藤井治夫の発言 (安全保障特別委員会)
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○参考人(藤井治夫君) 藤井でございます。
今日、三海峡防衛を含むシーレーン防衛の問題をめぐって非常に危険な動きがあらわれていると私は考えております。それは、何よりも軍事的な思考、軍事一辺倒的な考え方が独走し始めているということであると思います。
もし、今後日本が戦争に直面するとすれば、いま北村参考人が述べられましたように、米ソ間の軍事対決がこの日本地域に及んできた、そういう事態である。といたしますと、それはどういうものとわれわれは理解しなければならないのか、それは決して第二次大戦の延長ではないはずであります。つまり、今日は核ミサイルの時代である、そうして、第二次大戦とは違って、アメリカと戦うのではなく、ソ連と戦うということになる、この二つの点が非常に大きく変わった点だと思います。
そういう戦いにおいて、海峡防衛あるいはシーレーン防衛というものがどういう様相のもとで戦われるのか、その点についてこの軍事的思考を優先する人たちの読みが全く間違っている、このことを私は第一に指摘しなければならないと思います。つまり、相手のソ連が日本の海上交通の破壊を意図したときには、まず何よりもアメリカと日本の対潜兵力を無力化するはずである。対潜兵力が顕在であるときに、相手の潜水艦は出撃してこない。潜水艦はP3Cとか、あるいは対潜艦艇とは互角にもちろん戦えないわけであります。発見されたらもうお手上げであります。勝てないわけであります。そういうところへむざむざと出撃してくるはずはございません。まずやはりこちら側の対潜兵力を無力化するはずである。これが相手のとるべき第一の手段であります。
そうして、こちらの対潜兵力、基地なしには行動できない。P3Cでいえば八戸とか厚木とか、そういう基地は、先ほど海原参考人も述べられましたように、ソ連の目の前にあるわけであります。しかも動かない、きわめて攻撃しやすいのであります。したがいまして、この対潜作戦なるものはどういうふうに推移するかといえば、日米の対潜兵力が出撃したときには、ソ連の潜水艦を発見できないということになります。なぜなら、ソ連の原潜はそこに来ていないからであります。いかにP3Cの能力がすぐれておりましても、ないものを発見することはできないはずであります。発見できなくて帰ってきたときに、その基地が破壊されているということになるのではないか。読みの誤り、手順の前後、これがどういう結末をもたらすかということはもう申し上げるまでもないと思います。
こういうふうな非常に何と申しますか、短絡した考え方、これは第二次大戦における日本海軍、アメリカ艦隊を小笠原海域で迎え撃つ、だが相手は来なかった。来ない相手と戦うことはできなかった。いかに名将知将といえども、相手がないのに戦うことはできないわけであります。そういうことをもう一度繰り返そうとしているのではないか。きわめて単純なこと、アメリカと日本の間には太平洋があり、その戦いにおいては、太平洋におけるシーレーン防衛は非常に重要であった。これが第二次大戦の教訓であったといたしましても、日本とソ連の間にあるのは日本海である。この日本海の安全が、何よりも日本の国民の安全のためには大事なものである。こういう自明の事実を抜きにしてシーレーン防衛を論じても始まらないと私は考えます。軍人は過去の戦争を戦う、こういうふうに言われますが、この言葉の正しさが、今日の防衛論でもやはり認められるのではないか。そういうところに、軍事的思考の独走の非常に無意味かつ有害な面があらわれていると私は考えます。
シーレーン防衛について申し上げますと、それは不可能である、不必要である、無意味である、かつ危険である、これが私の結論であります。
なぜ不可能であるのか。これは軍事理論、長いものは守りにくい、守るものはお城のようなものでなくちゃならぬ、こういう原理に反しているわけであって、守るのであれば四つの島、それからさらにどんどん広げていくというふうなことは全く無理な話である。太平洋がどれくらい広いか。さらにインド洋も守らなくちゃならない、地球の表面積の半分を守らなくちゃならない、こういうことに結局はなっていくわけであります。
しかも、相手は潜水艦である。シーレーン防衛は不必要である。今日まで三十数年間、何もそういうことを必要とするような事態は起きなかった。つまり、戦争を起こさなければシーレーンは安全なのであります。平和を守ることが唯一のシーレーンの安全を確保する道である。戦争になれば、もはや守り切れない、これが歴史の教訓であります。
そしてさらに、シーレーンだけを守って一体どういう意味があるのか。たとえば、せっかく石油を持ってきても、製油所が破壊されていれば、もはやそれは使えない。あるいは向こうの積み出し自体が無理になった、あるいは途中の海峡が通れなくなった、こういう事態を考えますと、シーレーンを守っただけでは意味がない。しかも、相手はやはり、その海峡なり、あるいは製油所なり、こういうところを、いざ米ソ間の軍事対決、そして日本がそれに巻き込まれるというふうな事態においては、当然そこをねらってくるはずである。
それから、危険であると申しますのは、これが国土防衛から離れていく、際限なく広がっていく、そうしてそのことが結局は限りのない軍備の拡充を必要とする、第三に、そこから集団的自衛権の行使に進む、この傾向がすでに出てきておりますが、この三つがきわめて危険な面であると思います。
それから最後に、海峡防衛について申し上げますが、確かに海峡はソ連の弱点であります。これを押さえれば、相手は決定的なパンチを受ける。だがしかし、それゆえにこの海峡をめぐる攻防はきわめて厳しいものになると覚悟しなければなりません。その影響は、決して海峡自体だけではない、当然に日本全体に及んでくるわけであります。したがって、封鎖の態勢を構えるだけではなく、相手が掃海する、これを妨害する態勢も整えなくちゃならない。さらに再敷設の能力も持たなくちゃならない。また、相手がこの海峡を突破するために行うであろう作戦すべてに備えなくちゃならない。そういうことはもちろんこちら側の基地が必要である。その基地を相手は当然攻撃してくるはずであります。だから、結局海峡防衛というのは、まさに日ソの全面戦争をもたらす。これをふさぐということになりますと、それはソ連に対する宣戦布告ということになるわけですから、結果はきわめて重大である。
それから第二の問題は、この海峡封鎖に成功いたしまして、ソ連太平洋艦隊を日本海に封じ込めたといたします。その封じ込めた後一体どうするのか、相手はどう出てくるのか、このことが全く考えられていないわけであります。日本海に封じ込められたソ連太平洋艦隊は、そこでおとなしく、もう手も足も出ないということで黙っていてくれるものかどうか。そのソ連太平洋艦隊を私たち日本国民が、金魚鉢の金魚を見るように眺めていれば済むものであろうか。決してそうではないはずであります。ただ、そのことを考えないだけであります。海上自衛隊にとって、それは所管外であるということになるのかもしれませんが、しかし日本の安全保障にとっては、実はそこから先が非常に大事であると私は思います。
それから、さらにもう一つ、海峡封鎖する、ソ連海軍が出ていった、帰りを待ち伏せするのが一番効果的なのだという発言がございます。去る二月十五日、海上幕僚長の前田さんは記者会見において、相手国の艦船が弾薬補給などに寄港するのを阻めるんだというふうに語っておられますが、これは全く、私をして言わしめれば、ナンセンスである。確かに魚雷を使い果たす、ミサイルを使い果たす、そうして帰ってくるソ連の海軍は、全く戦力ゼロであります。この戦力ゼロのソ連艦艇をとらまえるのは、一体何によって可能かと言えば、軍艦は不必要である、漁船の投網でも捕らえられるわけであります。だがしかし、果たしてソ連のこの海軍の司令官は、帰りにつかまえられるのを承知の上でその海軍艦艇を太平洋に出すであろうか。帰ってくるのを保証できないのに、出撃を命じるというふうなことは考えられないわけであります。玉砕を命じる、かつての日本軍はそういうことをいたしましたが、ソ連もまたそういうふうにやるだろうと思うのは、やはりひとりよがりではないか。当然、出撃させたならば、その友軍の艦艇を迎えるために全力を尽くすはずである。海峡は当然確保するでしょう。その確保する相手方の戦いは、きわめて巌しいものになってくるはずであります。
そういうふうに考えますと、この海峡封鎖はきわめて危険なものである。一体なぜそういう危険なものを、また無意味なものをやろうとするのか。これを求めているのは、申し上げるまでもなくアメリカであります。何よりもアメリカの戦略的利益に奉仕するものである。日本列島を盾にして、自衛隊を最前線の守備隊としてアメリカの安全を守ろうとしている、またアメリカの海洋支配を確保しようとしている、こういうふうに見るべきだと思います。そうしてそのためには、いま北村参考人もおっしゃいましたように、どうしてもやはりソ連に対する基地攻撃が必要である、ソ連海軍力の撃滅が伴わなくてはこれは有効ではない、こういうことになってまいります。
したがいまして、結局ソ連との全面戦争、その全面戦争においてソ連に勝つ力を持たなきゃならない。戦っても負けるのでは意味がない。こういうふうにユニホームも考え出しますから、結局勝たなくてはならない、ソ連に勝つ態勢を固めよう、こういうふうになってまいりますから、もう大変な軍備拡充が必要になり、かつ、その結果はきわめて大変なものである。日本国民の安全保障をむしろ損なうことになる。それは第二次大戦の歴史の教訓である。
だから私は、最後に申し上げたいのは、過ちを再び繰り返してはならないということであります。平和日本の国是に立って、その平和の方向でいかに安全保障を確保するか、これを考えなくてはならないわけであり、現在言われている海峡防衛、シーレーン防衛論というのはそれに全く逆行するものではないか、こういうふうに危惧しているわけであります。
以上です。