筧康生の発言 (法務委員会)

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○説明員(筧康生君) まず、供託金に利息を付するということにいたしました経過について、私どもが承知いたしますところを若干説明させていただきます。
 この供託金というものは明治三十二年に制定されたものでございまして、この明治三十二年に制定されました供託法によって、「供託金ニハ命令ノ定ムル所ニ体リ利息ヲ付スルコトヲ要ス」と、こう規定されたわけでございます。しかし、この供託法が成立いたします以前に、これは明治二十三年でございますけれども、すでに供託規則による供託制度というものが存在したわけでございます。そして、最初に供託制度ができました明治二十三年でございますけれども、このときにすでに供託金には通常預金の利息を付するというような規定になっておったようでございます。
 しかし、この規定は、明治二十六年からただいま申しました供託法が成立いたしました明治三十二年までの六年間は利息を付さないというような時代もあったようでございます。そして、明治二十三年の初めに、いかなる理由によって供託金に利息を付したかということに関しまする文献というのは現在残っておらない。あるいは私どもが見つけられないのかもわかりませんけれども、それを明らかにする文献というのは残っておらないわけでございます。
 明治三十二年の供託法のできましたとき、このときも非常に複雑な経過がございまして、当初供託法として提案されました案には、実は利息を付するという規定がない。したがって、利息は付さないということになっておったようでございまして、この案は貴族院はそのままに通過いたしまして、衆議院に回った段階で、これはほかの法案との関係で衆議院が解散になり、そのためにその当初の案が廃案になるという経過をたどったようでございます。そして、次の国会にさらに供託法を提出するわけでございますけれども、今度再提出いたしました供託法には、他の規定はすべてそれ以前に提出いたしましたものと同じでございましたけれども、たった一つ違っておりますのが現在の供託法の三条、すなわち供託金に「利息ヲ付スルコトヲ要ス」という規定を新しく入れたということになっておるようでございます。
 このときに、どういう理由によって供託金に利息を付することにしたのか、何分古いことでございますので必ずしもその理由というのをつまびらかにするということはできないわけでございますけれども、当時の国会の審議録等において政府委員等が説明いたしますところを見、それから推測いたしまするところによるわけでございますけれども、それによりますと、その政府関係者というのは、この供託法というものをいよいよ本格的に動かす、あるいは新しく民法とか商法というものが施行されるという事態の中で、供託制度というものを大いに活用するという事態になりましたけれども、果たしてこの供託制度というものが国民の間に十分利用されるかどうかということについて懸念を持ったという節が見られるわけでございまして、その意味で、国民に対して供託制度というものをより利用しやすくするということ、供託制度の信用を確立する、あるいは供託に実を与える、こういうようなことを申しまして、供託制度を国民に利用しやすくする一つの方策として「利息ヲ付スル」ということを行ったというように推測されるわけでございます。
 それからもう一点、先生の方からお尋ねになりましたわが国の供託の制度というものがどの制度を見習ったのかというお尋ねでございますけれども、この点は外国の供託制度というものをつまびらかにいたしませんと必ずしも判明しないところがございまして、私どももそのすべてについてよく承知しているわけでございませんが、私どもが承知いたしますところの範囲で申し上げますと、ヨーロッパの供託制度の中で、ドイツの制度それからフランスの制度というのは、やや異なったところがあるというように承知しております。
 どういうところが異なっているかと申しますと、フランスの制度というのは、供託所というものをいわば大蔵省の一部局として置くという仕組みが基本的な仕組みになっておるのでございます。これに対しましてドイツの供託制度というのは、裁判所の制度の中に供託制度を組み込んでいくという仕組みになっておるようでございます。
 こういうかね合いの中でわが国の供託制度を見てまいりますと、当初、明治二十三年に発足いたしましたときの供託制度というものは、これは大蔵省の預金局に供託を取り扱わせるという仕組みになっておったわけでございまして、いわばフランス型の制度であったということが言えるわけでございます。明治三十二年にできました供託法におきましては、この点がやや折衷的な仕組みになっておりまして、金銭供託については大蔵省の一つの部局であります金庫をして扱わしめる、しかしそのほかの物品供託については司法大臣に扱わせる、こういう基本的な仕組みになっておったわけでございます。さらにその後、これは大正十年になりますけれども、制度の改革が行われまして、供託制度というのは基本的に司法省の管轄の中におさめられるという仕組みになり、戦後司法省が裁判所と法務省に分かれるに伴って、法務省の中に組み込まれるという仕組みになっておるわけでございます。
 そういう観点からいたしますと、わが国の現在の供託制度というのは、いわば裁判所型、司法型というものになっておる。そういう意味で、先ほどの分類から申しますと、いわばドイツの制度に最も近い制度として成り立っておると、こういうふうに承知しておるわけでございます。

発言情報

speech_id: 109515206X00219811110_204

発言者: 筧康生

speaker_id: 10611

日付: 1981-11-10

院: 参議院

会議名: 法務委員会