえば理科の化学に進みたい、ケミストリーに進みたいという入学者に対しまして、実は化学の一次でございますと無機化学が主体で、有機化学はほとんど出題されないわけでございます。ところが入りましても、やはり有機化学の知識というものは当然その専門家にはある程度は必要でございますので、そういう点、必要なことは二次でやらなければならない。こういうことで、共通一次テストの方法における制限と、もう一点は内容における制限というのもございますので、二次ではそれを補っていく。ただし、一次と二次を十分有機的に関連させながら最後の選抜を行う、もちろん面接等もそれに入れてでございますけれども。こういうようなことが現在考えられております趣旨でございます。
この発言だけを見る →それともう一点は、先ほどから御説明申し上げておりますように、共通一次試験と申しますのは、広く全部の高校生が受けられるようにするということでございますので、必修科目に限るということでございます。ところが、私、理科関係なものでございますので、ちょっと例を挙げさせていただきますが、たとえば理科の化学に進みたい、ケミストリーに進みたいという入学者に対しまして、実は化学の一次でございますと無機化学が主体で、有機化学はほとんど出題されないわけでございます。ところが入りましても、やはり有機化学の知識というものは当然その専門家にはある程度は必要でございますので、そういう点、必要なことは二次でやらなければならない。こういうことで、共通一次テストの方法における制限と、もう一点は内容における制限というのもございますので、二次ではそれを補っていく。ただし、一次と二次を十分有機的に関連させながら最後の選抜を行う、もちろん面接等もそれに入れてでございますけれども。こういうようなことが現在考えられております趣旨でございます。