白川勝彦の発言 (社会労働委員会)

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○白川委員 森井忠良君外五名提出の原子爆弾被爆者等援護法案につきまして、質問をいたしたいと思います。
 昭和二十年八月六日、続いて九日、広島、長崎に投下された原子爆弾は、一瞬にして三十万余の生命を奪い、いまなお三十七万余の被爆者に対し、肉体的、精神的苦痛を与えております。この一事をとらえただけでも、戦争はまさに悲惨であり、残酷であります。
 私は、わが日本国憲法が、「政府の行爲によって再び戦争の慘禍が起ることのないやうにすることを決意し、」と、あえて前文で宣言しておりますことに深い感銘を持っております。わが日本国憲法は、内外に多数の戦争犠牲者を出したことに対し、深く反省をし、新しく出発する日本国は、平和に徹することをかたく決意をして、戦後の再建を始めたと了解しているものであります。
 戦争は、国家と国家との間の戦闘行為であります。国家には国民があります。いかなる国家であれ、国民の意思を無視して戦争を行うことはできません。ですから、戦争をこの世から放逐するためには、諸国民との間に友好と連帯のきずなを深く、かつ、強く結ぶことに、わが日本国としては努力をしていかなければならないと改めて思っておる次第でございます。
 いささか外務委員会の質問のようになりましたが、このように感じましたのは、このたびの質問を準備している過程で、今井委員と森井委員との五十六年四月二十三日の白熱した議論、また、昨年四月二十二日の丹羽雄哉委員と森井委員との心のこもった応答などを議事録において拝読いたして、改めてこのことを感じたのでございます。
 そこで質問をしたいのでありますが、戦争は確かに国家が決断をし、遂行する行為であります。しかし、国民の意思を全く抜きにして、国家は戦争を始めることを決断し、遂行することはやはりできないのではないかと思っております。もし、国民の大多数が政府の行おうとする戦争に反対しているのに、無理やり政府が戦争を始めることを決断してみても、その結果は好ましからざるものになるからであります。
 原爆被爆者対策基本問題懇談会の意見報告において、戦争による一般の犠牲は、「すべての国民がひとしく受忍しなければならないものである。」と述べてありますが、それは、戦争を決断し、遂行した政府に対し、国民は無責任ではあり得ないとの考え方があるからこそ、このように述べているのではないかと思っておるのであります。すなわち、戦争を行う国家の国民は、他国にも損害を与えるのはもちろんでございますが、自国民も損害を受けることは予見し、予想しなければならぬ。したがって、よしんばみずからに損害が及んできたとしても、それは国民がひとしく耐え忍ばなければならない、こういう考え方が前提にあると思いますし、これは多分に人類社会においての共通した物の考え方ではないかと思います。であるからこそ戦争を回避しなければならないということは、国民が常に考え、そのために努力をしなければならないと思います。
 日本が、第二次世界大戦を一当事国として戦争を遂行した。その当時の日本にも、国民の代表たる衆議院も存在いたしました。この衆議院は、いまこうしてわれわれが在職している衆議院と名称も同じでありますし、同じ議場を使っておりますし、あらかた同じ言葉でやりとりをしている衆議院でございます。選出の過程にも、女子には選挙権はなかったのでありますが、二十五歳以上の男子にはすべからく選挙権が与えられておりました。こういう国民の代表たる衆議院が存在したにもかかわらず、戦争が開始され、筆舌にたえない戦争の惨禍が国の内外において発生いたしました。
 戦争を開始し、戦争を遂行する国家と国民との関係がいま私が述べたようなものであるとしたならば、戦争によって惹起された損害に対し、その戦争開始もしくは戦争の遂行当時、損害の補償に関する法規があったとしたら別でありますけれども、そのような法規がないとしたならば、国民は国家に対し、すなわち自国の政府に対し、戦争によって受けた損害を賠償せよという権利は法理論的にはないのではないだろうか、こう私は思っておるわけでございますが、森井議員はこの辺についてどのようなお考えなのか。一般論で結構でございますが、まずお聞かせをいただきたいと存じます。

発言情報

speech_id: 109804410X01019830519_004

発言者: 白川勝彦

speaker_id: 9570

日付: 1983-05-19

院: 衆議院

会議名: 社会労働委員会