山本政弘の発言 (予算委員会第二分科会)
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○山本(政)分科員 いまお話がありましたように、文部省がおやりになっていることは教材が主だろうと僕は思うのです。あるいは教師の養成。ただ、これも大臣ごらんになっただろうと思うけれども、中国の帰国者に日本語教育というものをやっている。これは江東区でやっております。これは引き揚げ者がずいぶん多い。そのほかに最近では全国社会福祉協議会、東京のYWCAの砂土原センター、つい最近では拓殖大学、それからその他には宗教団体、民間の語学の学校とか、数えるほどしかないのですよ。これは日本語を教えるという、教育の問題です。私は、文部省がそれに本格的に取り組むべきじゃないか、こう思うのです。教材あるいは教師の養成もいいでしょう。しかし、引き上げた人たちに対して直接に日本語というものを覚えさせなければ、先ほど申しましたような障害が出てくることは事実なんです。ですから、先ほど申し上げたように、社会体制の違いとか環境の違いとかいうものがあると同時に、やはりそういうものを納得をしてもらう、あるいは知ってもらうということのほかに、日本語教育というものが帰った人たちには一番喫緊の問題だろうと私は思うのです。それがなされてない。
それは地方に行って、要するに地方でそういう体制を整えておる、こうおっしゃるのですけれども、最近の引き揚げた方々は全部と言っていいほど、つまり東京から出ていって全部東京に帰ってくるというUターン現象を起こしているのですよ。そしてそれが大部分とは言いませんが、かなりの部分が江東区の方へ行っている。あるいは、中国の方々が住まっているところへ戻ってくる。つまり、その人たちでなければ生活になじまないし、環境になじまないから、中国語を知っている中国の人々が集まっているようなところへ戻っていっているという現象がある。とすれば、帰ってきたときに多少の年月がかかっても、そこで日本語を覚えさせる、あるいは生活環境になじませる、そういう教育があってしかるべきだ、こう思うのです。そのことに対して、国と言った方がいいかもわかりません、あるいは政府と言っていいかもわかりません、文部省と言っていいかもわからぬ、そういう取り組み方が非常に一時的なものだ、あるいはテンポラルにしか考えていないというふうに思えてならぬわけです。
ですから、その辺について、環境の違いとか生活の違い、文化の違いというようなことを教える、と同時に日本語の教育をする、そういうパターンというものが一つあっていいだろう。その上で今度は住宅の問題、職業の問題、就職の問題というものを考えていく。それで最後は生活保護というものを外していくということを考えないと、いつまでたってもある一定の部分の人たちはそのままに、そういう言葉がいいかどうか知りませんけれども、無為のうちに生活を過ごしてしまう。そして、生活する意欲を失っていくのではないかという気がするわけです。それは、本当の受け入れの体制ではないだろうと僕は思うのです。
考えていただきたいことは、四十年間の空白後こっちに帰ってきた、今度は期待を持って日本で生活ができるのだと思って帰ってきた人たちが、無為のうちに生活を過ごすような、そういうことがあっていいのだろうかどうだろうか。僕は、政治というものはそんなものじゃないだろうと思うのです。だから、その人たちに意欲を持たせ、そして日本の生活になじませ、日本の活動に溶け込んでいくということがあっていいのじゃないでしょうか。
僕はなぜそんなことを言うかというと、昭和三十一年、一緒に大臣と国会の方々が行かれたときに、僕は随行して行ったことがあります。そういうこともあわせていま頭の中で浮かべながら、大臣にそういうことに対する対策がなぜとれないのだろうか、そして、それは単に厚生省とかなんとかいう問題じゃないだろうと思うのです。少なくとも日本語の教育の問題については、所管である文部大臣、文部省の方で私はお考えになるべきじゃないか、こう思うのです。そういう意味でお答えをいただきたいのです。