文教委員会
⚠️ 発言のコピー・転載時は出典元URL(kokkai.ndl.go.jpおよびkokkai-data.com)を必ず残してください。改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。
会
会議録情報#0
昭和五十九年六月二十七日(水曜日)
午前十時三十三分開議
出席委員
委員長 愛野興一郎君
理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君
理事 白川 勝彦君 理事 船田 元君
理事 馬場 昇君 理事 有島 重武君
理事 中野 寛成君
青木 正久君 稻葉 修君
臼井日出男君 榎本 和平君
大島 理森君 北川 正恭君
葉梨 信行君 町村 信孝君
渡辺 栄一君 木島喜兵衞君
佐藤 徳雄君 田中 克彦君
中西 績介君 池田 克也君
伏屋 修治君 滝沢 幸助君
藤木 洋子君 山原健二郎君
江田 五月君
出席政府委員
文部政務次官 中村 靖君
文部大臣官房長 西崎 清久君
委員外の出席者
参 考 人
(日本経済新聞
社論説委員) 黒羽 亮一君
参 考 人
(東京大学新聞
研究所教授) 稲葉三千男君
参 考 人
(常葉学園理事
長) 木宮 和彦君
参 考 人
(千葉大学教育
学部教授) 三輪 定宣君
文教委員会調査
室長 中嶋 米夫君
—————————————
委員の異動
六月二十五日
辞任 補欠選任
木島喜兵衞君 上西 和郎君
同日
辞任 補欠選任
上西 和郎君 木島喜兵衞君
同月二十七日
辞任 補欠選任
二階 俊博君 大島 理森君
同日
辞任 補欠選任
大島 理森君 二階 俊博君
—————————————
六月二十五日、
養護教諭の配置等に関する請願外二件(木島喜
兵衛君紹介)(第六八六二号)
同(中村茂君紹介)(第六九一四号)
教育職員免許法等の一部を改正する法律案反対
等に関する請願外三件(佐藤誼君紹介)(第六
八七七号)
同(田中克彦君紹介)(第六九七〇号)
私学助成の増額に関する請願(青山丘君紹介)
(第六九〇八号)
同(伊藤英成君紹介)(第六九〇九号)
同(春日一幸君紹介)(第六九一〇号)
同(近藤豊君紹介)(第六九一一号)
同(塚本三郎君紹介)(第六九一二号)
同(横江金夫君紹介)(第六九六七号)
同外四件(横山利秋君紹介)(第六九六八号)
私学助成に関する請願(松野幸泰君紹介)(第
六九一三号)
同(古屋亨君紹介)(第六九六九号)
は本委員会に付託された。
—————————————
本日の会議に付した案件
日本育英会法案(内閣提出第二五号)
————◇—————
この発言だけを見る →午前十時三十三分開議
出席委員
委員長 愛野興一郎君
理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君
理事 白川 勝彦君 理事 船田 元君
理事 馬場 昇君 理事 有島 重武君
理事 中野 寛成君
青木 正久君 稻葉 修君
臼井日出男君 榎本 和平君
大島 理森君 北川 正恭君
葉梨 信行君 町村 信孝君
渡辺 栄一君 木島喜兵衞君
佐藤 徳雄君 田中 克彦君
中西 績介君 池田 克也君
伏屋 修治君 滝沢 幸助君
藤木 洋子君 山原健二郎君
江田 五月君
出席政府委員
文部政務次官 中村 靖君
文部大臣官房長 西崎 清久君
委員外の出席者
参 考 人
(日本経済新聞
社論説委員) 黒羽 亮一君
参 考 人
(東京大学新聞
研究所教授) 稲葉三千男君
参 考 人
(常葉学園理事
長) 木宮 和彦君
参 考 人
(千葉大学教育
学部教授) 三輪 定宣君
文教委員会調査
室長 中嶋 米夫君
—————————————
委員の異動
六月二十五日
辞任 補欠選任
木島喜兵衞君 上西 和郎君
同日
辞任 補欠選任
上西 和郎君 木島喜兵衞君
同月二十七日
辞任 補欠選任
二階 俊博君 大島 理森君
同日
辞任 補欠選任
大島 理森君 二階 俊博君
—————————————
六月二十五日、
養護教諭の配置等に関する請願外二件(木島喜
兵衛君紹介)(第六八六二号)
同(中村茂君紹介)(第六九一四号)
教育職員免許法等の一部を改正する法律案反対
等に関する請願外三件(佐藤誼君紹介)(第六
八七七号)
同(田中克彦君紹介)(第六九七〇号)
私学助成の増額に関する請願(青山丘君紹介)
(第六九〇八号)
同(伊藤英成君紹介)(第六九〇九号)
同(春日一幸君紹介)(第六九一〇号)
同(近藤豊君紹介)(第六九一一号)
同(塚本三郎君紹介)(第六九一二号)
同(横江金夫君紹介)(第六九六七号)
同外四件(横山利秋君紹介)(第六九六八号)
私学助成に関する請願(松野幸泰君紹介)(第
六九一三号)
同(古屋亨君紹介)(第六九六九号)
は本委員会に付託された。
—————————————
本日の会議に付した案件
日本育英会法案(内閣提出第二五号)
————◇—————
愛
愛野興一郎#1
○愛野委員長 これより会議を開きます。
内閣提出、日本育英会法案を議題といたします。
本日は、参考人として、日本経済新聞社論説委員黒羽亮一君、東京大学新聞研究所教授稲葉三千男君、常葉学園理事長木宮和彦君、千葉大学教育学部教授三輪定宣君、以上四名の方々に御出席をいただいております。
この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。
本日は、御多用中のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、ただいま議題となっております日本育英会法案について、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
次に、議事の順序について申し上げます。
まず、参考人から御意見をそれぞれ十五分程度お述べいただいた後、委員の質疑に対してお答えいただきたいと存じます。
なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を受けることとなっております。
それでは、まず黒羽参考人にお願いいたします。
この発言だけを見る →内閣提出、日本育英会法案を議題といたします。
本日は、参考人として、日本経済新聞社論説委員黒羽亮一君、東京大学新聞研究所教授稲葉三千男君、常葉学園理事長木宮和彦君、千葉大学教育学部教授三輪定宣君、以上四名の方々に御出席をいただいております。
この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。
本日は、御多用中のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、ただいま議題となっております日本育英会法案について、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
次に、議事の順序について申し上げます。
まず、参考人から御意見をそれぞれ十五分程度お述べいただいた後、委員の質疑に対してお答えいただきたいと存じます。
なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を受けることとなっております。
それでは、まず黒羽参考人にお願いいたします。
黒
黒羽亮一#2
○黒羽参考人 日本経済新聞の黒羽であります。
この日本育英会法案に対して、私は、早期に成立を図るべきであるという立場から意見を申し上げます。
総論として、なぜ早くできた方がよろしいかと申しますと、現在の財政状況と育英奨学事業の重要性という二点を加味いたしますと、育英奨学事業を拡充発展させるような法律になっているようでありまして、基本的な方向としては賛成であります。
以下、若干具体的なその理由を申し上げます。
まず第一点は、今回のこの改正は第二臨調の答申を踏まえたものであるというふうに言われております。確かに発端はそこにあったようでありますが、その後文部省内に育英奨学事業に関する調査研究会という組織が設けられまして、私もその末席に参加していた者であります。そこで諸外国の奨学事業の実情調査とか、それから関係団体からの意見聴取などをかなり詳細に行いました。期間は大体一年半くらいにわたったと思います。そして昨年、その報告を文部省に提出したわけでありますが、法案を拝見いたしますと、ほぼそのような線でできているようであります。それから、所要の予算措置も五十九年度予算政府案に盛り込まれておるわけでありまして、そういう意味からいけば、素人なりに一種の予算関連法案かと思考するわけであります。したがって、臨調答申の影響は受けてはいるが、それをそのまま実施したというものではなく、教育政策あるいは文教政策と言ってもよいかもしれませんが、その観点から十分にそしゃくされているものであるというふうに思うわけです。
二、三例を申し上げますと、臨調答申では「外部資金の導入による有利子制度への転換」というようなことが言われておりまして、すべてを有利子制度に転換するというような答申であったようでありますが、文部省で開かれました調査会の報告では、無利子制度というものをやはり根幹として存続してそれを改善していくということをまず第一点として挙げまして、第二点として、しかしながら今日の財政事情のもとでは、育英奨学事業の規模拡大のためには外部資金を導入してそれを長期低利で貸し付けるという制度も入れる、両々相までは育英奨学事業が拡大するのではないかというふうな考え方に立ちました。
もう一点は、臨調答申では返還免除制度というものの廃止を進めるというような表現がございますが、調査会の報告では、学校教育や学術研究のための人材確保という非常に重要な問題のためにこの制度は引き続き存続すべきものであるというような意見を取りまとめました。本法案もこの調査会の線に沿っているようであります。
それから第三点といたしまして、この調査会では各国の奨学事業なども検討したわけでありますが、先進国と言われます欧米と比べまして、日本は奨学事業の規模においてもその内容においても、かなり見劣っております。ヨーロッパ、アメリカなどにおいては給与制度というようなものがかなり発展しております。もちろん今の育英会のような無利子貸与もありますし、ローンもあることはあるわけですが、しかし給与制度というようなものも相当に発展しております。それに対して、我が国で実質的給与になるのは返還免除のある教員に就職した場合とか学術研究者になった場合だけであります。そういうような違いがあります。それから金額的に見ましても、我が国の育英奨学事業は、民間の分を含めてもせいぜい千二百億円か千三百億円ぐらいでありますが、アメリカの場合は、いろいろな計算の仕方がありますけれども、日本円に直すと一兆五千億円ぐらいになるのではないか。西ドイツの場合は四千億円ぐらいになるのではないかというような試算もあるわけでありまして、こういうものとの比較もいたしました。
そこで、我が国の育英奨学事業は、長期的に見ればこういう先進国を目標に拡大していかなければならないのではありますが、どうも現在の財政事情も大変深刻な状況であります。そこで、この深刻な財政事情のもとでも育英事業の拡大を図っていくためには、やはり一般会計に依存しているという形だけではかなり無理があるのではないかというような感じであります。
その次に、最近の高等教育の拡大傾向というようなものを考えてみる必要があると思います。現在、大学、短大の学生数は二百万人を超しているわけでありまして、これは国民に経済的な余裕があるからこれだけ進学が伸びたとは思いますが、また一面、そういうような進学拡大ムードの中で学費が乏しくて困っている人も、全体の量がふえるのに伴って、それに比例してふえているわけであります。先般も、この法案がなかなか成立しないために各大学で困っている表情が新聞、テレビなどで一斉に報道されましたけれども、その後も、私も仕事柄大学の先生に会う機会が多いわけでありますが、似たような話をよく聞いておるわけでありまして、そういう面からいけば、恩恵を受ける学生の数でも金額でも拡充していく必要があるのではないかと思います。
それで、新しく始まるこの有利子制度は金額にして六十億円分というようなことで、育英会の事業規模の一割にも満たない数でありますが、しかし、これも拡充のための新しい手段になるのではないかと思うわけであります。利子も、財投の利率はたしか七%以上と聞いておりますが、利子補給がありまして三%ということになっております。今日の消費者物価の上昇率その他を考えますと、三%の利子というのは、事実上は将来所得があるようになれば特に負担にはならない、毎年の経済規模の拡大ぐらいの数字なので、この程度でよろしいのではないかと思うわけであります。
それから次に、先ほどもちょっと申しましたように、我が国の育英奨学事業が総額千二百億とか千三百億ぐらいの範囲の中で育英会の奨学事業の占めているウエートが千億を超しておりまして、非常に大きいわけです。多数の民間の育英奨学事業がありますけれども、それぞれ規模は非常に小さいものでありまして、その総額というのは三百億円あるかないかぐらいと承っております。この点が諸外国、特にアメリカのように企業あるいは財団あるいは個人というような民間の奨学事業の発展している国と我が国の違いであるわけです。これは、一つは学生に対する考え方の違い、文化に対する考え方の違いのようなものでありまして、ですから我が国が特に悪いというわけではありませんが、実態としてはそういうふうになっているということは認識しておかなければならない。つまり、日本育英会のウエートというものは非常に大きい。ですから、そこがしっかりしていないと日本の育英奨学事業というものがおかしくなってしまうというような感じであります。
以上、総括いたしまして、奨学事業は人員、金額ともに拡充する必要があるというふうに私は思っております。そして、従来のように一般会計だけに依存するのでは今日の財政状況下においては充実が困難でありますので、財投資金導入による低利有利子制度の創設は、育英事業全体の拡充という観点から必要かと思っております。
以上です。
この発言だけを見る →この日本育英会法案に対して、私は、早期に成立を図るべきであるという立場から意見を申し上げます。
総論として、なぜ早くできた方がよろしいかと申しますと、現在の財政状況と育英奨学事業の重要性という二点を加味いたしますと、育英奨学事業を拡充発展させるような法律になっているようでありまして、基本的な方向としては賛成であります。
以下、若干具体的なその理由を申し上げます。
まず第一点は、今回のこの改正は第二臨調の答申を踏まえたものであるというふうに言われております。確かに発端はそこにあったようでありますが、その後文部省内に育英奨学事業に関する調査研究会という組織が設けられまして、私もその末席に参加していた者であります。そこで諸外国の奨学事業の実情調査とか、それから関係団体からの意見聴取などをかなり詳細に行いました。期間は大体一年半くらいにわたったと思います。そして昨年、その報告を文部省に提出したわけでありますが、法案を拝見いたしますと、ほぼそのような線でできているようであります。それから、所要の予算措置も五十九年度予算政府案に盛り込まれておるわけでありまして、そういう意味からいけば、素人なりに一種の予算関連法案かと思考するわけであります。したがって、臨調答申の影響は受けてはいるが、それをそのまま実施したというものではなく、教育政策あるいは文教政策と言ってもよいかもしれませんが、その観点から十分にそしゃくされているものであるというふうに思うわけです。
二、三例を申し上げますと、臨調答申では「外部資金の導入による有利子制度への転換」というようなことが言われておりまして、すべてを有利子制度に転換するというような答申であったようでありますが、文部省で開かれました調査会の報告では、無利子制度というものをやはり根幹として存続してそれを改善していくということをまず第一点として挙げまして、第二点として、しかしながら今日の財政事情のもとでは、育英奨学事業の規模拡大のためには外部資金を導入してそれを長期低利で貸し付けるという制度も入れる、両々相までは育英奨学事業が拡大するのではないかというふうな考え方に立ちました。
もう一点は、臨調答申では返還免除制度というものの廃止を進めるというような表現がございますが、調査会の報告では、学校教育や学術研究のための人材確保という非常に重要な問題のためにこの制度は引き続き存続すべきものであるというような意見を取りまとめました。本法案もこの調査会の線に沿っているようであります。
それから第三点といたしまして、この調査会では各国の奨学事業なども検討したわけでありますが、先進国と言われます欧米と比べまして、日本は奨学事業の規模においてもその内容においても、かなり見劣っております。ヨーロッパ、アメリカなどにおいては給与制度というようなものがかなり発展しております。もちろん今の育英会のような無利子貸与もありますし、ローンもあることはあるわけですが、しかし給与制度というようなものも相当に発展しております。それに対して、我が国で実質的給与になるのは返還免除のある教員に就職した場合とか学術研究者になった場合だけであります。そういうような違いがあります。それから金額的に見ましても、我が国の育英奨学事業は、民間の分を含めてもせいぜい千二百億円か千三百億円ぐらいでありますが、アメリカの場合は、いろいろな計算の仕方がありますけれども、日本円に直すと一兆五千億円ぐらいになるのではないか。西ドイツの場合は四千億円ぐらいになるのではないかというような試算もあるわけでありまして、こういうものとの比較もいたしました。
そこで、我が国の育英奨学事業は、長期的に見ればこういう先進国を目標に拡大していかなければならないのではありますが、どうも現在の財政事情も大変深刻な状況であります。そこで、この深刻な財政事情のもとでも育英事業の拡大を図っていくためには、やはり一般会計に依存しているという形だけではかなり無理があるのではないかというような感じであります。
その次に、最近の高等教育の拡大傾向というようなものを考えてみる必要があると思います。現在、大学、短大の学生数は二百万人を超しているわけでありまして、これは国民に経済的な余裕があるからこれだけ進学が伸びたとは思いますが、また一面、そういうような進学拡大ムードの中で学費が乏しくて困っている人も、全体の量がふえるのに伴って、それに比例してふえているわけであります。先般も、この法案がなかなか成立しないために各大学で困っている表情が新聞、テレビなどで一斉に報道されましたけれども、その後も、私も仕事柄大学の先生に会う機会が多いわけでありますが、似たような話をよく聞いておるわけでありまして、そういう面からいけば、恩恵を受ける学生の数でも金額でも拡充していく必要があるのではないかと思います。
それで、新しく始まるこの有利子制度は金額にして六十億円分というようなことで、育英会の事業規模の一割にも満たない数でありますが、しかし、これも拡充のための新しい手段になるのではないかと思うわけであります。利子も、財投の利率はたしか七%以上と聞いておりますが、利子補給がありまして三%ということになっております。今日の消費者物価の上昇率その他を考えますと、三%の利子というのは、事実上は将来所得があるようになれば特に負担にはならない、毎年の経済規模の拡大ぐらいの数字なので、この程度でよろしいのではないかと思うわけであります。
それから次に、先ほどもちょっと申しましたように、我が国の育英奨学事業が総額千二百億とか千三百億ぐらいの範囲の中で育英会の奨学事業の占めているウエートが千億を超しておりまして、非常に大きいわけです。多数の民間の育英奨学事業がありますけれども、それぞれ規模は非常に小さいものでありまして、その総額というのは三百億円あるかないかぐらいと承っております。この点が諸外国、特にアメリカのように企業あるいは財団あるいは個人というような民間の奨学事業の発展している国と我が国の違いであるわけです。これは、一つは学生に対する考え方の違い、文化に対する考え方の違いのようなものでありまして、ですから我が国が特に悪いというわけではありませんが、実態としてはそういうふうになっているということは認識しておかなければならない。つまり、日本育英会のウエートというものは非常に大きい。ですから、そこがしっかりしていないと日本の育英奨学事業というものがおかしくなってしまうというような感じであります。
以上、総括いたしまして、奨学事業は人員、金額ともに拡充する必要があるというふうに私は思っております。そして、従来のように一般会計だけに依存するのでは今日の財政状況下においては充実が困難でありますので、財投資金導入による低利有利子制度の創設は、育英事業全体の拡充という観点から必要かと思っております。
以上です。
愛
稲
稲葉三千男#4
○稲葉参考人 東京大学の稲葉でございます。
私は、今回の育英会法の改正、特に有利子制の導入ということに対しまして反対の立場から少し意見を述べさせていただきます。
私自身は、戦後に旧制の高等学校から大学そして大学院と、約十一年間でございますが、奨学金を受けて学生生活を送った者でございます。そして大学院の五年間につきましては、卒業後すぐに現在の新聞研究所に就職いたしましたものですから返還免除の特典にあずかった者でございます。高等学校及び大学で貸与を受けた奨学金につきましては二十五年の年賦ということで、たしか昨年完済をいたしました。自分が今こうして大学に職を奉じているという、こういう立場に立てるということについても、奨学金の恩恵を非常に受けているということを体験して痛感しているものであります。
まず、私の教育についての考えというのを少し述べさせていただきますが、私は、教育というのは、理念として言えば、人類が人類を生みまた育てていく、そういう活動だというふうに思っております。人類以外の生物の場合ですと、せいぜい環境に適応して進化をするというわけでありますが、人類の場合は、みずからの意思と努力によって進歩するあるいは発展する、そういう進歩発展の中に教育という極めて基本的な活動が位置づけられているというふうに思っております。歴史の中で見ますと、こういう教育という営み、人類が人類を生み育てるという活動が、最初は十数人あるいは数十人というような規模で始まるでしょうし、やがてそれは数百人あるいは数千人というような拡大をしていくわけですが、近代の市民社会が成立しまして近代国家になりますと、国家あるいは国民が国民を生み育てていく、そういう活動になってまいります。そこに近代社会における基本的人権として教育を受ける権利が確認をされ、また、それを無償の教育という形で遂行するということが世界的に広がってきているわけであります。
そういう歴史の流れを踏まえますと、現在二つの課題が浮かび上がってまいります。
一つは、教育の国際化の問題であります。この面につきましては、我が国においてもその必要性が近年ますます痛感をされ、いろいろの施策が図られているように承知をいたしております。
と同時に、もう一つは、教育という活動の全体を無償化していく、教育の機会均等という理念にのっとって無償化していくことが必要でありまして、この点につきましてはしばしば指摘をされますように、国際人権規約の第十三条が「種々の形態の中等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること。」さらに「高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。」こういうふうに、いわゆる基礎的な教育だけではなくて中等教育から高等教育に至るまで、さらにそれを発展させるならば、成人教育あるいは生涯教育というような問題も含めてすべてを無償化をしていき、教育を受ける権利をすべての人間に対して保障していくことが必要だと思っております。
そういう観点で教育の現状を見ましたときに、一つ出てまいっております問題点は、教育における資本の論理の浸透という問題、裏返して申しますと、教育の論理あるいは文化の論理ということがややもすると軽視をされていく傾きがある。これは具体的な問題としては教育産業、例えば塾というようなことが一つの問題点として指摘をされるかと思います。たしか昨日も、NHKの総合テレビが朝の「おかあさんの勉強室」の時間で、月四万円かかる幼稚園の話をいたしておりました。もちろん父母側の選択あるいは子供本人の選択でそういうお金のかかる教育ということもあってよろしいと思いますけれども、特に公教育あるいは公教育に準ずるような、例えば現在の私立のいろいろな教育機関も含めてでございますが、できるだけそこでは教育の論理あるいは文化の論理で活動が続けられることが望ましい。言いかえれば、資本の論理をできるだけ排除していくことが望ましい。
しばしば教育を語るときに、それは国家百年の大計であると言われ、また一つの歴史的な事実として、長岡藩におけるいわゆる米百俵の例が出されるわけですけれども、そのときの小林虎三郎の論理というのは、まさに今ここにおける利益を追求するのではなくて、どう文化の論理あるいは教育の論理に立って人間を育てていくか、あるいは社会を築いていくか、こういう理念の表明であったと思います。それが米百俵の話を私たちに非常に感銘深いものにしていると思うわけであります。
それが、現実の社会を見ますと、いろいろな形で教育にも資本の論理が浸透しようとしている。そこに財政危機、国家財政の危機ということが言われるわけでありますが、私自身、先ほど申しましたように、戦後間もない時期に旧制高校で学びまして、たしか月六百円の奨学金を受けたと思います。そのころ、私も寮生活を送っておりましたが、よく芋が一切れぐらい乗っかって夕食である、あるいはすいとんを食べてそれで一念終わりというような生活をしていたときでも、奨学金に利子をつけようというような発想は恐らく出ていなかったのではなかろうか、あるいは奨学金をやめようというようなことも恐らくなかったのじゃなかろうか。その辺は詳しくは存じませんけれども、そういう時代に無利子制の奨学金を受けてきた一人として、これからのまさに二十一世紀を担っていくと言われる子供たち、青年たちに対して、今の時代は苦しいのだから本当は無利子がいいのだが有利子も我慢してくれと言うようなことは、親の世代の一つの発言としてとてもできるものではないというのが私の実感であります。どんなに苦しくても無利子制を守っていく、あるいはさらにはそれを改善していくということであれば給付制にしていく、授業料については無償制にしていく、こういう方向こそが歴史の流れを踏まえたものであって、そこへ有利子制を導入し、それによって奨学金を受ける人数をふやすというようなことは、確かに人数はふえているとは思いますけれども、これはまさに資本の論理に教育の論理あるいは文化の論理が屈服していくことであって、今あらわれているところだけを見ればせいぜい二万人が有利子貸与になるということだけのように見えますけれども、教育全体の質の問題として、これは極めてシンボリックな事件あるいは導入でありまして、こういうところから教育の全体がまた変質していくことが予想されるわけであります。
今盛んに教育改革が議論されておりますが、私はここで一つの理念として、資本の論理に抗した、そして本当に人間を進歩させ発展させていく教育の実現ということを国民全体の願いとして受けとめていくならば、教育全体がそういう方向に改革されなければいけないだろうし、そういう改革の一環として奨学金制度も、英才に対して利子を取ってでも与えるということではなくて、すべての人間に給付をしていく、少なくとも現行の無利子貸与ということぐらいは守らなければ子孫に対して顔向けができないのじゃないかというふうに考えている次第であります。
以上で最初の陳述を終わります。
この発言だけを見る →私は、今回の育英会法の改正、特に有利子制の導入ということに対しまして反対の立場から少し意見を述べさせていただきます。
私自身は、戦後に旧制の高等学校から大学そして大学院と、約十一年間でございますが、奨学金を受けて学生生活を送った者でございます。そして大学院の五年間につきましては、卒業後すぐに現在の新聞研究所に就職いたしましたものですから返還免除の特典にあずかった者でございます。高等学校及び大学で貸与を受けた奨学金につきましては二十五年の年賦ということで、たしか昨年完済をいたしました。自分が今こうして大学に職を奉じているという、こういう立場に立てるということについても、奨学金の恩恵を非常に受けているということを体験して痛感しているものであります。
まず、私の教育についての考えというのを少し述べさせていただきますが、私は、教育というのは、理念として言えば、人類が人類を生みまた育てていく、そういう活動だというふうに思っております。人類以外の生物の場合ですと、せいぜい環境に適応して進化をするというわけでありますが、人類の場合は、みずからの意思と努力によって進歩するあるいは発展する、そういう進歩発展の中に教育という極めて基本的な活動が位置づけられているというふうに思っております。歴史の中で見ますと、こういう教育という営み、人類が人類を生み育てるという活動が、最初は十数人あるいは数十人というような規模で始まるでしょうし、やがてそれは数百人あるいは数千人というような拡大をしていくわけですが、近代の市民社会が成立しまして近代国家になりますと、国家あるいは国民が国民を生み育てていく、そういう活動になってまいります。そこに近代社会における基本的人権として教育を受ける権利が確認をされ、また、それを無償の教育という形で遂行するということが世界的に広がってきているわけであります。
そういう歴史の流れを踏まえますと、現在二つの課題が浮かび上がってまいります。
一つは、教育の国際化の問題であります。この面につきましては、我が国においてもその必要性が近年ますます痛感をされ、いろいろの施策が図られているように承知をいたしております。
と同時に、もう一つは、教育という活動の全体を無償化していく、教育の機会均等という理念にのっとって無償化していくことが必要でありまして、この点につきましてはしばしば指摘をされますように、国際人権規約の第十三条が「種々の形態の中等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること。」さらに「高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。」こういうふうに、いわゆる基礎的な教育だけではなくて中等教育から高等教育に至るまで、さらにそれを発展させるならば、成人教育あるいは生涯教育というような問題も含めてすべてを無償化をしていき、教育を受ける権利をすべての人間に対して保障していくことが必要だと思っております。
そういう観点で教育の現状を見ましたときに、一つ出てまいっております問題点は、教育における資本の論理の浸透という問題、裏返して申しますと、教育の論理あるいは文化の論理ということがややもすると軽視をされていく傾きがある。これは具体的な問題としては教育産業、例えば塾というようなことが一つの問題点として指摘をされるかと思います。たしか昨日も、NHKの総合テレビが朝の「おかあさんの勉強室」の時間で、月四万円かかる幼稚園の話をいたしておりました。もちろん父母側の選択あるいは子供本人の選択でそういうお金のかかる教育ということもあってよろしいと思いますけれども、特に公教育あるいは公教育に準ずるような、例えば現在の私立のいろいろな教育機関も含めてでございますが、できるだけそこでは教育の論理あるいは文化の論理で活動が続けられることが望ましい。言いかえれば、資本の論理をできるだけ排除していくことが望ましい。
しばしば教育を語るときに、それは国家百年の大計であると言われ、また一つの歴史的な事実として、長岡藩におけるいわゆる米百俵の例が出されるわけですけれども、そのときの小林虎三郎の論理というのは、まさに今ここにおける利益を追求するのではなくて、どう文化の論理あるいは教育の論理に立って人間を育てていくか、あるいは社会を築いていくか、こういう理念の表明であったと思います。それが米百俵の話を私たちに非常に感銘深いものにしていると思うわけであります。
それが、現実の社会を見ますと、いろいろな形で教育にも資本の論理が浸透しようとしている。そこに財政危機、国家財政の危機ということが言われるわけでありますが、私自身、先ほど申しましたように、戦後間もない時期に旧制高校で学びまして、たしか月六百円の奨学金を受けたと思います。そのころ、私も寮生活を送っておりましたが、よく芋が一切れぐらい乗っかって夕食である、あるいはすいとんを食べてそれで一念終わりというような生活をしていたときでも、奨学金に利子をつけようというような発想は恐らく出ていなかったのではなかろうか、あるいは奨学金をやめようというようなことも恐らくなかったのじゃなかろうか。その辺は詳しくは存じませんけれども、そういう時代に無利子制の奨学金を受けてきた一人として、これからのまさに二十一世紀を担っていくと言われる子供たち、青年たちに対して、今の時代は苦しいのだから本当は無利子がいいのだが有利子も我慢してくれと言うようなことは、親の世代の一つの発言としてとてもできるものではないというのが私の実感であります。どんなに苦しくても無利子制を守っていく、あるいはさらにはそれを改善していくということであれば給付制にしていく、授業料については無償制にしていく、こういう方向こそが歴史の流れを踏まえたものであって、そこへ有利子制を導入し、それによって奨学金を受ける人数をふやすというようなことは、確かに人数はふえているとは思いますけれども、これはまさに資本の論理に教育の論理あるいは文化の論理が屈服していくことであって、今あらわれているところだけを見ればせいぜい二万人が有利子貸与になるということだけのように見えますけれども、教育全体の質の問題として、これは極めてシンボリックな事件あるいは導入でありまして、こういうところから教育の全体がまた変質していくことが予想されるわけであります。
今盛んに教育改革が議論されておりますが、私はここで一つの理念として、資本の論理に抗した、そして本当に人間を進歩させ発展させていく教育の実現ということを国民全体の願いとして受けとめていくならば、教育全体がそういう方向に改革されなければいけないだろうし、そういう改革の一環として奨学金制度も、英才に対して利子を取ってでも与えるということではなくて、すべての人間に給付をしていく、少なくとも現行の無利子貸与ということぐらいは守らなければ子孫に対して顔向けができないのじゃないかというふうに考えている次第であります。
以上で最初の陳述を終わります。
愛
木
木宮和彦#6
○木宮参考人 私は、静岡の学校法人の理事長をやっておる者でございます。私の学校は、大学、短大、高校三つ、中学校二つ、小学校一つ、幼稚園二つ、計十校を私が経営し、責任を持ってやっておる者でございます。
今回、育英会の法律改正につきまして意見を述べろということで、特に私が考えていることを自由に述べて構わないというお話でございましたのでまかり出たようなわけでございますが、いろいろと子細には言えませんけれども、私は今回の法律改正には賛成をいたします。ただ、私の現場からあるいは現地からの声というものは国会にも反映されないだろうし、まだこれからの運営にむしろ法律改正以上に大事なことだろうと思いますので、私はその辺の実態を申し上げまして参考に資していただければ大変ありがたいと思います。
ただいまもお話がありましたが、教育につきましてはいろいろな観点でとらえることができると思いますけれども、教育をだれが受け、だれがする、まただれのためにするかという問題は非常に難しい問題だと思います。
昔はただ本人のため、言ってみれば出世のために教育を受けるのだ、素朴な意見でございますが受益者は本人であるというふうに位置づけられていたと思います。しかし、近年は必ずしもそうではなくて、総資本、社会すなわち国家が受益者であるという観念が非常に浸透してきたと思います。そのために私立学校への経常費の補助あるいはこの育英会の拡充ということが行われたのではないかと思います。私もその両方が今日の教育の受益者だと思います。国家も受益者であるし、また本人も受益者であると思います。そういう意味では、それを受けるために必要な経費は、本人が半分、国家あるいは自治体が半分受け持つのは当然だと思います。ただ、本人が持てといっても必ずしも全員が持てるわけではございませんので、やはり育英会というものがこれにかわるべく大いにバックアップしていく大切な役目を果たしていく、それがこの日本育英会の使命ではないかと私は思います。今回そういう意味で、特別と一般をやめて貸付金を有利子あるいは無利子というふうな二つの方向に行くということは、機会均等あるいは大勢の人がこの日本育英会の恩典を受けられるという意味で大変結構なことだ、私はそう思います。
まず、一つ実例だけを申し上げますが、ただ育英会にも、大学生の場合と高校生の場合は受け方が大分違います。高校生の場合ですと、育英会の支部から学校にわざわざキャンペーンに来てくださって、そして受け持ちの先生が、おい、だれか、おまえのところで日本育英会を受けてくれないかというようにして、むしろ掘り起こすのに大変苦労するような実態がございます。これはなぜか。これにはやはりいわゆる無利子で受けるということに対する親の抵抗、子供はいいと言うのですが、そのぐらいのものは親が見てやるから心配するなというような観念が親に非常に強いので、言ってみれば、お金を借りて学校へやるということは罪悪あるいは暗いイメージがあるというのが高校以下の場合の実態でございます。それにはどうしたら明るくなるかということをやはり我々は考えるべきだと思います。それから大学の場合には、これは公私立ございまして、国立の場合と私立の場合では大分事情が違うと私は思います。国立の場合には私立と違いまして、既に授業料でかなり恩典を受けているはずでございます。これは学生の方から言わせますと、授業料がうんと安いということは言ってみれば国家の負担が多いということでございますから、本人の負担が少ないということでございます。そういう意味で、私立学校にもっともっと優遇措置があってしかるべきだというふうに私は考えております。
今回、何といいますか、無利子を一本化しようということでございます。これはあくまで私の希望でございますが、奨学生というものにつきましては二本立てでお願いするのが私は一番いいと思います。一つは、やはり給費生的にもう無料でもやる。特にその子供に名誉的に、これから世の中のためにリーダーシップをとれる人、あるいは金銭的に非常に苦しい方にはやはりそれだけの待遇をしてやるべき中核を育てるのが、私は教育の場においても大事なことだと思います。それからそれ以外の場合には、貸与生の中には一種、二種があって結構でございますし、また有利子がたくさんあることについては、私は何も抵抗を感じておりません。むしろもっと自由に、いつでも、どこでも、だれでも、この日本育英会の貸与生になれる。言ってみれば所得制限なし、だれでも借りられるというふうにしていただきますと、大変明るくなると私は思うのです。
しかし、資金には限界がございますので、その辺の問題はともかくといたしまして、ただしかし、この際、育英会の方でも債券を発行して資金の調達をされるように今回の法改正でなっておりますが、私は大賛成でございまして、もっと積極的に民間資金の導入をやって、そしてまた返還につきましては、その事務を民間に委託するなりして、やはりもっと機能的に運営していただきたいと思います。そういうことが大事だと思います。それによって国家は税金を利子補給するということで、あまねく大勢の学生が育英資金を借りられるようになると私は思います。
それからもう一つ、現場として考えられますことは、私立学校の場合には一時金というものが入学当初にかなりの金額になりますので、この入学金その他の一時金がなくて大学入学を断念するというケースがなきにしもあらず、むしろ多いと思います。むしろ月々の費用はそれなりに自分で稼いで、アルバイトをやって稼いで何とかなるけれども、一時金の多額の金がどうにもならぬという現実がございますので、特に医科系の場合にはそうだと思いますので、できましたらこういうものを一時金的に育英資金が代替して、就職後それを長い間かかって返済するというような方策もぜひ考えていただきたい、かように思います。
いずれにいたしましても、現在の日本育英会の役割というものは非常に大きいと私は思います。ただ、先ほど来申し上げましたように、せっかく借りたくてもなかなか借りられないという実情がございます。
二、三例を申し上げますと、大学生の場合でございますが、母親が再婚いたしまして、そして養子縁組みをした。ところが、男の子でございますが、その再婚したおやじから金をもらうのを潔しとせず、青年にはそういう心情というものがございまして、再婚した親からもらうのはおれは嫌だと言い張って、絶対にもらわない。それじゃ学校の方で育英資金をもらうようにお願いしようということで実際に申し込んだところが、やはり養子縁組みをしておりますし、またその新しいお父さんの所得が非常に多いということで、所得制限にひっかかってもらえない。やむなくとうとう本人は退学していったという勇ましい青年もおります。これなんかも所得制限がなければ、あるいは自分が借りて、そして学校に立派に行く。親がかりといいますか、かえってそういうことを嫌う、自尊心が高い、大変優秀な青年でございましたが、私としてはこれは非常に残念に思いますが、制度上これはやむを得ないことでございまして、そういうことを何とかしていただければ大変ありがたいのじゃないかと思います。
それから高校生の場合ですと、急に倒産しておやじがいなくなってしまう。その場合、成績が中よりも悪い、しかし人間が非常にまじめである。ところが、親がいなかったりあるいは成績が悪かったりするために、せっかく高等学校三年生まで行っておりながら日本育英資金が必ずしも受けられない。成績がもう少しよければ該当するのですが、それがだめだという場合もあります。成績も大事でございますけれども、しかし私は、そういう意味で所得制限をなくして、たとえわずかな利子を取られてもそういう子供が日本育英会の一つの傘の中に入ってくるように応用していただくということが大事だろうと思います。 それからもう一つの例は、私立の高等学校に来る者は必ずしも優秀な子供ばかりではございません。ところが、高校一年に入って、そして中学の成績でもって申請いたしますので、中以下になっている場合があります。しかし、その高等学校では中よりちょっと上だと思って提出したところが、それはだめである。しかも、私立学校で高い月謝を払わなければならないのにそれが受けられないというような事態もございますので、私は、そういう意味でぜひひとつ日本育英資金も大胆に民間の資金を活用し、そして今後大いに膨らましていただきたい。むしろ今回の法改正は遅きに失したというような気がいたします。そういう意味で、現場なり社会なりのニーズに対応できるような運営ができる、そういう法律にぜひしていただきたい。それには今回の法改正がその第一歩だと私は思います。
これからの日本の教育というものは非常に大事でございまして、私が言うこともございませんが、アメリカにおきましても日本の教育というものは大変注目され、この間レーガンにも教育振興の委員会から、危機に立つ国家アメリカの教育改革の緊急課題があるということを答申しているように聞いております。日本がこれからますます健全な教育ができるためには、日本育英会が今よりももっともっと発展し、そして国立の学生さんも私立の学生さんも、あまねくすべての学生に明るく利用していただくことができる、そういうふうにぜひひとつお願いしたいというふうに考えております。
以上でございます。
この発言だけを見る →今回、育英会の法律改正につきまして意見を述べろということで、特に私が考えていることを自由に述べて構わないというお話でございましたのでまかり出たようなわけでございますが、いろいろと子細には言えませんけれども、私は今回の法律改正には賛成をいたします。ただ、私の現場からあるいは現地からの声というものは国会にも反映されないだろうし、まだこれからの運営にむしろ法律改正以上に大事なことだろうと思いますので、私はその辺の実態を申し上げまして参考に資していただければ大変ありがたいと思います。
ただいまもお話がありましたが、教育につきましてはいろいろな観点でとらえることができると思いますけれども、教育をだれが受け、だれがする、まただれのためにするかという問題は非常に難しい問題だと思います。
昔はただ本人のため、言ってみれば出世のために教育を受けるのだ、素朴な意見でございますが受益者は本人であるというふうに位置づけられていたと思います。しかし、近年は必ずしもそうではなくて、総資本、社会すなわち国家が受益者であるという観念が非常に浸透してきたと思います。そのために私立学校への経常費の補助あるいはこの育英会の拡充ということが行われたのではないかと思います。私もその両方が今日の教育の受益者だと思います。国家も受益者であるし、また本人も受益者であると思います。そういう意味では、それを受けるために必要な経費は、本人が半分、国家あるいは自治体が半分受け持つのは当然だと思います。ただ、本人が持てといっても必ずしも全員が持てるわけではございませんので、やはり育英会というものがこれにかわるべく大いにバックアップしていく大切な役目を果たしていく、それがこの日本育英会の使命ではないかと私は思います。今回そういう意味で、特別と一般をやめて貸付金を有利子あるいは無利子というふうな二つの方向に行くということは、機会均等あるいは大勢の人がこの日本育英会の恩典を受けられるという意味で大変結構なことだ、私はそう思います。
まず、一つ実例だけを申し上げますが、ただ育英会にも、大学生の場合と高校生の場合は受け方が大分違います。高校生の場合ですと、育英会の支部から学校にわざわざキャンペーンに来てくださって、そして受け持ちの先生が、おい、だれか、おまえのところで日本育英会を受けてくれないかというようにして、むしろ掘り起こすのに大変苦労するような実態がございます。これはなぜか。これにはやはりいわゆる無利子で受けるということに対する親の抵抗、子供はいいと言うのですが、そのぐらいのものは親が見てやるから心配するなというような観念が親に非常に強いので、言ってみれば、お金を借りて学校へやるということは罪悪あるいは暗いイメージがあるというのが高校以下の場合の実態でございます。それにはどうしたら明るくなるかということをやはり我々は考えるべきだと思います。それから大学の場合には、これは公私立ございまして、国立の場合と私立の場合では大分事情が違うと私は思います。国立の場合には私立と違いまして、既に授業料でかなり恩典を受けているはずでございます。これは学生の方から言わせますと、授業料がうんと安いということは言ってみれば国家の負担が多いということでございますから、本人の負担が少ないということでございます。そういう意味で、私立学校にもっともっと優遇措置があってしかるべきだというふうに私は考えております。
今回、何といいますか、無利子を一本化しようということでございます。これはあくまで私の希望でございますが、奨学生というものにつきましては二本立てでお願いするのが私は一番いいと思います。一つは、やはり給費生的にもう無料でもやる。特にその子供に名誉的に、これから世の中のためにリーダーシップをとれる人、あるいは金銭的に非常に苦しい方にはやはりそれだけの待遇をしてやるべき中核を育てるのが、私は教育の場においても大事なことだと思います。それからそれ以外の場合には、貸与生の中には一種、二種があって結構でございますし、また有利子がたくさんあることについては、私は何も抵抗を感じておりません。むしろもっと自由に、いつでも、どこでも、だれでも、この日本育英会の貸与生になれる。言ってみれば所得制限なし、だれでも借りられるというふうにしていただきますと、大変明るくなると私は思うのです。
しかし、資金には限界がございますので、その辺の問題はともかくといたしまして、ただしかし、この際、育英会の方でも債券を発行して資金の調達をされるように今回の法改正でなっておりますが、私は大賛成でございまして、もっと積極的に民間資金の導入をやって、そしてまた返還につきましては、その事務を民間に委託するなりして、やはりもっと機能的に運営していただきたいと思います。そういうことが大事だと思います。それによって国家は税金を利子補給するということで、あまねく大勢の学生が育英資金を借りられるようになると私は思います。
それからもう一つ、現場として考えられますことは、私立学校の場合には一時金というものが入学当初にかなりの金額になりますので、この入学金その他の一時金がなくて大学入学を断念するというケースがなきにしもあらず、むしろ多いと思います。むしろ月々の費用はそれなりに自分で稼いで、アルバイトをやって稼いで何とかなるけれども、一時金の多額の金がどうにもならぬという現実がございますので、特に医科系の場合にはそうだと思いますので、できましたらこういうものを一時金的に育英資金が代替して、就職後それを長い間かかって返済するというような方策もぜひ考えていただきたい、かように思います。
いずれにいたしましても、現在の日本育英会の役割というものは非常に大きいと私は思います。ただ、先ほど来申し上げましたように、せっかく借りたくてもなかなか借りられないという実情がございます。
二、三例を申し上げますと、大学生の場合でございますが、母親が再婚いたしまして、そして養子縁組みをした。ところが、男の子でございますが、その再婚したおやじから金をもらうのを潔しとせず、青年にはそういう心情というものがございまして、再婚した親からもらうのはおれは嫌だと言い張って、絶対にもらわない。それじゃ学校の方で育英資金をもらうようにお願いしようということで実際に申し込んだところが、やはり養子縁組みをしておりますし、またその新しいお父さんの所得が非常に多いということで、所得制限にひっかかってもらえない。やむなくとうとう本人は退学していったという勇ましい青年もおります。これなんかも所得制限がなければ、あるいは自分が借りて、そして学校に立派に行く。親がかりといいますか、かえってそういうことを嫌う、自尊心が高い、大変優秀な青年でございましたが、私としてはこれは非常に残念に思いますが、制度上これはやむを得ないことでございまして、そういうことを何とかしていただければ大変ありがたいのじゃないかと思います。
それから高校生の場合ですと、急に倒産しておやじがいなくなってしまう。その場合、成績が中よりも悪い、しかし人間が非常にまじめである。ところが、親がいなかったりあるいは成績が悪かったりするために、せっかく高等学校三年生まで行っておりながら日本育英資金が必ずしも受けられない。成績がもう少しよければ該当するのですが、それがだめだという場合もあります。成績も大事でございますけれども、しかし私は、そういう意味で所得制限をなくして、たとえわずかな利子を取られてもそういう子供が日本育英会の一つの傘の中に入ってくるように応用していただくということが大事だろうと思います。 それからもう一つの例は、私立の高等学校に来る者は必ずしも優秀な子供ばかりではございません。ところが、高校一年に入って、そして中学の成績でもって申請いたしますので、中以下になっている場合があります。しかし、その高等学校では中よりちょっと上だと思って提出したところが、それはだめである。しかも、私立学校で高い月謝を払わなければならないのにそれが受けられないというような事態もございますので、私は、そういう意味でぜひひとつ日本育英資金も大胆に民間の資金を活用し、そして今後大いに膨らましていただきたい。むしろ今回の法改正は遅きに失したというような気がいたします。そういう意味で、現場なり社会なりのニーズに対応できるような運営ができる、そういう法律にぜひしていただきたい。それには今回の法改正がその第一歩だと私は思います。
これからの日本の教育というものは非常に大事でございまして、私が言うこともございませんが、アメリカにおきましても日本の教育というものは大変注目され、この間レーガンにも教育振興の委員会から、危機に立つ国家アメリカの教育改革の緊急課題があるということを答申しているように聞いております。日本がこれからますます健全な教育ができるためには、日本育英会が今よりももっともっと発展し、そして国立の学生さんも私立の学生さんも、あまねくすべての学生に明るく利用していただくことができる、そういうふうにぜひひとつお願いしたいというふうに考えております。
以上でございます。
愛
三
三輪定宣#8
○三輪参考人 千葉大学教育学部の三輪でございます。教育行財政学、教育法学を専攻しております。
私は、本法案に反対の立場から若干の所見をあらかじめ述べさせていただきます。
私の専門は教育財政、したがいまして奨学金問題は当然研究上の重要なテーマでございますが、また、大学の教師として日常学生たちに接しております。また、学生部長として全学的にこの問題を扱った経験もございます。さらには、私自身が高校から大学院までの十二年間、奨学金のお世話になっております。
さて、この法案でございますが、結論的に申しますと、奨学金制度というのは教育制度の根幹でございます。したがいまして、教育改革の最大の課題として今後十分慎重に検討されるべきでございます。特に、今日、教育論議が国民の中でも高まっている折でありますので、多面的に長期の観点から慎重に検討されるべきだと思いますので、今国会で拙速に審議、採決を行うことはぜひ避けていただきたい、このことをくれぐれもお願いしておきたいと思うわけであります。
まず、法案の主な問題点の第一は、この法律の名称や第一条の目的規定に代表され、また本法全体を貫く英才主義という立場の問題でございます。特に、これと憲法、教育基本法の精神との関係であります。
まず、法律の名称には「育英」という言葉がありますし、一条に定める目的は「優れた学生及び生徒」を対象に「国家及び社会に有為な人材の育成に資する」ということが主とされているわけであります。この「育英」という言葉は、例えば広辞苑に「英才を教育すること。」と解説されてもおりますように、一般にエリートを選別して育成することを意味いたします。したがって、憲法十四条に定める法のもとの平等とか、二十六条の定める、すべて国民はひとしく教育を受ける権利の精神とも、また教育基本法が定める第三条の「教育の機会均等」とか、すべての子供の「人格の完成」、「心身ともに健康な国民の育成」という第一条に掲げる「教育の目的」の規定など、平等かつ人権保障的な教育理念とはこの考え方は明らかに離反するものと言わざるを得ません。
もっとも、現行法には「育英上必要ナル業務ヲ行ヒ以テ国家有用ノ人材ヲ育成スル」という露骨な英才主義の表現があります。また、片仮名の文語調であります。これをこのように平仮名の口語調に改めた点などは評価されると思いますけれども、なお大いに改める余地がございます。
そもそもこの法律は、当初の大日本育英会法、五十三年までの名称でございますが、この名称とかあるいは戦時下の一九四四年に制定されたいきさつに見られますように、当時の戦勝、戦争に勝つという国家目的遂行に必要なエリート育成を目指し、軍国主義、国家主義、能力主義を原理として制定されたものでございますので、戦後の憲法、教育基本法制下の平和主義、民主主義、平等主義の教育理念とは異質のものを含んでいることは否めないわけであります。
戦後初期の四十六年十一月には、教育刷新委員会が教育基本法案要綱案を作成いたしました。そのときには「育英の方法」という表現があったのですが、これが新しい教育理念のもとではなじまないということで「奨学の方法」という言葉に改められた立法の経過もございますので、「育英」という表現は今日の法律用語としてふさわしくない、このように思います。同様に、一条の「優れた学生」云々とか、「国家及び社会に有為な人材の育成」という用語も、平等に国民の教育を保障するという立場から、不適切と言わざるを得ないかと思います。
今日の大学生約二百万人、進学率三六%の国民を対象とする大衆的な奨学事業の原理は、教育の機会均等の実現を重視して、学力基準による選抜ではなくて、低所得家庭への援助、経済的負担の軽減を重点にした制度へと、原理を転換させる必要があるかと思います。特に高等学校の奨学金は、義務教育における教育扶助やあるいは就学援助の一環に組み込むのがふさわしいように思います。
なお、学術の発展を目的とした奨学金は、大学院生を対象に別途その整備を図るべきだというふうに考えます。
この英才主義を克服いたしませんと、「経済的理由により修学に困難があるもの」が実は優秀という基準で極端に制限、厳選されて、「教育の機会均等に寄与する」といいましても、事実上これは空文に等しくなるわけでございます。
現行育英奨学制度下で、学資貸与者が高校二%台、大学が一一%台と極端に少ないのもその結果であろうと思います。対象は、少なくとも学生で奨学金を希望する者の割合は、この十年来五〇%前後でありますが、その程度まで枠を広げるべきでありますし、それには英才主義という考えが大きな桎梏になっているように思います。
第二の問題は、法案の第二十一条以下に定めてある育英会の業務についてでございます。つまり、学資の給与という重要な業務がなくて、現行制度にもない利子つきの学資金、第二種学資金が導入されたということで、本法の最大の問題点かと思います。
この点につきましては、育英奨学事業に関する調査研究会報告も、「先進諸外国の公的育英奨学事業が給与制を基本としていること」と認識しておられます。国際人権規約十三条の定める無償制と並んで、奨学金の貸与制から給与制へと転換を図ることが国際的な動向でもありますし、同時に歴史の発展に沿うものでありまして、行政改革、教育改革の名に値するものだと思います。
続いて、なお、今回の奨学金の制度改正の背景に、臨時行政調査会の答申、その背景にある考え方が伏在していることは御存じのとおりでございます。この点につきまして臨調専門委員の公文俊平東大教授が一臨調の文教政策をめぐって——私の主張したかったこと」という論文で次のように述べておられることも大変残念だと思います。奨学金は「当然利子付き、しかも通常の利子率のものでなければならない。そうでなしに、特別低利で貸すとすれば、どんなことが起るか。誰もが奨学金を貰い、定額貯金や定期貯金にしておくことになりはしないか。それで確実に利鞘が稼げるからである。」こういう思想が根底に流れていたということは、大変残念なことでございます。
さて、第二十二条二、三項によりますと、無利子の学資金、つまり第一種の学資金は、特に優れた学生等で著しく修学に困難な者に貸与するとされ、例外的奨学金の性格が強く、利子つき学資金が一般的奨学金という規定になっております。そうなりますと、その拡大とともに、かなりの低所得者まで利子つき奨学金を借りることになるわけです。そういたしますれば、当然、その借入が心理的、経済的な負担となることは言うまでもなく、卒業後は低所得者は多額の借金返済を余儀なくされ、無借入の余裕ある階層の者との間に新しい格差や差別が生ずることになります。
例えば、政府案どおりに国立大学、自宅外通学の学生が月額二万八千円を借りるとしますと、その卒業後十四年間にわたって毎年十万円から十四万円、私立大学の理科系学生ならば、四万七千円借りますれば、二十年間に毎年十一万から十八万円の返済が必要になるとされております。大学卒の初任給平均十三万円程度にとりまして、当然これが過重な額であることは自明であります。家計の補助はおろか、結婚資金の貯蓄さえ大きく阻まれることになるのではないでしょうか。卒業後も、低所得家庭に出生じたことによるハンディがつきまとうということになります。
このほかの問題点といたしまして、二十二条の四項によりまして学資金の月額は政令に委任されることになっております。これも法律事項として、例えば学生生活費の二分の一以上とかというように明記する必要があるのではないでしょうか。また、月額が、自宅、自宅外とか設置者別のランクはございますけれども、家庭の経済能力別あるいは地域別等のランクがないわけであります。中にはほとんど仕送りの期待できない学生もいるわけで、そういう者には全額を支給するというような、実態に即した制度をきめ細かく考えていかなくてはならないと思います。現状では、奨学生でさえ、奨学金は収入全体の三〇%にすぎません。諸外国では所得別ランクの設定が普通でございます。
また、二十四条の規定によりまして、第一種学資金の貸与者のみが教育職あるいは研究職についたときに返還免除されるというように、この制度が制限されていることも問題でございます。
なお、奨学事業といいますのは、単に経費を支出するだけではなく、その執行に当たる職員の方々の意欲や協力が大変大事であります。今回、この問題では当の育英会の職員がこぞって反対をしておられるという点も、この制度改革に大きな無理があることのあらわれではないかというふうに思っております。
一般に、奨学生はよく勉強し、卒業後も社会的使命を持って働く者が多いと言われております。それは、そういう能力の学生を選んだという一面も確かにあるでしょうけれども、事実上借金なのですが、形の上では奨学金をもらうということがそうした自覚を促していると考えられるわけでございます。したがいまして、文字どおり奨学金をもらう、つまり給与奨学金にいたしますならば、その教育的な作用は一層大きくなることが期待されます。つまり、公費の負担という形で自分たちの学習を支えてくれる無数の働く国民の利益に、学生達が学習や学歴の成果を還元するという気持ちが強められるわけですし、それが本当に正しく学び、働く基本的な動機づけであろうと思います。学んだ成果を社会に生かしてもらうということであって、奨学金の返済という現金の返済を要求することではないだろうと思います。給与の奨学金にそのような教育的な意義があるとすれば、それは単なる一部の優秀なる学生だけではなくて、すべての学生に広く開放することが社会的な配慮だろうと思います。
このように奨学金制度を発展的に考えることは、子供や青年というものを、親の経済力に左右される単なる親の附属物ではなくて、すべての者を平等に、いわば社会の宝として処遇をし、その発達にだれもが責任を負うということでございますし、したがいまして、私たちの子供観あるいは教育責任観そのものの変革や拡大を必要とする問題でもあろうと思います。そして、このような大人の若い世代に対する配慮や愛情を教育制度として表現することによって、逆に若い世代の主観者としての自覚や社会への貢献心がおのずとはぐくまれ、また、そうした能力が社会の利益に役立つ方向で最大限に引き出されるように思います。
これに対して、有利子奨学金の発想というのは、学習や学歴を私的な利益追求あるいは金もうけや立身出世の手段にする、それを前提として返還金を求めるという発想に立つわけですから、人間形成上もさまざまな影響を及ぼす制度措置だというふうに思います。こうした制度が広がるならば、恐らく国民大衆の願いの理解できない冷たいエリートや利己主義が多数育つことになり、せっかくの公的な資金がかえって教育と社会の混迷に拍車をかけることになりかねないと思います。現在、発達した資本主義国では、校内暴力特に対教師暴力に象徴される教育の荒廃や混迷が指摘されております。その背景には、いわゆる教育の自由化とか商品化の進展がございます。政府が公然と教育を商品化する、あるいはローン化するというこの有利子奨学金の導入が、単に大学教育だけではなくて、公教育全体に悪影響を及ぼすおそれもあるわけでございます。
なお、財政上の問題でございますが、敗戦直後のような財政事情のもとならともかく、今日では、財政的な困難にもかかわらず、給与奨学金を漸進的に導入、拡大することは十分可能だろうと思います。また、教育費を聖域として守るという姿勢の中でこそ真に財政再建も可能であろうというふうに思います、
以上のような諸点から、今国会で法案を無理に審議、採決することについては反対でございますので、御三者いただきたいと思います。
この発言だけを見る →私は、本法案に反対の立場から若干の所見をあらかじめ述べさせていただきます。
私の専門は教育財政、したがいまして奨学金問題は当然研究上の重要なテーマでございますが、また、大学の教師として日常学生たちに接しております。また、学生部長として全学的にこの問題を扱った経験もございます。さらには、私自身が高校から大学院までの十二年間、奨学金のお世話になっております。
さて、この法案でございますが、結論的に申しますと、奨学金制度というのは教育制度の根幹でございます。したがいまして、教育改革の最大の課題として今後十分慎重に検討されるべきでございます。特に、今日、教育論議が国民の中でも高まっている折でありますので、多面的に長期の観点から慎重に検討されるべきだと思いますので、今国会で拙速に審議、採決を行うことはぜひ避けていただきたい、このことをくれぐれもお願いしておきたいと思うわけであります。
まず、法案の主な問題点の第一は、この法律の名称や第一条の目的規定に代表され、また本法全体を貫く英才主義という立場の問題でございます。特に、これと憲法、教育基本法の精神との関係であります。
まず、法律の名称には「育英」という言葉がありますし、一条に定める目的は「優れた学生及び生徒」を対象に「国家及び社会に有為な人材の育成に資する」ということが主とされているわけであります。この「育英」という言葉は、例えば広辞苑に「英才を教育すること。」と解説されてもおりますように、一般にエリートを選別して育成することを意味いたします。したがって、憲法十四条に定める法のもとの平等とか、二十六条の定める、すべて国民はひとしく教育を受ける権利の精神とも、また教育基本法が定める第三条の「教育の機会均等」とか、すべての子供の「人格の完成」、「心身ともに健康な国民の育成」という第一条に掲げる「教育の目的」の規定など、平等かつ人権保障的な教育理念とはこの考え方は明らかに離反するものと言わざるを得ません。
もっとも、現行法には「育英上必要ナル業務ヲ行ヒ以テ国家有用ノ人材ヲ育成スル」という露骨な英才主義の表現があります。また、片仮名の文語調であります。これをこのように平仮名の口語調に改めた点などは評価されると思いますけれども、なお大いに改める余地がございます。
そもそもこの法律は、当初の大日本育英会法、五十三年までの名称でございますが、この名称とかあるいは戦時下の一九四四年に制定されたいきさつに見られますように、当時の戦勝、戦争に勝つという国家目的遂行に必要なエリート育成を目指し、軍国主義、国家主義、能力主義を原理として制定されたものでございますので、戦後の憲法、教育基本法制下の平和主義、民主主義、平等主義の教育理念とは異質のものを含んでいることは否めないわけであります。
戦後初期の四十六年十一月には、教育刷新委員会が教育基本法案要綱案を作成いたしました。そのときには「育英の方法」という表現があったのですが、これが新しい教育理念のもとではなじまないということで「奨学の方法」という言葉に改められた立法の経過もございますので、「育英」という表現は今日の法律用語としてふさわしくない、このように思います。同様に、一条の「優れた学生」云々とか、「国家及び社会に有為な人材の育成」という用語も、平等に国民の教育を保障するという立場から、不適切と言わざるを得ないかと思います。
今日の大学生約二百万人、進学率三六%の国民を対象とする大衆的な奨学事業の原理は、教育の機会均等の実現を重視して、学力基準による選抜ではなくて、低所得家庭への援助、経済的負担の軽減を重点にした制度へと、原理を転換させる必要があるかと思います。特に高等学校の奨学金は、義務教育における教育扶助やあるいは就学援助の一環に組み込むのがふさわしいように思います。
なお、学術の発展を目的とした奨学金は、大学院生を対象に別途その整備を図るべきだというふうに考えます。
この英才主義を克服いたしませんと、「経済的理由により修学に困難があるもの」が実は優秀という基準で極端に制限、厳選されて、「教育の機会均等に寄与する」といいましても、事実上これは空文に等しくなるわけでございます。
現行育英奨学制度下で、学資貸与者が高校二%台、大学が一一%台と極端に少ないのもその結果であろうと思います。対象は、少なくとも学生で奨学金を希望する者の割合は、この十年来五〇%前後でありますが、その程度まで枠を広げるべきでありますし、それには英才主義という考えが大きな桎梏になっているように思います。
第二の問題は、法案の第二十一条以下に定めてある育英会の業務についてでございます。つまり、学資の給与という重要な業務がなくて、現行制度にもない利子つきの学資金、第二種学資金が導入されたということで、本法の最大の問題点かと思います。
この点につきましては、育英奨学事業に関する調査研究会報告も、「先進諸外国の公的育英奨学事業が給与制を基本としていること」と認識しておられます。国際人権規約十三条の定める無償制と並んで、奨学金の貸与制から給与制へと転換を図ることが国際的な動向でもありますし、同時に歴史の発展に沿うものでありまして、行政改革、教育改革の名に値するものだと思います。
続いて、なお、今回の奨学金の制度改正の背景に、臨時行政調査会の答申、その背景にある考え方が伏在していることは御存じのとおりでございます。この点につきまして臨調専門委員の公文俊平東大教授が一臨調の文教政策をめぐって——私の主張したかったこと」という論文で次のように述べておられることも大変残念だと思います。奨学金は「当然利子付き、しかも通常の利子率のものでなければならない。そうでなしに、特別低利で貸すとすれば、どんなことが起るか。誰もが奨学金を貰い、定額貯金や定期貯金にしておくことになりはしないか。それで確実に利鞘が稼げるからである。」こういう思想が根底に流れていたということは、大変残念なことでございます。
さて、第二十二条二、三項によりますと、無利子の学資金、つまり第一種の学資金は、特に優れた学生等で著しく修学に困難な者に貸与するとされ、例外的奨学金の性格が強く、利子つき学資金が一般的奨学金という規定になっております。そうなりますと、その拡大とともに、かなりの低所得者まで利子つき奨学金を借りることになるわけです。そういたしますれば、当然、その借入が心理的、経済的な負担となることは言うまでもなく、卒業後は低所得者は多額の借金返済を余儀なくされ、無借入の余裕ある階層の者との間に新しい格差や差別が生ずることになります。
例えば、政府案どおりに国立大学、自宅外通学の学生が月額二万八千円を借りるとしますと、その卒業後十四年間にわたって毎年十万円から十四万円、私立大学の理科系学生ならば、四万七千円借りますれば、二十年間に毎年十一万から十八万円の返済が必要になるとされております。大学卒の初任給平均十三万円程度にとりまして、当然これが過重な額であることは自明であります。家計の補助はおろか、結婚資金の貯蓄さえ大きく阻まれることになるのではないでしょうか。卒業後も、低所得家庭に出生じたことによるハンディがつきまとうということになります。
このほかの問題点といたしまして、二十二条の四項によりまして学資金の月額は政令に委任されることになっております。これも法律事項として、例えば学生生活費の二分の一以上とかというように明記する必要があるのではないでしょうか。また、月額が、自宅、自宅外とか設置者別のランクはございますけれども、家庭の経済能力別あるいは地域別等のランクがないわけであります。中にはほとんど仕送りの期待できない学生もいるわけで、そういう者には全額を支給するというような、実態に即した制度をきめ細かく考えていかなくてはならないと思います。現状では、奨学生でさえ、奨学金は収入全体の三〇%にすぎません。諸外国では所得別ランクの設定が普通でございます。
また、二十四条の規定によりまして、第一種学資金の貸与者のみが教育職あるいは研究職についたときに返還免除されるというように、この制度が制限されていることも問題でございます。
なお、奨学事業といいますのは、単に経費を支出するだけではなく、その執行に当たる職員の方々の意欲や協力が大変大事であります。今回、この問題では当の育英会の職員がこぞって反対をしておられるという点も、この制度改革に大きな無理があることのあらわれではないかというふうに思っております。
一般に、奨学生はよく勉強し、卒業後も社会的使命を持って働く者が多いと言われております。それは、そういう能力の学生を選んだという一面も確かにあるでしょうけれども、事実上借金なのですが、形の上では奨学金をもらうということがそうした自覚を促していると考えられるわけでございます。したがいまして、文字どおり奨学金をもらう、つまり給与奨学金にいたしますならば、その教育的な作用は一層大きくなることが期待されます。つまり、公費の負担という形で自分たちの学習を支えてくれる無数の働く国民の利益に、学生達が学習や学歴の成果を還元するという気持ちが強められるわけですし、それが本当に正しく学び、働く基本的な動機づけであろうと思います。学んだ成果を社会に生かしてもらうということであって、奨学金の返済という現金の返済を要求することではないだろうと思います。給与の奨学金にそのような教育的な意義があるとすれば、それは単なる一部の優秀なる学生だけではなくて、すべての学生に広く開放することが社会的な配慮だろうと思います。
このように奨学金制度を発展的に考えることは、子供や青年というものを、親の経済力に左右される単なる親の附属物ではなくて、すべての者を平等に、いわば社会の宝として処遇をし、その発達にだれもが責任を負うということでございますし、したがいまして、私たちの子供観あるいは教育責任観そのものの変革や拡大を必要とする問題でもあろうと思います。そして、このような大人の若い世代に対する配慮や愛情を教育制度として表現することによって、逆に若い世代の主観者としての自覚や社会への貢献心がおのずとはぐくまれ、また、そうした能力が社会の利益に役立つ方向で最大限に引き出されるように思います。
これに対して、有利子奨学金の発想というのは、学習や学歴を私的な利益追求あるいは金もうけや立身出世の手段にする、それを前提として返還金を求めるという発想に立つわけですから、人間形成上もさまざまな影響を及ぼす制度措置だというふうに思います。こうした制度が広がるならば、恐らく国民大衆の願いの理解できない冷たいエリートや利己主義が多数育つことになり、せっかくの公的な資金がかえって教育と社会の混迷に拍車をかけることになりかねないと思います。現在、発達した資本主義国では、校内暴力特に対教師暴力に象徴される教育の荒廃や混迷が指摘されております。その背景には、いわゆる教育の自由化とか商品化の進展がございます。政府が公然と教育を商品化する、あるいはローン化するというこの有利子奨学金の導入が、単に大学教育だけではなくて、公教育全体に悪影響を及ぼすおそれもあるわけでございます。
なお、財政上の問題でございますが、敗戦直後のような財政事情のもとならともかく、今日では、財政的な困難にもかかわらず、給与奨学金を漸進的に導入、拡大することは十分可能だろうと思います。また、教育費を聖域として守るという姿勢の中でこそ真に財政再建も可能であろうというふうに思います、
以上のような諸点から、今国会で法案を無理に審議、採決することについては反対でございますので、御三者いただきたいと思います。
愛
愛
白
白川勝彦#11
○白川委員 自由民主党を代表いたしまして、黒羽参考人と木宮参考人に一、二点御意見をお伺いいたします。
今回の制度改正の眼目は、何といっても厳しい財政事情のもとで、育英奨学事業の量的拡大を図るために無利子制度と並行して財政投融資資金の導入による低利の有利子貸与制度の創設を図るというものであります。
有利子貸与制度の創設については、学生の返還負担を増大させるとともに、将来において無利子貸与制度の事業規模が削減され育英奨学制度の崩壊につながるおそれがあるから、有利子貸与制度は導入すべきでないという意見があります。しかし、現下の厳しい財政事情を勘案すれば、一般会計の政府貸付金を資金とするだけではどうしても限度があり、育英奨学事業の拡充は極めて困難となります。
そこで、我が党は、この際、一般会計以外の外部資金として財政投融資資金を導入して有利子貸与制度を創設して、育英奨学事業の量的拡大を図る必要があると考えているわけでございますが、木宮参考人の御意見を改めてお伺いしたいと思います。
また、黒羽参考人にお伺いしたいのでありますが、有利子貸与制度と申しましても、貸与利率は在学中は当然無利子、卒業後も年利三%に抑えております。有利子貸与を受ける学生の利子負担をできるだけ軽減するために、財政投融資資金の利子負担については当然国としても相当分を負担し、学生には応分の負担をしてもらうという制度であるわけでございます。市中金利や物価上昇分を勘案すれば、年利三%はそう学生の負担増につながるものではないというふうに思うわけでございますが、この点いかがお考えになりますか、お伺いしたいと思います。
さらに、日本育英会の学資貸与事業は、教育の機会均等を確保するための基本的な教育施策であり、諸外国の育英奨学事業が給与制を基本として実施されていることを勘案すれば、やはり無利子貸与制度を事業の根幹とすべきと私は思っております。無利子貸与事業と有利子貸与事業というものがどうあるべきなのか、黒羽参考人の御意見をお伺いしたいと思います。
以上二点を黒羽参考人にお伺い申し上げます。
以上でございます。
この発言だけを見る →今回の制度改正の眼目は、何といっても厳しい財政事情のもとで、育英奨学事業の量的拡大を図るために無利子制度と並行して財政投融資資金の導入による低利の有利子貸与制度の創設を図るというものであります。
有利子貸与制度の創設については、学生の返還負担を増大させるとともに、将来において無利子貸与制度の事業規模が削減され育英奨学制度の崩壊につながるおそれがあるから、有利子貸与制度は導入すべきでないという意見があります。しかし、現下の厳しい財政事情を勘案すれば、一般会計の政府貸付金を資金とするだけではどうしても限度があり、育英奨学事業の拡充は極めて困難となります。
そこで、我が党は、この際、一般会計以外の外部資金として財政投融資資金を導入して有利子貸与制度を創設して、育英奨学事業の量的拡大を図る必要があると考えているわけでございますが、木宮参考人の御意見を改めてお伺いしたいと思います。
また、黒羽参考人にお伺いしたいのでありますが、有利子貸与制度と申しましても、貸与利率は在学中は当然無利子、卒業後も年利三%に抑えております。有利子貸与を受ける学生の利子負担をできるだけ軽減するために、財政投融資資金の利子負担については当然国としても相当分を負担し、学生には応分の負担をしてもらうという制度であるわけでございます。市中金利や物価上昇分を勘案すれば、年利三%はそう学生の負担増につながるものではないというふうに思うわけでございますが、この点いかがお考えになりますか、お伺いしたいと思います。
さらに、日本育英会の学資貸与事業は、教育の機会均等を確保するための基本的な教育施策であり、諸外国の育英奨学事業が給与制を基本として実施されていることを勘案すれば、やはり無利子貸与制度を事業の根幹とすべきと私は思っております。無利子貸与事業と有利子貸与事業というものがどうあるべきなのか、黒羽参考人の御意見をお伺いしたいと思います。
以上二点を黒羽参考人にお伺い申し上げます。
以上でございます。
木
木宮和彦#12
○木宮参考人 ただいまお話がありました有利子でたくさんの学生を対象にしたらどうかというお話、私は大賛成でございます。
先ほども述べましたように、高校生以下の場合には、無利子であるがゆえに何か授けられるというか、国から何か援助を受けるということに対しての抵抗があろうと思いますので、むしろ現在の社会通念からしますと、金を借りれば多少の利子を払わなければならぬ、また日本人は中産階級の意識が非常に強いですから、プライドもございますので、有利子であるということについては何ら抵抗はないと私は思います。
それからもう一つ大事なことは、現在所得制限が非常に厳しく言われております。これは育英制度そのものじゃないと思います。税制上の問題だと思いますが、捕捉率がサラリーマンには非常に過酷でございますので、当然受けてしかるべき父兄がもらえないで、むしろ一次産業なりあるいは自営業の者がどんどんもらえるような状況になっておりますので、そういう意味で、所得制限を撤廃する上からいいましてもぜひひとつ低利子でもって——長いですから余りたくさんじゃ困ります。低利子で大勢の人が受けられる、これを私ども現場としては希望する次第でございます。
この発言だけを見る →先ほども述べましたように、高校生以下の場合には、無利子であるがゆえに何か授けられるというか、国から何か援助を受けるということに対しての抵抗があろうと思いますので、むしろ現在の社会通念からしますと、金を借りれば多少の利子を払わなければならぬ、また日本人は中産階級の意識が非常に強いですから、プライドもございますので、有利子であるということについては何ら抵抗はないと私は思います。
それからもう一つ大事なことは、現在所得制限が非常に厳しく言われております。これは育英制度そのものじゃないと思います。税制上の問題だと思いますが、捕捉率がサラリーマンには非常に過酷でございますので、当然受けてしかるべき父兄がもらえないで、むしろ一次産業なりあるいは自営業の者がどんどんもらえるような状況になっておりますので、そういう意味で、所得制限を撤廃する上からいいましてもぜひひとつ低利子でもって——長いですから余りたくさんじゃ困ります。低利子で大勢の人が受けられる、これを私ども現場としては希望する次第でございます。
黒
黒羽亮一#13
○黒羽参考人 利率の問題でありますが、現在教育ローンというのが奨学金とは別にかなり金融機関で行われております。それの利率を見ますと、国民金融公庫が貸しているのが八・一%、それから一般銀行が大体一〇・五%前後になっておるようであります。それから、先ほど申しましたように、アメリカなどでは給与、貸与、ローンと三種類あるわけですが、そのアメリカのローン、有利子貸与事業の様子を見ますと、さまざまでありますが、やはり四%から九%ぐらいのところが多いようであります。そういう状況から考えましても、また過去の物価上昇率が最近対前年三%ぐらいで推移している点から見ましても、三%というのは適当なのではないかと私は思っております。
それから第二点の、無利子貸与を根幹とすべきではないかという御意見に対しては、私も全くそのとおりだと思います。ただ、現在の厳しい財政事情の中で本年も無利子貸与に対する政府出資は減額されております。マイナス一〇%というような状況が続くことは好ましくないと思いますけれども、少なくとも数年はこういう状況が続くとすれば、育英事業のじり貧を避けるために有利子制度を導入せざるを得ないのではないか、あわせて導入するというように考えております。
この発言だけを見る →それから第二点の、無利子貸与を根幹とすべきではないかという御意見に対しては、私も全くそのとおりだと思います。ただ、現在の厳しい財政事情の中で本年も無利子貸与に対する政府出資は減額されております。マイナス一〇%というような状況が続くことは好ましくないと思いますけれども、少なくとも数年はこういう状況が続くとすれば、育英事業のじり貧を避けるために有利子制度を導入せざるを得ないのではないか、あわせて導入するというように考えております。
白
愛
佐
佐藤徳雄#16
○佐藤(徳)委員 私は、それぞれの参考人の皆さんに、今述べられましたそれぞれの御意見に対してさらに深く言及をしながら御意見を承りたい、こう思うわけであります。
まず、稲葉参考人にお尋ねをいたしますが、先般の文教委員会の中でいろいろ各党からの質問があり、そして文部大臣からの答弁もありました。その際、文部大臣の答弁の中で、もちろん貸与制よりも給与制の方がいいに決まっている、しかし今日財政的云々といっただし書きが実は述べられたわけであります。無利子貸与を根幹とするということを主張されておりますが、たとえ二万人の対象者であっても有利子が導入されるということについては大変問題があるという観点に立って、私も質問をしたわけであります。
そこで第一にお尋ねしたいのは、育英奨学金制度は基本的にどうあるべきだとお考えになりますか、御意見を承りたいと存じます。
この発言だけを見る →まず、稲葉参考人にお尋ねをいたしますが、先般の文教委員会の中でいろいろ各党からの質問があり、そして文部大臣からの答弁もありました。その際、文部大臣の答弁の中で、もちろん貸与制よりも給与制の方がいいに決まっている、しかし今日財政的云々といっただし書きが実は述べられたわけであります。無利子貸与を根幹とするということを主張されておりますが、たとえ二万人の対象者であっても有利子が導入されるということについては大変問題があるという観点に立って、私も質問をしたわけであります。
そこで第一にお尋ねしたいのは、育英奨学金制度は基本的にどうあるべきだとお考えになりますか、御意見を承りたいと存じます。
稲
稲葉三千男#17
○稲葉参考人 先ほども触れたことでございますけれども、一つは、教育の機会均等を保障するということからいえば所得制限などは当然撤廃すべきであるし、また成績基準というようなものもやめていく、こういうことが望ましい。そうして、学習を希望するすべての子供、あるいは場合によれば成人に対しても、社会の側が社会権の保障という立場に立って給与の方向に発展させていくべきだ。したがいまして、現在の無利子の貸与制というのが中間的な形態でございますから少なくともそこにとどまるべきで、それを有利子制を導入するというのは私にはどうしても後退というふうに思えるわけで、人間社会を少しでも理想に近づけていくということを考えるならば、苦しくても少なくとも給与制を何とか考える、それがどうしても無理というなら無利子制を守るというのが基本ではなかろうかと考えております。
この発言だけを見る →佐
三
三輪定宣#19
○三輪参考人 御質問でございますが、奨学金制度が給与制を根幹にすべきであるということは当然でございますが、同時にそれは、すべての教育段階における授業料を初めとする諸経費の無償制ということを伴う必要があろうかと思います。
特に大学の奨学金制度が問題になっておりますが、私は、三つの原則に基づく制度の創設が必要ではないかと思います。
その一つは、基本的には全員給与制にするということです。一定の必要学生生活費というものは、実態調査あるいは理論研究から明確になるわけでございますので、そうした必要学生生活費を受ける権利をすべての学生に保障すること、つまり全員給与制という理念が第一の原則でございます。
第二には、家計応能制という原則。つまり、低所得家庭の学生の修学奨励を最重点にして、家計の経済能力に応じて所得の所定の基準に基づいて支給額を減額していく、ランクを所得に応じて設けるということです。家計応能制というのはそういう意味でございます。
もう一つの三つ目の原則は、希望者貸与制でございます。つまり、必要学生生活費以上の奨学金を希望する者があるとすれば、その者については無利子の奨学金の貸与を受ける権利を保障する。
こういうような三つの原則に基づく給与奨学金を今後創設していくことが、教育費の抜本的な解決のために必要なことではなかろうかと考えております。
この発言だけを見る →特に大学の奨学金制度が問題になっておりますが、私は、三つの原則に基づく制度の創設が必要ではないかと思います。
その一つは、基本的には全員給与制にするということです。一定の必要学生生活費というものは、実態調査あるいは理論研究から明確になるわけでございますので、そうした必要学生生活費を受ける権利をすべての学生に保障すること、つまり全員給与制という理念が第一の原則でございます。
第二には、家計応能制という原則。つまり、低所得家庭の学生の修学奨励を最重点にして、家計の経済能力に応じて所得の所定の基準に基づいて支給額を減額していく、ランクを所得に応じて設けるということです。家計応能制というのはそういう意味でございます。
もう一つの三つ目の原則は、希望者貸与制でございます。つまり、必要学生生活費以上の奨学金を希望する者があるとすれば、その者については無利子の奨学金の貸与を受ける権利を保障する。
こういうような三つの原則に基づく給与奨学金を今後創設していくことが、教育費の抜本的な解決のために必要なことではなかろうかと考えております。
佐
佐藤徳雄#20
○佐藤(徳)委員 先ほどのお話の中で、特に稲葉参考人、三輪参考人、お二人の先生から、教育の機会均等の重要性について大分強調されました。教育の機会均等についていま少し補足する事項がありましたら、稲葉参考人、三輪参考人にお尋ねをしたいと思います。
この発言だけを見る →稲
稲葉三千男#21
○稲葉参考人 教育の機会均等と言う場合に、これは先ほどの三輪さんの御意見にもございましたけれども、今の育英会法の中でもいわゆる英才主義というのがとられているわけでありますが、教育の効果というのは、どういうふうに、いつの時期に発現するかということは、教育をする側、学校あるいは親という側でもとても予測のできない、非常に複雑な過程を通って発現をしていくわけでありますから、今彼に能力がない、成績が悪いというような条件を抱えている子供であっても、いつその子がまたどういう予測もできないようなすばらしい能力を発揮し、社会の進歩発展に貢献するかわからないという意味では、今生きているすべての人間を大事にしていくという観点で、彼の学習意欲、教育意欲を最大限尊重していくということが私たち親の世代の務めではないか、あるいは国の務めではないかと考えております。
この発言だけを見る →三
三輪定宣#22
○三輪参考人 教育の機会均等という言葉は、法令上は教育基本法の第三条に規定してございます。注意して読んでいただきますと、この教育の機会均等という概念は、ただ教育の機会をオープンに開放するというだけにとどまらないで、特に経済的に困難な者に積極的に奨学の措置を講ずるという原則なのでございます。この点は法文の次のような規定に明確であります。
第三条は「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。」という条文であります。憲法十四条は、法のもとの平等を掲げております。ここでは特に経済的な差別というものを禁止していないわけでありますが、事教育につきましては経済的な差別も禁止する、そういう積極的な教育平等の規定をしているのが教育基本法の趣旨でございます。これは、憲法が教育を受ける権利の平等性を規定したことに伴って、その具体化の法的整備として定められたものというふうに考えられるかと思います。つまり、民主的な社会というのは当然に平等な国民から構成されるべきでありますし、その平等な国民というのは、経済的な平等も当然ですが、特にその背景にある能力の面で不当な社会的な差別が存在しない、それぞれの人間が能力を全面的に開花させるということの平等を意味していると思います。教育の機会均等は、その意味で民主的な国家の実現にとって極めて本質的な原理である、このように考えております。
この発言だけを見る →第三条は「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。」という条文であります。憲法十四条は、法のもとの平等を掲げております。ここでは特に経済的な差別というものを禁止していないわけでありますが、事教育につきましては経済的な差別も禁止する、そういう積極的な教育平等の規定をしているのが教育基本法の趣旨でございます。これは、憲法が教育を受ける権利の平等性を規定したことに伴って、その具体化の法的整備として定められたものというふうに考えられるかと思います。つまり、民主的な社会というのは当然に平等な国民から構成されるべきでありますし、その平等な国民というのは、経済的な平等も当然ですが、特にその背景にある能力の面で不当な社会的な差別が存在しない、それぞれの人間が能力を全面的に開花させるということの平等を意味していると思います。教育の機会均等は、その意味で民主的な国家の実現にとって極めて本質的な原理である、このように考えております。
佐
佐藤徳雄#23
○佐藤(徳)委員 次に、黒羽参考人にお尋ねをしたいと思いますが、参考人が日経新聞の特に教育欄等に、質の高い論文をいろいろ発表されている内容を読ませていただきました。
手元にコピーして持っているわけでありますが、その中で昭和五十六年八月二日付の日経新聞朝刊の「中外時評」欄の論文の中で、次のように述べられているわけであります。すなわち、「臨調が指摘するように奨学金制度に矛盾があることはたしかである。義務教育学校教員就職者の返還免除制度は人材確保法との見合いで、とうに廃止すべきだった。しかし、有利子制などというのはどんなものか。欧米の奨学金は有利子制どころか、貸与ではなく給与が原則である。」このように実は述べられているわけであります。
そこで、限られたスペースの中での文章ですから短い文章になったのではないかと思いますけれども、この内容についてひとつ解説をお願い申し上げたいと思います。
この発言だけを見る →手元にコピーして持っているわけでありますが、その中で昭和五十六年八月二日付の日経新聞朝刊の「中外時評」欄の論文の中で、次のように述べられているわけであります。すなわち、「臨調が指摘するように奨学金制度に矛盾があることはたしかである。義務教育学校教員就職者の返還免除制度は人材確保法との見合いで、とうに廃止すべきだった。しかし、有利子制などというのはどんなものか。欧米の奨学金は有利子制どころか、貸与ではなく給与が原則である。」このように実は述べられているわけであります。
そこで、限られたスペースの中での文章ですから短い文章になったのではないかと思いますけれども、この内容についてひとつ解説をお願い申し上げたいと思います。
黒
黒羽亮一#24
○黒羽参考人 私、大体記憶しておりますが、きょうコピーを持っておりませんので、あるいは違ったお答えになるかと思います。
臨調答申が出た直後ですから、先ほど申しましたように、全部を有利子制にするというようなことはちょっと矛盾なのではないかというような感じは強く持っておりましたので、そういう気持ちで新聞記事に書いたのではないかと記憶しております。
それからもう一つは、返還免除のことに関しては、大ざっぱに言ってしまいますと、研究者への免除、それから学校の先生への免除、この二つあるわけですが、研究者への免除は当然続けなければいけないけれども、学校の先生の免除は、今お読みいただきましたように、これは歴史的に言いますと、戦前の師範学校、高等師範学校の給費制度の延長のようなものがありまして、教員に優秀な人材を確保するために給費制・義務年限というような組み合わせになった、一種の人身売買というのは若干大げさかもしれませんけれども、こういうものの名残が戦後もずっと残っているわけであります。戦後、教員の社会的地位は非常に拡大してきましたし、教員の人口が大学から小学校まで入れると百五十万人ぐらいおりますが、こういう職業に携わっておる人と我々のような民間会社で働いている人とが、社会への貢献度というところで片方は免除される、片方は免除されないというような取り扱いになっているということに、私は当時疑問を感じておりました。今でもその疑問は若干ございます。
しかしながら、その後、奨学金の調査研究会に出席いたしまして、そこでも私はそういう意見を申し上げたわけですが、他の違った御意見も多々お伺いしておりまして、現在の時点はそうかもしれないけれども、将来とも教育を大事にしておくためには教員の返還免除制度も続けるべきではなかろうか、そういう意見が多くて、調査研究会はそういう結論になったわけです。その結論には、私も十分議論した上、現在は納得している、こういう気持ちであります。
この発言だけを見る →臨調答申が出た直後ですから、先ほど申しましたように、全部を有利子制にするというようなことはちょっと矛盾なのではないかというような感じは強く持っておりましたので、そういう気持ちで新聞記事に書いたのではないかと記憶しております。
それからもう一つは、返還免除のことに関しては、大ざっぱに言ってしまいますと、研究者への免除、それから学校の先生への免除、この二つあるわけですが、研究者への免除は当然続けなければいけないけれども、学校の先生の免除は、今お読みいただきましたように、これは歴史的に言いますと、戦前の師範学校、高等師範学校の給費制度の延長のようなものがありまして、教員に優秀な人材を確保するために給費制・義務年限というような組み合わせになった、一種の人身売買というのは若干大げさかもしれませんけれども、こういうものの名残が戦後もずっと残っているわけであります。戦後、教員の社会的地位は非常に拡大してきましたし、教員の人口が大学から小学校まで入れると百五十万人ぐらいおりますが、こういう職業に携わっておる人と我々のような民間会社で働いている人とが、社会への貢献度というところで片方は免除される、片方は免除されないというような取り扱いになっているということに、私は当時疑問を感じておりました。今でもその疑問は若干ございます。
しかしながら、その後、奨学金の調査研究会に出席いたしまして、そこでも私はそういう意見を申し上げたわけですが、他の違った御意見も多々お伺いしておりまして、現在の時点はそうかもしれないけれども、将来とも教育を大事にしておくためには教員の返還免除制度も続けるべきではなかろうか、そういう意見が多くて、調査研究会はそういう結論になったわけです。その結論には、私も十分議論した上、現在は納得している、こういう気持ちであります。
佐
佐藤徳雄#25
○佐藤(徳)委員 以前の文章を引用させていただいたわけでありますが、同時に、同じ文章の中で、我が国の高等教育費が少ないことを実は述べられておられます。
また、五十六年六月二十九日付の日経朝刊の「教育」欄の中で「私大補助には工夫を」こういうふうにも述べられております。特に最後のところに「第一特別部会」、これは臨調だと思いますけれども、「第一特別部会のこの項の提言は不可解というより、品位を疑いたくなるものである。」かなりきつい表現をされてお書きになっているわけでありますけれども、これはどういうことなのでしょうか。
この二点について先生の御主張をお聞かせいただきたいと思います。
この発言だけを見る →また、五十六年六月二十九日付の日経朝刊の「教育」欄の中で「私大補助には工夫を」こういうふうにも述べられております。特に最後のところに「第一特別部会」、これは臨調だと思いますけれども、「第一特別部会のこの項の提言は不可解というより、品位を疑いたくなるものである。」かなりきつい表現をされてお書きになっているわけでありますけれども、これはどういうことなのでしょうか。
この二点について先生の御主張をお聞かせいただきたいと思います。
黒
黒羽亮一#26
○黒羽参考人 公財政支出教育費のうち、高等教育への配分は、我が国の場合大体一五、六%かと認識しておりますが、諸外国、特に先進国を見ますと、公財政支出教育費のうちの二割ないしそれ以上を高等教育に支出しております。我が国の教育費の構造は、伝統的に初等教育、中等教育、高等教育、上の方に行くに従ってどうも薄くなっている。その傾向、そういう問題に臨調がいろいろお考えになるならばいいけれども、そういうことは余り考えないで国立大学の設置を抑制するとか、教員の数をふやさないとか、奨学金を全部有利子化するとか、その他大学に対する指摘が非常に多いというようなところに当時疑問を感じておりましたし、今でもその疑問はまだ若干持っております。
それから私大補助金のことでありますが、私大補助金はいろいろと私大全般の水準向上には役立っておるわけでありますが、一種の悪平等的なところもありまして、大学の教育研究条件の質あるいは学生の質というようなところについての考慮というようなものがない。これも幾らでもお金があるなら別ですけれども、二千五百億から三千億ぐらいのお金を、大学、短大全部合わせますと八百ぐらいあるんじゃないかと思いますけれども、八百に配分するのには、現在の配分方法以外の方法がないのかどうか、文部省なり私学振興財団なりは研究してほしいというような願望を持って書いたわけであります。
それから最後の有利子制度不可解というのは、全面的に有利子制度にするというようなことは大変不可解であるというような気持ちを書いたわけでございます。
〔委員長退席、船田委員長代理着席〕
この発言だけを見る →それから私大補助金のことでありますが、私大補助金はいろいろと私大全般の水準向上には役立っておるわけでありますが、一種の悪平等的なところもありまして、大学の教育研究条件の質あるいは学生の質というようなところについての考慮というようなものがない。これも幾らでもお金があるなら別ですけれども、二千五百億から三千億ぐらいのお金を、大学、短大全部合わせますと八百ぐらいあるんじゃないかと思いますけれども、八百に配分するのには、現在の配分方法以外の方法がないのかどうか、文部省なり私学振興財団なりは研究してほしいというような願望を持って書いたわけであります。
それから最後の有利子制度不可解というのは、全面的に有利子制度にするというようなことは大変不可解であるというような気持ちを書いたわけでございます。
〔委員長退席、船田委員長代理着席〕
佐
佐藤徳雄#27
○佐藤(徳)委員 特に稲葉先生、三輪先生が先ほどの御意見の中で、かなり教育の基本にかかわる問題について主張されて、お聞かせをいただいたわけであります。
私は、公教育の問題について、今日非常に教育の荒廃が叫ばれている状況でありますから、これを重視しているわけでありますけれども、特に教育と公費の問題、そして当然これには教育的な条件の整備の問題も御承知のとおり絡んでくるわけであります。したがいまして、教育と公費、教育的な条件整備についてどのようにお考えになっておられますのか、これも稲葉参考人、三輪参考人にお聞かせをいただきたいと存じます。
この発言だけを見る →私は、公教育の問題について、今日非常に教育の荒廃が叫ばれている状況でありますから、これを重視しているわけでありますけれども、特に教育と公費の問題、そして当然これには教育的な条件の整備の問題も御承知のとおり絡んでくるわけであります。したがいまして、教育と公費、教育的な条件整備についてどのようにお考えになっておられますのか、これも稲葉参考人、三輪参考人にお聞かせをいただきたいと存じます。
稲
稲葉三千男#28
○稲葉参考人 今この委員会の部屋にいらっしゃる文教委員の先生方あるいは政府委員と言うのでしょうか、文部省の方もお見えのようでございますけれども、恐らくここの委員会に御出席の方は、もっともっと教育費に対する国家支出というのをふやすべきだという点では意見が一致しているんじゃないかと思います。私自身、国立大学にいまして、いろんな意味で国の予算をいただいているわけで、そういう意味では感謝もいたしておりますし、今後ともますます教育費の支出をふやしていただきたいというようにお願いもしたいわけですが、現実問題として、いろいろな仕組みあるいは力関係ということでございましょうか、教育費がとかくマイナスシーリングというようなものの対象になるという現状を非常に憂えているわけで、ぜひ今ここにいらっしゃる皆様方の御努力で、もっとこれを拡大をしていただきたいと思っております。
それともう一つつけ加えておきたいのは、国の教育行政の役割ということで申しますと、何と申しても、いわゆる教育の外的事項というふうに言われております物理的な条件整備、これが一番の基本任務であろうかと思いますので、特に教育の条件を物理の面あるいは経済の面、お金の面で整備をしてくださることをお願いをしておきたいと思っております。
この発言だけを見る →それともう一つつけ加えておきたいのは、国の教育行政の役割ということで申しますと、何と申しても、いわゆる教育の外的事項というふうに言われております物理的な条件整備、これが一番の基本任務であろうかと思いますので、特に教育の条件を物理の面あるいは経済の面、お金の面で整備をしてくださることをお願いをしておきたいと思っております。
三
三輪定宣#29
○三輪参考人 教育と公費の関係についての御質問でございます。
私は、教育費は原則として公費で負担されるべきだし、真に教育的な教育費は公費でしかあり得ないというぐらい強く、教育と公費の関係について認識を持っております。
その根本的な理由は、教育というものがかけがえのない人権であるということ、そして若い世代を社会の形成者に育て、社会の維持発展を図る、こういう共同の利益を実現するためのいわば社会の存亡をかけた事業、これが教育事業だと私は思います。この点につきましては、日本国憲法のみならず世界の国際的な宣言や条約などが、すべての者の教育を受ける権利を定めておりまして、人間が人間として、また社会の形成者として自立をし豊かに発達するということは侵すことのできない基本的な人権である、このように普遍的な人権として確立しているわけでございます。したがいまして、そのような人権としての教育は、単に個人の経済能力や親の理解という程度で保障をゆだねておくべきではなくて、社会全体で配慮をしなくてはならない、そういう事業であろうかと思います。
また、教育の成果というのは、確かに個人の利益として還元される分もありますけれども、基本的には社会に還元をされて、そして社会の発展に役立っていくわけでありますので、そのような社会が結局は利益を受ける経費についてはみんなで負担をするということが当然ではないかと思うわけであります。
また、先ほども発言のところで述べましたように、学生たちも、教育費、学習の経費が公的な資金によって支えられているというそのことが、実は社会的な責任感やあるいは社会に対する奉仕の自覚を促すことになります。これに対して、親の経済能力やあるいは理解によって子供が私的に教育を保障されるということになれば、結局、人生競争の手段として、教育が教育投資の手段として使われ、私費教育が普及すればするほどますます競争が激化して教育が荒廃するという悪循環を繰り返すわけです。したがいまして、私は、本当に教育が成り立つのは公費による教育条件の整備であろうと思います。
実は、教育基本法の十条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」という教育行政の原則を明記して、第二項で「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」と定めたのも、そのように教育費がさまざまな政治的、財政的な事情や圧力によって不当に削減されない、そうした動向に対して教育を守るのが教育行政の責任であるということを明記したことだと思いますし、それは教育の発展にとって重要な行政責任であろうと思います。
この発言だけを見る →私は、教育費は原則として公費で負担されるべきだし、真に教育的な教育費は公費でしかあり得ないというぐらい強く、教育と公費の関係について認識を持っております。
その根本的な理由は、教育というものがかけがえのない人権であるということ、そして若い世代を社会の形成者に育て、社会の維持発展を図る、こういう共同の利益を実現するためのいわば社会の存亡をかけた事業、これが教育事業だと私は思います。この点につきましては、日本国憲法のみならず世界の国際的な宣言や条約などが、すべての者の教育を受ける権利を定めておりまして、人間が人間として、また社会の形成者として自立をし豊かに発達するということは侵すことのできない基本的な人権である、このように普遍的な人権として確立しているわけでございます。したがいまして、そのような人権としての教育は、単に個人の経済能力や親の理解という程度で保障をゆだねておくべきではなくて、社会全体で配慮をしなくてはならない、そういう事業であろうかと思います。
また、教育の成果というのは、確かに個人の利益として還元される分もありますけれども、基本的には社会に還元をされて、そして社会の発展に役立っていくわけでありますので、そのような社会が結局は利益を受ける経費についてはみんなで負担をするということが当然ではないかと思うわけであります。
また、先ほども発言のところで述べましたように、学生たちも、教育費、学習の経費が公的な資金によって支えられているというそのことが、実は社会的な責任感やあるいは社会に対する奉仕の自覚を促すことになります。これに対して、親の経済能力やあるいは理解によって子供が私的に教育を保障されるということになれば、結局、人生競争の手段として、教育が教育投資の手段として使われ、私費教育が普及すればするほどますます競争が激化して教育が荒廃するという悪循環を繰り返すわけです。したがいまして、私は、本当に教育が成り立つのは公費による教育条件の整備であろうと思います。
実は、教育基本法の十条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」という教育行政の原則を明記して、第二項で「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」と定めたのも、そのように教育費がさまざまな政治的、財政的な事情や圧力によって不当に削減されない、そうした動向に対して教育を守るのが教育行政の責任であるということを明記したことだと思いますし、それは教育の発展にとって重要な行政責任であろうと思います。