三輪定宣の発言 (文教委員会)

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○三輪参考人 教育と公費の関係についての御質問でございます。
 私は、教育費は原則として公費で負担されるべきだし、真に教育的な教育費は公費でしかあり得ないというぐらい強く、教育と公費の関係について認識を持っております。
 その根本的な理由は、教育というものがかけがえのない人権であるということ、そして若い世代を社会の形成者に育て、社会の維持発展を図る、こういう共同の利益を実現するためのいわば社会の存亡をかけた事業、これが教育事業だと私は思います。この点につきましては、日本国憲法のみならず世界の国際的な宣言や条約などが、すべての者の教育を受ける権利を定めておりまして、人間が人間として、また社会の形成者として自立をし豊かに発達するということは侵すことのできない基本的な人権である、このように普遍的な人権として確立しているわけでございます。したがいまして、そのような人権としての教育は、単に個人の経済能力や親の理解という程度で保障をゆだねておくべきではなくて、社会全体で配慮をしなくてはならない、そういう事業であろうかと思います。
 また、教育の成果というのは、確かに個人の利益として還元される分もありますけれども、基本的には社会に還元をされて、そして社会の発展に役立っていくわけでありますので、そのような社会が結局は利益を受ける経費についてはみんなで負担をするということが当然ではないかと思うわけであります。
 また、先ほども発言のところで述べましたように、学生たちも、教育費、学習の経費が公的な資金によって支えられているというそのことが、実は社会的な責任感やあるいは社会に対する奉仕の自覚を促すことになります。これに対して、親の経済能力やあるいは理解によって子供が私的に教育を保障されるということになれば、結局、人生競争の手段として、教育が教育投資の手段として使われ、私費教育が普及すればするほどますます競争が激化して教育が荒廃するという悪循環を繰り返すわけです。したがいまして、私は、本当に教育が成り立つのは公費による教育条件の整備であろうと思います。
 実は、教育基本法の十条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」という教育行政の原則を明記して、第二項で「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」と定めたのも、そのように教育費がさまざまな政治的、財政的な事情や圧力によって不当に削減されない、そうした動向に対して教育を守るのが教育行政の責任であるということを明記したことだと思いますし、それは教育の発展にとって重要な行政責任であろうと思います。

発言情報

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発言者: 三輪定宣

speaker_id: 8524

日付: 1984-06-27

院: 衆議院

会議名: 文教委員会