中曽根康弘の発言 (予算委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○国務大臣(中曽根康弘君) 先ほどの私の答弁の中にいまよりもという言葉がございましたが、これは私の主観が入っている言葉でございますから訂正させていただきます。
それから日教組批判について、いままず御発言がございましたが、私は教職員団体というものは中立を守って、そして憲法と教育基本法のその精神そのままに教育に専心されることを心から熱望しておるものであり、大多数の学校の先生方はそういうお気持ちで一生懸命やっていただいていると確信しております。ただ、日教組のいろんな言動やらスローガンを見ますと、きのうも井上さんが御指摘になりましたけれども、私の言っていることはうそじゃないと思うんです。と申しますのは、たとえば昨年一九八二年の大会スローガンを見ますと「日米安保条約廃棄・非武装中立・非核三原則を堅持し、反核・軍縮・平和のたたかいをいっそう強め、」云々と書いてある。日米安保条約廃棄とか、非武装中立とはというのは、これは政治的な条項でございますね。教職員団体がこういうところまで踏み出すということはどうだろうか。闘いを強めなんという、闘争という言葉を使うから、やっぱり子供が暴力的になる傾向が出るんではないだろうか、何かそういう感じがするんですね、感じといたしまして。なぜ闘争とか闘いという言葉を先生がお使いになる必要があるんだろうか。そういうこともありますし、その運動方針を見ますと、やっぱり「日米安保条約の廃棄」、そうして「職場、地域から反核・反戦・軍縮の運動を強め」と、こう書いてある。職場ということになるとこれは学校ですわね、あるいは教員室ですわね。学校というものからこういう運動を強めということになると、これはどうだろうか。学校というものは教育基本法に基づいて子供たちを育て勉強させるところですから、その場所からこういうことをやられたら、これはPTAも困るんじゃないだろうかと思います。
あるいはさらに「また、反基地、反自衛隊、核兵器廃絶などの署名活動などの多様な運動と啓蒙宣伝活動を強化します。」と、こう言っておられます。反基地、反自衛隊というのは、これちゃんと法律で決められている自衛隊とか、あるいは安保条約で決められている施設、区域とか、こういうものに対するそういう行動をやろうとおっしゃっておる。これは明らかに政治的な行為ではないんだろうか、そういう疑問を持つわけです。臨調路線粉砕、行革臨調粉砕とか、あるいは中教審の反動化、反動中教審対決とか、そういうことも言っていらっしゃるようでございますけれども、こういうところを見ると、やっぱり問題があるんじゃないだろうかと、そういう気がいたすのであります。
日教組の組織の中でも、昨年の大会では日教組は政治闘争を強化するため○○党を支持して闘いますと、こう書いてある。政治闘争を強化するためということになると、これは地方公務員法との関係でどうだろうか、○○政党を支持しますということになると、これはいま言ったように、政党の弾圧とか、政党の介入という問題いまおっしゃったばかりですけれども、特定政党支持というのじゃなくて、あらゆる政党の中から自由に選択して、あるときにはこの政党がいいというときにはこの政党を支持する、あるときこの政党がいいというときにはこの政党を支持する、そういう自由というものがあってほしいのではないのだろうかという気もしますね。そういうようないろんな面から見まして、私自体は疑問を持っておるものなのであります。
それから、憲法の問題につきまして、私は平和国家の理想とか、あるいは平和憲法、あるいは第九条に盛られている平和主義の精神ということは強調しているのでございまして、決して忘れているわけではございません。それから、いまおっしゃいました人権とか、あるいは民主主義、あるいは自由主義、あるいは福祉国家の理念、あるいは国際協調主義、そういう問題は確かにいい原理であり、戦前の日本と戦後の日本を経験している私にとりましては、戦後はすばらしい時代になっておると思うのであります。日本歴史の中でも戦後の三十数年というものは特筆すべきすばらしい時代であると恐らく後世の史家から書かれる時代ではないかと思っております。それに果たしたいまの憲法の役割りというものも決して私らは無視するものではないのであります。
しかし、どんなものでも光があれば影があります。そういう意味において、いまの憲法についても学習し、あるいは検討する、この日教組のあれの中にも憲法学習という言葉がありますね。私あの言葉はいい言葉だろうと思うんです。そういう意味において自由にフランクな立場で物を考えていきたい、しかし、いまの憲法の果たした役割りや評価というものは、私は私としてやはり厳然と持っているということを申し上げたいのです。