多賀谷真稔の発言 (社会労働委員会)

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○多賀谷委員 労働者供給事業について、昭和二十七年二月に職業安定法施行規則の改正がありました。その際、その及ぼす影響が極めて大というので、いよいよ施行になりました当時、私ども、当時は労働委員会と言いましたが、労働委員会で審議をしたわけであります。
 久しぶりに昭和二十九年二月十九日の労働委員会議録を見ますると、ここには丹羽喬四郎君、雄哉君のお父さんであります。それからかつて内務省神社局長、北海道長官をしておりました池田清さん、これは鹿児島の我々は大池田と言っておりました。それから、今、社会保険庁長官の持永君のお父さんが、これも北海道長官でありましたが持永義夫さん、これらが皆理事でありまして、委員は戦前からの代議士の田中伊三次さん、こういう方が委員でありました。そこで、この顔ぶれを見ると、自民党は大幹部が労働委員のメンバーです。逆に言うと、若い人は余り興味を持たなかったという、そういう中で厚生と労働を一本にするという話ができたわけであります。
 それはさておきまして、当労働委員会で論議になったのは、昭和二十七年二月の規則改正、この規則改正によって日本の雇用情勢が一変したわけです。要するに、戦前にありました下請というのは、戦後、職業安定法が施行されましてから、全部直用になった。でありますから、昭和二十七年の二月までは、日本には社外工というものがほとんどいなかった。下請というのがいない。同じ工場に働く者は皆直用労働者である。ところが、この二十七年二月一日の施行規則を契機にがらっと、今日の社外工、下請という制度ができてきたわけです。でありますから、ここに日本の二重構造が、他国に見ないような状態が現出したわけです。そしてまた、今日、労働者派遣事業というものが公的認可を受けるわけでありまして、私は、これは大きな変革をもたらす危険性がある、こういうことを指摘をしたいわけであります。
 そこで、二十七年の改正はどういうものであったか、これをお聞かせ願いたい。

発言情報

speech_id: 110204410X02019850514_002

発言者: 多賀谷真稔

speaker_id: 31158

日付: 1985-05-14

院: 衆議院

会議名: 社会労働委員会