久保田きぬ子の発言 (外務委員会)

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○久保田参考人 申し上げさしていただきます。私の場合は、主として日本国憲法の観点からということにさしていただきます。
 わが国の憲法は、諸先生に改めて申し上げるまでもございません、基本的人権の保障をその基本原則にして、御承知のように詳細な規定を設けております。こういうふうにして憲法が保障いたします基本的人権の性格、本質につきましては、憲法自身が「侵すことのできない永久の権利」であると規定いたしております。それは、人間が人間であることによって当然享有する自由及び権利であると解されています。御審議中の国際人権規約二つは、これが認めておりまする権利も「人間の固有の尊厳に由来する」ものであるとしており、したがって、日本国憲法及び国際人権規約の人権の本質に関します基本認識は全く同一であると申せます。
 それから第二に、日本国憲法は、基本的人権とは個人として尊重されることであり、生命、自由及び幸福追求に対する権利であると言っております。それは歴史的に見ますれば、もっぱら伝統的ないわゆる自由権を意味していることは明らかでございますが、現代ではそれに加えまして、この自由権の保障をより実質的に保障し、実効あるものにするため、参政権、さらにいわゆる社会権をその中に含むものと解され、そのような立場から憲法の人権保障の規定は成り立っております。この点に関しましても世界人権規約の構成は全く同じであろうかと存じます。
 それから第三番目に、そのようにして保障いたします基本的人権を享有する主体でございますが、これにつきましては日本国憲法の規定におきましては「すべて國民は」という表現を用い、あるいは「何人も」という表現を用い、規定によりまして差異がございます。表現上こういう区別はございますけれども、たとえば参政権のように、その性質上当然国民にだけ限定されるべきものは別といたしまして、個人関係、生活関係の権利についてはすべて原則として、国民だけでなく外国人についても人権保障の諸規定の適用があるものと考えられます。この点につきましては判決でも、いやしくも人たることにより当然享有する人権は、不法侵入者、すなわち外国人でございます。不法侵入者といえどもこれを有するものと認むべきであると言っております。
 その次に、いわゆる社会権と言われますものの性格についてでございます。経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約は、その実質条項において規定いたしまする諸権利の性格につきまして、プログラム的あるいは達成されるべき目標と解していると言えます。すなわちその第二条は、「立法措置その他のすべての適当な方法によりこの規約において認められる権利の完全な実現を漸進的に達成するため、自国における利用可能な手段を最大限に用いる」こととし、そのための「個々に又は国際的な援助及び協力」を要請しているのでございます。
 日本国憲法第二十五条は、社会権につきましての総則規定であると言われております。通説では、この二十五条は具体的な内容を持つ請求権ではなべ、政治に対する指針を示した規定であると解されております。昭和二十三年四月七日の最高裁判決も、この見解をとっております。それだけではございませんで、昭和四十二年五月二十四日の有名な朝日訴訟の大法廷判決におきましても、傍論ではございますが、重ねて本条は、健康で文化的な最低限度の生活を保障する国の責務を宣言したにとどまり、国民に対して具体的な権利を与えるものではなく、何が健康で文化的な最低限度であるかの認定は政府の合目的的な裁量権に任されていると述べております。経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約及びわが国の憲法が保障する社会権の規定が、以上のようにプログラム的な性格のものと解されますことは、この権利の本質を考えますとき当然であると思います。
 以上、国際人権規約と日本国憲法との関係で重要だと思われます点の幾つかについて簡単に申し上げたのでございますが、一括して国際人権規約と呼ばれます経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約、ことにその市民的及び政治的権利に関する国際規約の実質条項には、幾つか耳なれない、また国内法としても十分成熟してない権利が含まれております。しかし、全体といたしましては、日本国憲法の基本的人権保障の諸規定と、原則的には何ら抵触したり矛盾したりする点はないと私は確信いたしております。
 次に、付言させていただきたいことが一つ、二つございます。
 国際人権規約の制定は、御承知のように国連発足当時からの重要案件でございました。その背景にございますのは、国連の第一の目的である国際社会の平和と安全の維持には、その構成員の人権及び基本的自由を国際的に保障することがどうしても必要であるという認識でございます。世界人権宣言の前文が言う「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における」「平和の基礎である」というこの考え方でございます。それはまた別の言葉で申しますならば、力の支配ではない、パワーポリティックスではない法の支配、ルール・オブ・ローによって国際社会の実現を目指すという考え方でございます。
 国連が創設されてから今日に至りますまでの三十余年の間、国連を中心にいたしました国際社会は、遅々とした歩みではございますが、この方向に着実に動いてきていると私は思っております。少なくともそういう努力が続けられていると存じます。現在の国際社会は、各国家間の交流、連帯関係が年ごとに強まっております。それを無視いたしましては、どんな大国といえどもこの地上に存立し得ないのだと存じます。こういうような段階になってまいりますと、人権の保障は、従来もっぱら各国家が国内法によって確保する、保障するというそういう伝統的な考え方では、とうてい人権の実効ある保障を期待することはできません。どうしても国際的な場でも保障されることが必要になります。各国による人権保障は、論理必然的に人権の国際法的保障を要求することとなりまして、国際法的な裏づけを得て初めて、実効ある人権の保障が実現するのでございます。わが国が国際人権規約を承認し、その締約国となりますことは、日本国憲法の基本原則である基本的人権尊重の原則を真に実効的なものにする道でございまするし、また平和で安全な国際社会の実現という人類の理想に対して大きく貢献することになると確信いたしております。
 また、わが国は連合国との、平和条約におきまして、「あらゆる場合に国連憲章の原則を遵守し、世界人権宣言の目的を実現するために努力」することをお約束いたしております。以来、わが国の外交は国連中心主義をその基軸にして今日に至っております。国際人権規約はその国連において採択されました重要な国際条約でございます。国際的な権利章典とも言うべきものでございます。わが国が進んでこの国際人権規約を承認することはきわめて当然のことであろうかと存じます。
 最後に、私事にわたって大変恐縮でございますが、この二つの人権に関する国際規約の実質条項の審議に際しまして、私も政府代表代理の一員といたしまして、総会に参加いたしたものでございます。それからすでに十一年の歳月がたっております。発効いたしましてからすでに三年近くも経過いたしておりますことを思いますと、国際社会の有力な指導国でありますわが国の承認は実は遅過ぎるという感じがいたすのでございます。
 そういう以上の意味から、速やかに御承認が望ましいと考えるものでございます。
 以上でございます。失礼申し上げました。(拍手)

発言情報

speech_id: 108703968X00919790507_002

発言者: 久保田きぬ子

speaker_id: 22750

日付: 1979-05-07

院: 衆議院

会議名: 外務委員会