白川勝彦の発言 (社会労働委員会)
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○白川委員 ただいまの御答弁、まことにそのとおりなんでございますが、私が申したいのは、多分、これから戦争をするぞ、いや大戦争だというケースというのは、むしろ歴史上もまれなのではないだろうかと思うのでございます。むしろ、たとえば政府が一つの戦争をしたいというふうに思っても大義名分がない。それほどまでの大きな犠牲を他国に与える必要もないし、場合によっては自国もこうむるかもしれない戦争行為は待てというようなケースで、多分、国民と戦争との関係を見ますと、進める側についてオーケーという場合はなくて、どちらかというと戦争を抑止する場合に国民の意向というものが出てくるのではないだろうか、私はそう思うわけでございます。
昭和の初期から二十年までの民主政治のあり方というのは、明治憲法が当初想定した、もしくは大正デモクラシーと言われた時代にある程度進展をした当時の民権、あるいは民の政治に対する力よりもはるかに後退をしていた段階の中で、初めて戦争というのも遂行できたのではないかと私は思っておるわけでございます。
しかしそれはそれとして、当時はそうであったということで、だから政府は一方的に国民に迷惑を与えたんだということが言えるのであろうかということだと思うのです。いかなる弾圧であるとか、暴力であるとか、あるいは民主政治を抑えようという政府の意向があったとしても、賢明な国民は、だから私たちは物が言えなかったんだとは言えない。やはり日本国民として、政府がやったそういうものを抑止し得なかったということに対しては、みずからに対しても、いわんや諸外国に対しても、これは常に責任というものを感じていなければならない、私はそう思うのでございます。
でありますから、国家と国民との間の戦争被害に対する権利義務関係というのは、第三者と被害者という形で同一に論じられるのだろうかという、ここに困難な問題があり、立法上もこれまでもいろいろと議論があったのではないか、私はこう思っておるわけでございます。
ただ、これについては、これ以上議論することが果たして本問題に実益のある議論であるかどうかは別でございますので、このくらいにしておきたいと思うのでございます。ただ、いずれにしろ、戦争という行為と国民との関係は密接不可分である、こう思うのでございます。
そこで本問題に入ってまいりたいと思うのでございますが、戦争というものが起きます。戦争というのは、結局個々の戦闘行為の集積が一口に戦争と呼ばれるのではないかと思うのでございます。その個々の戦闘行為におきましては、殺人、放火、建造物破壊もしくは器物損壊、逮捕、拘留というのも、刑法典に並んである相当いろんなものに対して抵触する行為が、その戦闘行為の中では行われると思います。私は、こういう行為というのを、国家という形ではなくて、理性を持った人類という立場から見ると、これがどうして適法にして好ましい行為なのかということを理屈づけることは、非常にむずかしいと存じております。しかし、正当である、やっていいという、あるいは進められるべき行為だというふうに言えないとしても、違法性はないと言われる場合もあるのではないかと思うのでございます。それはやはり他国からあるいは他国の軍隊から攻撃を受けた、領土を侵犯された、こういう場合に、これに抵抗する行為というのは、かろうじて正当防衛的な行為として違法性が阻却される場合も理屈上は考えられるが、それもなければない方がいい。でありますから、ガンジーのように無抵抗主義というようなものもあり得るわけでございますし、西欧においても良心的兵役拒否、こういうものもあると思うのでございます。私は、個人個人がフリーに話したときはそんな考え方が出てくるのではないかなと思う一方では、俗に戦時国際法と言われているものもございます。戦争をしてもいいという国際条約はないと思うのですが、戦争をやった場合はせめてこのくらいは理性を持ってやろうじゃないかという、非常に理性からは出てこないような国際条約でございますが、あることはある。そういう国際条約がどういうものがあるかというのは、私は余り戦争をやろうと思っておりませんので、では、どういうのが許されるかというのを余りしさいに検討した機会というのはないのでございますが、先ほど話した両先輩の議論を見ると、いろいろなかなり細かな規定があるというふうに聞いております。
そこで、私、不明にして知らないのでお聞きをしたいのですが、戦時国際法に違反された戦闘行為があった、あるいは兵器が使われたということは、世界の歴史上、この原子爆弾は、森井委員の言われるとおり直接は書いてないようでございますが、常識を持った人間なら当然これは違反すると思うのです。しかし原子爆弾は二つしか落とされていないので、それ以外にも戦時国際法に違反する兵器の使用があったというようなケースは、そういう戦時国際法というものができてからあったのか、なかったのか、少しくお聞きしたいと思いますが、いかがなものでしょうか。