大川政三の発言 (予算委員会公聴会)
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○大川公述人 ただいま御紹介をいただきました大川でございます。
初めに、本院予算委員会公聴会において、政府予算に関して私が日ごろ考えておりますことについて意見を申し上げる、そういう機会を与えられたことを大変光栄に存じております。
私は財政学を専攻しておりますが、特にその中でも、財政的な問題を経済学的な立場から考えようとしている者でございます。経済学的立場から財政問題を考察するといいますと、財政を景気対策の手段として利用する、こういう立場としばしば混同されやすいのでありますが、私は、財政の景気対策機能の必要性を否定するものではありません。しかし、財政の最も基本的な機能が景気対策機能であるという考え方には必ずしも同意するものではございません。なぜなら、財政の基本的な機能は、近年の経済学の言葉で申しますれば、有限な経済資源の効率的配分機能にある、そういうふうに思うからであります。有限な国民経済資源の利用を図る場合の効率性を高めることに財政の基本的な機能があり、景気安定機能も所得再分配機能も、そのような効率的資源配分機能を侵さない限りにおいて、あるいはそれを尊重する条件のもとで遂行されるべきである、そういうふうに考えております。このことがしばしば、財政の機能の間の優先順位関係について、むしろ逆転したような関係で議論されることが多いように日ごろ考えております。
このように、財政問題、その具体的表現である政府予算の決定に当たっては、経済的効率性という立場から判断し、取捨選択すべきである、また、そのようなことを容易にするような予算の仕組みに改善すべきであるというのが私の基本的な立場であります。とのように申しますと、しばしば遭遇する反論は、これこれの問題は経済理論どおりにはいかないんだよ、これこれの問題は経済問題の外にあることである、こういうような反論がございます。また、現実の社会は生き物である、だから、一般的な経済原理のみでは決定できないんだというような意見に遭遇することがあります。要するに、政府予算の決定は、経済的効率性によって律せられる以上に、非経済的あるいは非合理的な要因、もっと端的に申しますれば、経済原理とは別な目的を持つ政治的な要因によって動かされるべきであるといった意見によって反論されるわけでございます。
政府予算の経済的効率性と申しましても、その判定尺度は必ずしも明確ではありませんから、政府予算の決定において政治的な要因が入ってくる余地が十分にあり、また、そのことが必要なことを否定するものではございません。むしろ、政府予算の決定に伴う政治的な責任が明確になるような、そういうような仕組みを考えるべきだとすら思っております。しかしながら、もし、政府予算の決定においては、経済的効率性といった要因など全く無視することができるとか、あるいは経済的効率性に関する議論に発言する自由も価値も認めないんだというようなことになってまいりますと、私としては強く反論しなければならないと思っております。
私の立場から具体的に申させていただくならば、福祉問題であれ、教育問題であれ、公共事業の問題であれ、さらには防衛問題であれ、すべて経済の問題として考えるべきだというふうに考えております。それらの諸問題は、経済的効率性の吟味から決して逃れ得る聖域ではないと思っております。すなわち、それら諸問題の決定に当たっては、経済的な費用と便益の分析並びにその比較が行われて、最大の便益の余剰が得られるように選択されるべきであると思います。けだし、それらの諸問題の解決には、多くの場合、有限であり、われわれの欲望に比較して希少な人的、物的資源の消費を伴うからであります。かくて、私は、経済的効率性を尊重し、その追求に厳しい経済的な政治原理といったものの重みが、政府予算の決定において増していくことを期待したいのであります。経済と政治にもし政策決定要因を分けるならば、経済を尊重する政治の結果として政府予算の決定が行われることを期待したいのであります。
このようなことはあるいは当然過ぎることであるかもしれませんが、政府予算の決定をめぐる議論において、しばしば、ある提案事項の効用とか便益の一面のみが主張され、そのために要する費用とか、そのために一方で放棄される便益、犠牲といったものの面が明らかにされないうらみがあるからであります。すなわち、政府支出によって実現されるある政策の効用とか便益が、その政策効用を他のことから切り離して絶対的に評価されるにとどまり、その反面において生ずる放棄便益という意味での費用と比較して相対的に評価されることが少ないように思うからであります。私はかねがね、このことを費用意識が希薄な政府予算の決定というように表現しております。
すでに先生方も御承知のように、「赤字の政治経済学」という翻訳名のジェームズ・ブキャナンの書物についてはしばしば引用されております。そのもともとの題名は「デモクラシー・イン・デフィシィット」という、赤字の中の民主主義といいますか、赤字に抱かれた民主主義といいますか、そういうタイトルでありますが、その中での言葉をここで引用させていただくならば、しばしば、サムシング・フォー・ナッシングというような態度あるいは姿勢の議論が多くなされる。サムシング・フォー・ナッシング、まあ何の代償なしにあるものが得られる、こういうような立場の議論が多いのではないか。現実にはそういうことはあり得ないのでありまして、サムシング・フォー・アザー・サムシング、やはり何かを得るためには他の何らかのものを放棄しなければならない、これは当然のことなのでありますが、しばしばそのようなことが忘れられがちである。したがって、私は、そういうサムシング・フォー・アザー・サムシング、こういうような考え方が政府予算の編成の中にもう少し浸透できないものであろうかということを考えております。
御承知でもあると存じますが、アメリカ連邦政府並びに連邦議会におきましては、政府予算の効率化ということについて、PPBSとかあるいはZBBというような新しい予算方式の導入をめぐって真剣な議論が行われ、現実に実行の努力が行われておりますが、私も、わが国においてそのような努力がもう少しあってよろしいのではないかというふうに考えております。
しかし、私も希望が全然ないわけではございませんで、最近の新聞報道などを見ましても、費用意識とか選択という言葉がしばしば使われるようになってまいりました。このことは、まさに政府予算を経済的に考察するそのことのあらわれというふうに私は解釈しております。したがって、かなりだんだんと、そのような経済的な考察というものが政府予算についても浸透してくる望みを持っておりますが、しかし、私としては、私の立場から申しましてまだ若干疑問に思い、あるいは不満に思っておることもないわけではございません。その幾つかを具体的に、五十六年度予算案の編成審議をめぐって具体的な問題を二つ三つ挙げさせていただきたいと思います。
まず第一は、防衛予算に関することであります。
五十六年度予算の編成過程において、政府部内においても、防衛予算が決定されるまでに非常な折衝が行われたように承知しております。そして、防衛予算の一般会計予算において占める構成比とか、対前年度伸び率とか、あるいはGNPに対する比率とかが議論されているようであります。これはまたそれなりの意味を持つと存じますが、少なくともわれわれ部外者として一般に入手し得る資料によって見たところでは、そのような巨額の防衛予算を使うことによって、一体いかなる防衛効果というものが得られ、一体それが一般の国民生活にとってどういうような関係を持つのであろうか、こういう面がよくわからないのであります。すなわち、防衛目的のためにいかなる人員とか機材とか艦船、航空機が投入されるか、大変威力のあるそういったものが投入されるかということについては若干の知識が得られるのでありますが、いわゆる防衛のためにどういう資源を投入するかということについてはある程度の資料や知識は得られるのでありますが、そういう機材とか人員を投入することによって、その結果においてどういう防衛効果がアウトプットとして出てくるのか、この点がわれわれにとっては非常にわかりにくいものであります。
これは防衛予算の規模とかその配分について選択し判断する以前の問題として、もう少しわれわれ一般の国民に対して、防衛効果のわかりやすいようなそういう知識を提供してほしい。もしそういうことがなければ、先ほどわれわれが言ったような政府支出の便益といったものについての基準がございませんものですから、経済的な選択のしようがないことになります。
先ほど申しましたアメリカ連邦政府のPPBSという新しい予算編成方式の導入が、まずこのような国防予算をアウトプット、産出本位にしていくということから始まったことをここで思い出さざるを得ないのであります。もちろん防衛予算につきましてはすべてを公表することはできにくい、そういう点が多々あることは十分承知の上でありますが、なお何らかの工夫が欲しいように思っております。
あと時間がわずかでありますが、さらに第二に、福祉問題についてでありますが、私の立場から申しましても、やはり社会保障関係費といったものが近年目覚ましく増大してきておる。五十六年度予算においても増加額のほぼ五〇%近くは社会保障関係費によって占められておる、そういう数字を聞いております。そのことは社会保障あるいは社会福祉ということについて非常に政策の力点が置かれておることを反映するものではありますが、それだけに、そのように予算の中で重要な位置を占めているだけに、社会保障関係費予算は、特に予算の効率化については率先して努力する責任をまた一方で背負うものではなかろうか、そういうふうに思います。
特に、簡単に申しますれば、いろいろ医療費とか年金とか保育所の経費等々の問題が議論されますが、やはりそのようなものの便益効果の面のみを説くのではなく、そのために必要な、ほかに放棄されるものの便益との比較において議論する必要がなおあろうかと思います。社会的弱者の救済という政策目的からはみ出ていながら、その政策の恩恵を得ている受益者の層は、社会的弱者救済政策の外にある単純な受益者として、すなわち、必要経費の負担能力を十分に持つ者として、社会福祉政策上位置づけられるべきではないか。そのような十分に経費負担能力を持つ者の負担増加による社会福祉効果のマイナスは、真の社会的弱者救済措置の充実強化によって相殺するのみならず、社会福祉効果の純計をむしろ増大させるようにすべきではないか、そういうふうに考えます。
まだ言い尽くせないところがございますが、時間が参ったようでございますので、最初の私の公述をこれで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)