田中克彦の発言 (文教委員会)

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○田中(克)委員 大臣、今五千百二十四人の増員計画があって百五十人ずつふやしてきた、こう言われるわけですが、八〇年から八四年までに七百五十名ふやしてみても、四千三百七十四人はまだこの計画からしても大きく立ちおくれをしているわけです。そういう点をもう少し率直に文部省の立場でも現状を認めていただいて、今後どうするかという決意を私は聞きたかったわけでありますが、そういう点では答弁非常に残念でございます。しかし、時間がございませんので、こういう点を指摘だけしておいて、質問を前に進めてまいります。
    〔委員長退席、石橋(一)委員長代理着席〕
 さっき提案者からも言われております。私どもは、今質問をするにつきましても、いわば障害児諸学校、こういうことで呼んでおりますけれども、文部省の機構の中にも初等中等教育局特殊教育課、こういうことで、特殊教育、特殊学校、こういう行政用語としてもこれは実際に通用をしているわけであります。この障害者年を機会にこれを改善すべきだという意見は、今提案者からの説明がありましたように、四回にもわたって法案が出され、その都度議論がされてまいりました。特に私印象に残っておりますのは、昨年この文教委員会に湯山勇先生が出席をしまして、この問題に先生としては十数年来の執念を燃やして要求を続けてきていたわけであります。しかし、昨年の討論の中でも一向に、従前の答弁の繰り返しであって、具体的な前進がないということで、先生大分憤慨をされました。その際に、特に委員長に対して善処を要望するということで要求がございました。その際の議事録を見ますと、委員長はこういうまとめをしているわけであります。「そこで、委員長といたしましては、次の機会に何らかの御発言ができるように前向きに検討をしていただきたいという要望をいたしておきたいと思います。」いわば、委員長が文部省に対して次の機会には前向きに検討をしなさいということで要望をしているわけであります。
 したがいまして、ことしの場合は、私は前の議論をまた同じように蒸し返して同じことを言い合うというむだを省いて、去年こういうまとめになっていただいて、私の言いたいのは、実はこれは去年の五月十八日のことであります。私の記憶では、湯山先生が突如亡くなられたのは翌月の六月十七日のことであります。これはなぜ私が記憶をしているかといいますと、実は私の母親も五月十七日に亡くなりました。湯山先生がそのときに、私が質問を大変苦にしておりましたら、田中さん、親孝行はするものだ、すぐ帰って看病に行きなさい、私がかわってあげますよ、こう言って私を帰してくれたわけです。その先生がこのことに執念を燃やして議論をし尽くして、実は討論をした翌月、一カ月後に急速亡くなられているわけであります。私の立場からすれば、いわばこの湯山先生の遺志をやはり引き継いで、この会議で、次の機会にこのことについては前向きに検討して答えなさいという要求が委員長から出ているわけでありますから、私は、文部省にその責任の上からも、きょうの機会には、この特殊教育という名称を障害児教育、特殊学校という名称を障害児諸学校という形にこの機会に改めていくということについて、前向きなる答弁をぜひ聞かしていただきたい、こういうように思います。
    〔石橋(一)委員長代理退席、委員長着席〕

発言情報

speech_id: 110205077X01319850524_011

発言者: 田中克彦

speaker_id: 29728

日付: 1985-05-24

院: 衆議院

会議名: 文教委員会