佐藤誼の発言 (文教委員会)
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○佐藤(誼)委員 私が質問した趣旨とちょっと答弁が違っているというか、とらえ方が違っているのです。私は今の項目についてどう思うかということを言ったのじゃなくて、今のこういう荒廃した高学歴社会を背景にした場合に、簡単に言えば今のような自由化にしていった場合、しかもエリート、六年制の複線型として出ていった場合に、これからの教育がどうなっていくだろうか、そういう政策的な意味で質問したわけでありますけれども、それ相応の答えが得られなかったのは非常に残念ですが、時間がありませんから、この問題はいずれまたやりたいと思います。
ただ、私はちょっとその点について見解を述べておきますが、香山氏を初めとする自由化論の皆さんは、今日の教育の病根が画一性なりあるいはまた閉鎖性、非国際性ということと指摘されております。これは私はそれなりに理解できる点があります。そしてまた、香山氏に言わせれば、教育の荒廃の非常に大きな要因は画一性にある、こういう言い方をしておりますね。これは私は一面うなずける点がありますけれども、これでは不十分だと思います、学歴社会というファクターが必要だと思いますから。
そこで、ただ、香山氏が自由化ということで、かつてアメリカの教育使節団が日本に来たときに、教育は教師の自由から出発しなければならぬという、このことを引用されております。この点については私は非常に高く評価し、賛意を表します。時間がありませんから引用はいたしません。ただ、そういう状況の中で、この「自由化」、これはかぎ括弧で、どういうことを本当に言われているのかまだわかりませんけれども、少なくとも我々が新聞その他で見聞きしている範囲内においては、その流れとしては、例の中曽根首相のブレーンである京都座会ですね、そして七つの提言等がその背景になり、ずっと流れてきている。これはこれからいよいよ精査をしていかなければならぬし、このことについてはしかるべきところで議論したいと私は思っております。しかし、おしなべて言えることは、その背景になるものは臨調行革の考え方が根底にある。言うなれば、今行われていると同じような意味での、教育におけるあるいは教育界における民間活力の導入、そして市場原理の導入、受益者負担、こういうような考え方が基本にありまして、教育の民営化、あえて言うならば教育の商品化、こういうような形で、供給とそれから選択の自由、それを前提にして開放していく、つまりそれが画一性に対する我々の考え方だというような出され方をしておりますけれども、しかし、この行き先がどうなるかということは私の多弁を要するところではないと思うのです。ただ、今のような学歴社会を背景にした受験競争の状況の中でこういうことをやれば、当然それは特定の学校に集中し、そのことによってさらに一層の企業主義をあおりながら、受験競争の激化というようなことを誘発し、そしてそれがどんどん進んでいくということは当然でありますし、また特に、今申し上げたような複線型のエリート校ができてくるならば、それに対する集中ということで、もう小学校の段階からさらにそういうような受験競争の激化ということが低学年の状態まで進んでいくであろうということは想像にかたくないわけであります。したがって、どうもこの辺の輪郭がはっきりしませんので何とも言えないのですが、私は、今時点で言うならば、そういうことが、これから今の教育荒廃の問題に違った角度からさらに拍車をかけるだろうというようなことを指摘をしておきたいというふうに思います。
それから、教育基本法の問題ですけれども、教育基本法の精神にのっとり答申されることを期待している、まだ出ていないので何とも言えない、こういう趣旨なのですけれども、これは、教育基本法と乖離しないということは予算委員会の中で中曽根内閣総理大臣がはっきり言っていることですから、あえて私は質問したのは、所管の文部省ですから聞いたのでありまして、これをあいまいにしておくとまた誤解を招きますから、私は、内閣総理大臣の予算委員会の答弁に間違いはないというふうに理解をしておきますから、これはまた変えることもあり得るみたいな答弁になりますと、これは大問題ですからね。
それから、基本法の精神に反するものが出た場合どうするかということでありますが、これは基本法の精神にのっとりですから、反するものは切る、答申は採用しないということになるのが当然だと私は思うのです。何が反するか、反しないかということは判断の問題ですけれども、私は、この辺のところをはっきりしておく必要があると思う。しかし現実の問題としては、それをどういうふうに分析し、対応するかという問題はまた出てくると思いますけれども、この辺のところをはっきりしておかないと、いろいろな問題で、何遍も何遍も同じような余り生産的でない議論がなされるということを考えますので、私はあえて文部省にもそのことを申し上げておきたいというふうに思います。
そこで、次に、これは臨教審の方に質問しておきますが、どうせきょうは時間もありませんからすべて質問に答えるわけにはいかぬと思いますので、きょうは質問だけしておきまして、どうせ二十四日臨教審の代表の方が来ますから、申し上げてだけおきます。
一つは、審議会の当面の審議日程及び報告、答申のスケジュールはどうなっているか。
一番目として、臨教審の審議に当たってどのような調査報告資料を活用しているのか。
二番目は、報告、答申をまとめるに当たって、部会と総会の関係、それに部会長の任務と権限、また会長の権限はどうなっているか。
最後に、私の感想も入ってですが、報告、まとめの取り組みが、教育という点から言うと拙速主義ではないのか。
その次に大きい二番、委員及び専門委員はその肩書きで対外的にどの程度審議内容及びそれに関する個人の意見を述べることができるのか。
さらに、今までの質問等にもありましたけれども、マスコミ等にどんどん発表されて、国会が知る前に、何か臨教審の議論になりますと、もうそれが決まったかのごとき印象を与え、また国民が受けとめているということは極めて遺憾なことでありますので、この辺に我々はどう対応したらいいのか、いずれかの機会で議論したいと思いますが、これは文部省並びに我々議会の側として重要な対応でありますので、よく考えておく必要があると思うのです。
最後に、この臨教審の今日までの審議の経過、全部はつまびらかではありません。これは二十四日概要が出ますけれども、どうも審議の中身が、ほとんど下地ができておって、それを審議会の舞台に乗せ、臨教審の答申内容に盛られるように人選が進められてきているのではないか。そして審議はその線に沿って進められているのではないか、こういうことですね。先ほど私は、京都座会のことやら香山氏のそれなりの論文と言いましたけれども、きょうは時間がありませんから、全部詳細に引用するわけにはいきません。私は、どうも初めに臨教審の答申の内容ありき、逆順して人選して材料を引っ張り出してくる、こういうような嫌いはないのか。つまり、臨教審の出発とあり方の問題が非常に疑問にされておりますので、以上の点を私はこの際申し上げておきたいと思います。
それで、この臨教審の問題は、また二十四日にありますから、重ねての答弁等はそのときにしてもらいたいというふうに思います。
そこで、最後に、外国人の教員採用の問題について残った時間、質問をいたします。
一つは、長野県の在日韓国人ヤン・ホンジャ(梁弘子)さん、日本読みでどういうふうに読むのか私ちょっとわかりませんけれども、この方は、五年間の臨時教員生活を経てことし四月常勤講師として採用されました。ヤンさんの採用をめぐりまして、いわゆる国籍条項が改めて問題になりましたけれども、この国籍条項には法的根拠があるのかどうか、これが一点。
二番、この国籍条項は、国公立の学校の教員には適用されますけれども、私立学校には適用されておりません。なぜ公立と私立に差があるのか、この二点、まず質問します。