サリー・ソロの発言 (国民生活に関する調査会)
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○参考人(サリー・ソロ君)(本井真理子君通訳) きょうは皆様お忙しいところこちらに集まっていただいて、どうもありがとうございました。
私は記者なんですから、普通は聞く方です。英語でもスピーチはほとんどやったことはありませんけれども、ここで話をやったり聞いたりすることが非常にいいチャンスだと思いました。最初は、できれば直接日本語で話した方がいいと思っていました。けれども、準備をしながら、一回目の日本語のスピーチを思い出しました。それは友達の結婚式でした。ただ五分、ずっと前から知っていた友達の前だったのにひざがすごく震えていました。きょうはひざの状態を心配しなくて話の内容を考えたいんですから、本井さんに頼ります。そして、もう一つ言わなければならないことがあります。それはきょうは個人として話をします。これは記者の考え方とか、AP記者の考え方じゃなくて自分の考えです。
私は一九七九年から八〇年にかけまして初めて日本で生活をいたしました。京都と大阪の間の都市の日本の家族のところで生活をいたしました。私は同志社大学の交換留学生として日本に滞在していました。毎日家に帰る途中、八幡様を通りまして、そして田んぼの中を通って帰っていきました。私には頭は一つしかなく、二本の腕、そして二本の足を持っていますけれども、きっと田舎の人たちから見れば、私は大変に違った人間として見えたのでしょう。
あるとき、私はそのようにじろじろ見られてしまうことに飽きてしまいまして、いつか必ず日本人のどの人も外国人に紹介し、そして基本的に人間はそれほど違ってはいないのだということをわかってもらいたいと思うようになりました。しかし、むしろそうではなく、私がいろいろ書いておりますことを通じまして外国人に日本を紹介するという逆の仕事を今までずっとしております。しかし、世界に対する日本の人々の姿勢という問題について、つまり皆様方が言う国際化というプロセスにつきましては、私個人としても関心を今でも持っていることであります。
まず最初に、簡単に私が国際化とは何であるか、どういうふうに思っているかということを定義したいと思います。一つの定義があるかどうか、それは私はわかりません。しかし、私が考える国際化というのは次のようなことであります。この国際化のプロセスには三つの部分があり、恐らく部分というよりもこれはプロセスでありますので段階があると申し上げた方がよろしいかもわかりません。
国際化していくためには、まず事実を得ることが必要です。それらの国々がどこにあるのか、どのような言語が話されているのか、またどういった政治制度がとられているのか、そしてどういう製品を輸出し、また輸入しているのか。また、少々の歴史も必要でありましょう。一般的に、つまり本や新聞、そしてそのほかのソースから得られる知識を必要といたします。この段階を知識と呼ぶことができるでしょう。
二番目として、理解を得る必要があります。これは、必ずしも書物から学びとることによって得られるものでもないかもわかりません。理解するということは何が異なっているかということに対する姿勢と関係を持つことであります。つまり、違いがあるということは別に悪いことでもまたよいことでもないということを理解するということであります。あるいはこれは類似性を受け入れるということかもわかりません。また、理解するということの中には、我々が人間として共通のものを持っているということを理解するということも含まれるかもわかりませんし、また個人として共通しているということを理解することも含まれるでしょう。
第三番目のステップは、一言で述べるのは難しいと思います。世界を一つの全体のものとして考えることが重要です。そして、自分たちがその中に含まれているのだというふうに考えることも大切であります。全体の一部であるという感覚を持つことは、我々、そして彼らということについての考えを持つことがより容易であるというふうに考えられるかもわかりません。
それでは、日本はどうでしょうか。一般的なことで片づけてしまうというのは私は余り好みません。というのは、もちろん必ず例外があるからであります。ただ、今日私が全体的にこうであろうと考えることを述べたいと思います。
日本は、この第一番目のカテゴリーである知識ということに対しては、恐らく私が知る限り、ほかの国々と比べて最も高い価値を置いていると思っております。例えば、けさの新聞を見てみましても、毎日の新聞がそうですが、国際的なニュースでいっぱいです。したがいまして、学問的な意味合いで言えば、国際化ということについては日本人は大変にうまく行っていると思います。
しかし、私が先ほど述べましたそのほかの残りの二つのカテゴリーにおきましては、改善の余地がまだたくさんあると思います。つまり、日本は世界の全体の一部であるということを理解し、それを認識するということです。日本語におきましては、我々が英語で言うウイという言葉に当たる言い方というのは幾つかあるというのは大変に興味深いことだと思います。まず、私たちという言い方がありますが、これは英語で私たちがウイと言っている意味合いに最も近いものであると思います。それから、我々という言い方もありますが、これは世界に対し日本を分けて言うときに使われるように思われます。
それでは、英語の教え方について私がどういうことを言わんとしているのか、具体的な例を挙げて申し上げたいと思います。
皆、英語を勉強します。そして、ほとんどの人々も少しは英語のことを知っています。世界の国々につきまして、学問的な方法で日本人が大変によく勉強しているということを示していると私が考えるのはこういった理由によるものです。ほかの言語を話す人々について学ぶことは大変にすばらしいことでありますし、それからそれは大変にすばらしいスタートでもあります。しかし、それだけでは十分ではありません。
私が家庭教師をしておりましたころ、生徒の多くが英語の言葉のわきに振り仮名をしているのをよく見ました。もちろん、何か新しいことを学ぼうとするとき参考として自分の知っていることを使うのは当然です。しかし、片仮名化した英語というのは本物の英語ではありません。つまり、直接、英語を日本語に置きかえようとすることは、知識を超えて理解の段階へ持っていこうとしようとしていないことに思われます。言葉を学ぶということは、一部学問的であり、そして一部本能的なものがかかわるものであると思います。つまり、思考の古いパターンにとらわれることをやめるということであると思います。それが知識であり、理解であります。より大きい全体像の中に自分を当てはめるようにする場合、どうやって新しい言葉を使うのかということを考えるべきでありまして、新しい言語を使い、そして自分を理解させるということを考えるべきであるわけです。
私は、こう言いながら、私の言葉どおりに自分は実行していないことを少し恥ずかしく思っています。というのは、私は、英語でスピーチを書きまして、そしてそれを日本語に訳して発表しようと思ったんですけれども、しかし、そのように今しておりません。ですから私は完全に国際化しておりません。
それでは、私自身の経験から幾つかの例を申し上げたいと思います。
数年前、私はアパートを探していました。そして、三軒茶屋の町にありますある不動産屋に行きまして大変にがっかりしてしまったことがあります。その不動産屋が、私はどこから来たのかと言いますので、私がアメリカからだと言いますと、その不動産屋は、ああ、自分はテレビでアメリカのことはたくさん見たから十分にわかっている、行かなくても構わないと言いました。これはショックでした。また、別の近くの不動産屋へ日本人の友達と一緒に行ったことがあります。アパートを探しているのが私であると知りますと、私はまだ一言も言っていないのにもかかわらず、その不動産屋は、外人はだめだと言いました。また私はショックを受けてしまいました。アメリカで同じようなことをしたら、差別をしたということで逮捕されることもあり得るとその不動産屋に言ってやりたかったんですが、私の友達が、この人はちょっと変わっているのだからというふうに説明したので、私はただ笑っていただけでした。もう嫌になってしまいました。
ことしの初め、私は車に乗っておりまして、新宿の近くで駐車場を探していました。ある駐車場の入口のところに看板が出ていたのです。外車お断り、大型車お断り。そこで私は友人に、どうして外車はいけないのと聞きました。大抵外車は大きいからと友人は答えました。そこで私は、それでは大型車お断りだけで十分ではないのかと言ったんです。
最後に述べましたこの二つの例は、日本において私が何度も気づきました態度、姿勢について私が申し上げたい点を示しているものだと思います。多くの方々が、外国の物、外人ということでこれを悪いものと一緒にしている嫌いが感じられます。なぜ例の不動産屋は、残念ながら日本語を話せない人はだめですと言ってくれなかったのでしょうか、外人お断りと言わずに。そして二番目の例においては、なぜ外車お断りと書かなければならなかったのでしょうか。また他方で、日本的なものというのはよいものであるということと一緒にしてしまう姿勢がよく見られます。別に、自分の国についてよい感情を持つことは悪いと言っているわけではありません。ただ、私が指摘したいのは、このような姿勢は余り国際化されている姿勢とは言えないということです。
例えば、私が京都におりますころ、私の両親が初めて日本にやってくるということがありました。私は、ホームステーをしておりましたので、ちょっと心配いたしました。私の両親がこのホームステーの家庭でうまくやっていけるか心配したのです。特に、私の父は大変に率直な人間で、直接的に話をし、そして余り物事を言うときにも術を心得ていないからです。すき焼きやまたたくさんのお酒、そして「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」といったような歌を何度か歌い、そしてその夕べが過ぎたころ、私のそのホームステーをしておりますところのお父さんが私に、あなたのお父さんは大変に日本的だとおっしゃいました。私は大変に驚いてしまいました。
今になって考えてみると、その言葉は大変なお世辞であったんだということがわかります。しかしそのときには、後で考えてみて何とも妙に聞こえたのです。恐らく私のホームステーの日本のお父さんは、私はあなたのお父さんは大好きだ、大変にいい方だし、私は彼を理解することができた、そうおっしゃいたかったんだと思います。私が何かを、あるいはだれかのことをアメリカ的であると言う場合には、それは何か具体的なことを指して言うときです。あるいはそれは表面的なことであるかもわかりません。それに対し日本的というのは、何か価値の判断がかかわってくるように思われます。それは誇り以上のものが入ってくるように思われます。つまり、日本を何か基準のようにしているように思われるのです。これは国際化に反することです。
私が言おうとしていることは、もっとよく考えなければならない態度があるのではないかということです。別に私は、国際化のプロセスの中で日本の文化をなくしていくために何かを日本人があきらめていかなければならないということを言おうとしているのではありません。ただ、日本人の方々がもっと心を開いて、開放的な考えを持っていただくようになってほしいということなんです。国際貿易や世界平和といったことには余り関係のない幾つかの例を今まで述べてまいりました。しかし、それらの問題ともわずかながらつながりがあるかもわかりません。つまり思考のほかの方法、ほかの考え方に対しもっと開放的な姿勢を持つことによりまして、日本はより大きな問題に対しての解決策を見出すことができるようになるかもしれないからです。
ここでもまた違いということに着目し過ぎる危険が出てまいります。私は何度も日本は大変に理解しにくい国であるということを聞いてまいりました。また、日本語はもうほとんど学ぶのが不可能なほどであるということを聞いてまいりました。でも私が考えるには、アメリカ人も韓国人もフランス人もみんなそれぞれわかりにくい性格を持っていると思います。何か言った場合に、理解することをあきらめるべきかというような反応が出てくることもあるのです。
京都で私と一緒に勉強していた友達と最近話をいたしました。現在その人はアメリカ大使館で仕事をしています。彼が言うには、日本人は欧米の音楽、ダンス、また料理を勉強する、そしてそれを当然のことのように考えている。しかし、なぜそれでは外国人が日本の芸術を勉強し、そしてそれを完全にマスターしてしまうことに対してそれほど驚くのであろうかということです。四年も住んでいて、その後、もはやおすしをおしょうゆの中に落としてしまわないほどおはしの使い方が上手になったことに対して、どうして日本人の方々はそんなに驚くのでしょう。
私は英語の教師でもなく、また言語学者でもなく、社会学者でもありません。まるでこれらの分野においての専門家のような口のきき方をしてまいりました。ごめんなさい。
そこで、私が知っていることにつきまして最後にお話をしたいと思います。それは情報の交換、日本についての報告ということです。このような仕事につく者にとりましてこれは大変大きな責任を持つ仕事であります。日本は重要な国であり、またほかの国の人々は日本でどういうことが起こっているかについて大変に興味を持っています。残念ながら、いわゆる情報市場はそれほど必ずしもいつでも開放的であるとは言えないと思います。
例えば、昨年の八月、私は初めて原爆が世界で投下されましてから四十年たちました広島での記念式典を取材するために準備をしておりました。中曽根首相はその式典に出席し、また被爆者養護ホームも訪れるということを聞いておりました。そしてそこで記者会見を行うという話でした。これは国際的なニュースです。しかし、広島市役所記者クラブの方はそのようには考えておりませんでした。これは単に自分たちのみが取材すべきことであり、これは官邸記者クラブと自分たちのみが許されることであるというふうに考えたのです。外国の通信社と特派員とそれからこれらの記者クラブとの間で怒りに満ちた電話のやりとりが何本か行われ、そして最終的にはその記者会見のみに我々は出席が許されました。
また、数カ月前、韓国の野党の党首であります金大中が米国での数年間の滞在を終えソウルに戻る途中東京に立ち寄ったということがあります。そのとき成田の記者クラブは、その記者クラブのみが取材をするということを決定いたしました。私はその場におりませんでしたが、後で怒った外国の記者から聞いたところによりますと、このような国際的な取材にアクセスをとることが許されなかったということでありました。
この金大中の事件を発端といたしまして、外国の記者の間で記者クラブに対してアプローチを求めるキャンペーンが開始されました。そしてこのようなことが二度と起こらないように協定を結ぶようにキャンペーンが行われたのです。この年の初め、我々三十人ほどがまとまりましてそれぞれの主要な記者クラブにアプローチを求め、我々も取材に加わることができるようにするにはどうしたらよいかということを求めました。
今や幾つかの記者クラブは我々外国特派員もその会合に出席することを許しております。APとロイターは防衛庁長官のブリーフィングを取材する責任も今や分かち合えるようになりました。日本が国際化しているということによりまして、世界に対して日本についての情報がもっと伝えられることを考えることが重要であり、そのようになることがよりよいことであると思います。それで、記者クラブの中にそのような外部の人間を入れる幾つかの妥協がとられてまいりました。しかし、完全に制度そのものを廃止するほどの大きな変革を我々は行い得ておりません。
まず第一に、門戸を開くということは、別に古い制度、それを完璧になくしてしまわなければならないということを意味しているわけではありません。ただ、世界の現実に対して調整を行うということであるのです。それは日本が好もうと好まざると、日本に対して関心を持っている世界に対してそのような調整を行うということを意味するのです。
そして二番目に、国際化は日本が完全にコントロールできること、あるいはコントロールしなければならないことを意味するわけではありません。日本が別に真空の状態の中で運営していくということではないのです。世界はどんどん小さくなってきています。そして、もしその国がみずから変革を行っていこうとしなければ、日本の方が外から変革を余儀なくされてしまいます。
できれば、一人一人がこのすばらしい日本を訪れ、自分たち自身の目で見ることが一番よいのですが、しかし、そのようなことはできませんので、あらゆる情報の流れを許す必要性があると私は考えております。その情報はよいものであるかもわかりませんし、あるいは否定的な、ネガティブなものであるかもわかりません。しかし、そのような情報を日本から外へ流していくということ、そしてそれが認識されるということが必要であると思います。
それほど多くのトピックスについてお話をしたわけではありません。また私から解決策や提言をしたわけでもありません。そのような解決をなさったり、あるいは提言を行うのは皆様方であると思います。ただ私は、自分が思っていることを申し上げただけであり、私はもっと自分が思っていることを皆様方に喜んで申し上げたいと思います。そしてそれとともに、皆様方のお考えも喜んでお伺いしたいと思っております。
どうもありがとうございました。(拍手)