戸叶武の発言 (外務委員会)
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○戸叶武君 私は、バビロン文化をフランスで研究した人から、バビロンの塔の、バビロンの町の入り口にあった大きな十六の菊の紋の紋章が汽車で運べないので五個を船で運んで、アメリカのシカゴ大学の博物館にあるから、それを見てきてくれというように頼まれて、二度ほど、シカゴ大学にいる私の門下生の一人の文化人類学を勉強している夫婦の案内でそれを見てきたんですが、私は、十六の菊の紋も、菊を表徴したものかヒマワリを表徴したものか、いろんな説があるが、私の見るところでは、やはり十六弁の菊の紋であるが、アラビア的な数字、紋章学の発達から四、四、十六という形で割り切った一つの紋章であり、菊の花とか、あるいはキリの花とか、あるいはその他いろいろなバビロンからトルコ、ギリシャにかけて、十字軍の後でナイトたちの盾の紋章としてヨーロッパにも入りましたけれども、非常にチグリス・ユーフラテス一文化というものが、もうすでに奈良朝の時代に正倉院にまで通ずるガンダーラ文化だけでなく一つの流れがあった。
いまのそりの問題たんかでも騒いでおりますが、古代の舟なり、石を運ぶのには皆あのそりの様式で、コンスタンチノープルを陥れビザンチン帝国を陥れたときのトルコの戦略というものは、山を舟で乗って、背面から入ったということで、やはり海洋族と騎馬民族と合体した一つの攻略作戦が成功したのが事実でありますが、日本だけの狭い領域における人類学やあるいは考古学の字句的な解釈だけでなく、日本も考古学が非常に発達しておって、やはり米でも麦でもブドウ酒でもビールでも皆淵源がチグリス・ユーフラテスにあったと言われるあの人類の源流にメスを入れて、もっと世界――さっきもグローバルという言葉か出ましたが、グローバルな時代に世知辛い日本人としてでなく、雄大な世界的気宇を持っての一つの文化交流を活発にさせて、そうしてもう一度、ああいうふうにあれだけの文化を持って、あれだけの美人がいながら、どうして滅んでいってしまったのか、停滞した政治、権力に依存して発想力のない政治、働くことを忘れて怠けた習慣、賄賂政治、いまの日本と同じようなものが文明破壊の源流であったということを発掘するだけでも、日本の自覚めとして非常に参考になるんじゃないかと思いますが、この間の民族衣装を着ての美人の、流行の何かを見せびらかすような踊りにはどこに芸術があるんか、何でこんなになっちゃったのか、魅力のない美人、何でこういうふうになってしまったのかと憤りを感ぜざるを得ないようなものに私は打たれました。それでいいんだと、人形遣い的な意味において、芸者やキーサンを観賞すような眼で、古代の貴族文化を鑑賞するのも趣味としては結構かと思いますが、何か日本自身も大切なものが抜けてきちゃったんじゃないかという感じがしますが、秀才の多い外務省の方の人たちやなにかはあれを見て美人だなあと感じただけでしょうか、私は非常にわびしさを感じました。民族が滅びていくときはこういうものかなという何か寒々としたものを感じましたが、それを感じるだけでも非常に参考にはなったと思います。
どうですか、これはもっと本格的なバビロン文化と日本の原点に戻っての文化交流の仕方もあるんじゃないか。それぞれの言語学者なり考古学者が日本にも出ているんだから、文化人類学なんかでは私のところの田中さんなんかもなかなかの権威ですけれども、やっぱりそういうふうにひとつ真剣になって憂いをともにして、あれほどのバビロンの文化がなぜ崩壊していったのかということにまでメスを入れるぐらいの見識を持たないと、日本も笑われるんじゃないですか。いろいろな発掘物をイギリスやフランスやアメリカに運んじゃって博物館に並べておいただけじゃ、あの化石が今度は目を見開いて、おまえたち略奪者にだまされないぞというような一喝をくれる時代が必ず私は出てくると思うので、参考のためにいまのうちにフランスやロシアやアメリカの略奪職のまねをしないで、もっとアラブの文化の中に埋没していった文明に生気を与えるような一つの文化交流を私はしてほしいと思うんですが、まだそこまではいきませんかな。