中村茂の発言 (土地問題等に関する特別委員会)
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○中村(茂)委員 資料を用意してありますので、配付をよろしくお願いします。
土地対策を検討する場合に、今回のような相当な土地の高騰が起きる、そういうなぜ起きてきたかということをきちっと原因を究明して、それに対してきちっとした対応をしていく、このことが私は極めて必要だと思うわけであります。そういう意味を含めて資料を配付させていただきました。
その資料は、日本不動産研究所で発行している中の一部の資料でございます。この日本不動産研究所は、市街地のそれぞれの指数を戦前から集計し、特に戦後の三十年から現在に至るまで指数として土地の動向について示しているわけであります。今配付願いましたのは、グラフにしてあるものと、それから三十年からあるわけですけれども、二ページの方のいわゆる六大都市についての現在までのもの、この二つの資料を配付させていただきました。
そこで、この資料に基づいて若干申し上げたいと思うわけでありますが、この資料をずっと検討した場合に、土地の動向は、そのときの政府の政治姿勢と政策によって地価の動きが非常に変わってきている、全く一致してきている、こういうことを私は指摘したいわけであります。
この図二の右側のグラフでありますけれども、三十一年からグラフを示しております。そして三十五年、六年をピークにして、特に工業地については八八・七%、商業地また住宅地については六一・九%前後、こういうふうに値上がりの指数を示しているわけであります。
これは、戦後の復興が急速に進んできた、そして工業生産などがどんどん高まってきた、そういう動きが出てまいりますと、やはり工業地がまず一番先に上がる、そして商業地が上がる、続いて住宅、こういうふうに値上がりが追っているわけであります。
そして値上がり率が前後しながら高度成長が進んでくるわけでありますけれども、そうすると住宅の宅地が一番先に上がり出してきて前後左右してくる。そして四十八年から四十九年にかけて一番上がったのがやはり住宅、これは全国的に上がっております。左の表は全国の表であります。全国的に上がった。それに続いて工業、商業というふうに、四二・五%住宅地が上がってきた。これはもう既に御存じのように田中内閣のもとで、日本列島、これは地価ばかりではありません、物価全体が上昇した、いわゆる物価狂乱と言われた時代であります。そして国土法ができ、こんなに土地が上がったら大変じゃないかというさまざまな手法がそこで生まれました。
それと同時に、土地税制についても、土地保有税というような制度をつくる、土地の長短期の譲渡税をつくる、そういう手法をきちっとやった結果、五十年には土地がマイナスになった。
そしてこの二番目の表を見ていただきたいわけでありますけれども、三十年からの一枚の表は抜けています。ずっとあって、二枚目の表は四十六年からずっと来ているわけでありますけれども、五十年だけは三角で数字もマイナスになっております。だから、土地がこういうふうに狂乱状態になってきた、私どもが懸命に努力してそれに対応すればこういうふうに地価を鎮静化した経験があるということを私はここで指摘しておきたいわけであります。
ただ残念なことは、土地が上がった、上がったのを鎮静する、この繰り返しをやってきたわけであります。ですからこれからは、土地の上がる動向が出たときに、そういう兆候が出たときに、いち早くこういう対応をしていかなければいけないという教訓をこの中から酌み取りたい、私はこういうふうに思うわけであります。
そういう状況の中で、五十五年から六年にかけてまた住宅地がどっと上がりました。二〇・七%です。これは御存じのように石油事情が大変な状況になって、そこで政府はその景気対策のために、景気を誘導するために住宅政策を進めてきた。そういう政策を進めますと、それに関連して宅地がこういうふうに上がってくる。そして今回の地価の暴騰であります。
この特徴は左と右を比べて見ていただけばわかりますけれども、全国の指数の値上がりはほとんど微々たるものだ。そして右の方が、商業地が今度一番上がった、いわゆる六大都市です。三三・八%。続いて住宅が二七・〇。そして工業地が一七・一。こういう状況をずっとこれで見た場合に、私はやはり政府の政治姿勢と政策を実行する場合というのが非常に土地に影響してきている、このことをまず痛感するわけであります。
そして今回の土地の高騰でありますけれども、先ほど御意見を聞いておりますと、やはり今までなぜこう上がったか、その原因とそれに対する対応。反省しているんですけれども、もう少し反省が足りないんじゃないかという印象を私は強く受けるわけであります。
なぜそうかといえば、確かに東京は一極集中の状況になってまいりました。経済の中心にもなってまいりました。政治の中心であることは言うまでもありません。そうなってまいりますと、国内的ないろいろな面から見てもオフィスビルの不足なんという問題が起きてくるでしょう。そこへ国際化、情報化でやはりオフィスビルの不足というような現象が起きてくる。それに対しての対応のおくれ。そうなってまいりますと、先ほど大蔵大臣から仮需要というような問題も出ました。金融機関を含め、不動産業界を含めての投機買いというような状況が起きてくる、それに対しての対応。ところが、今回のやり方を見ていますと対応どころではありません。それに火につけるようなさまざまな問題が出てきたのではないか。
まず第一番に私は指摘したいというふうに思いますのは、国公有地の払い下げです。中曽根前総理は、オフィスビルの不足なり都市開発をする場合なり大型プロジェクトをするなり、そういう場合には民間の活力を大いに利用しようじゃないか。利用するなら利用するで私はそれは結構だと思うのです。それを民活ということで進めていく。それには先ほど大塚委員も言っておりました、もう少し建ぺい率をふやすとか規制緩和をする必要がある、そういうことでさまざまな規制緩和が行われました。そして、その民活を進めるためにまず手を打ったのが、国公有地の払い下げということで出発してまいりました。
御存じのように、まず五十八年の十月に新宿の西戸山の公務員宿舎のそれを民間に払い下げて高層住宅にする、こういう問題が起きてまいりました。続いて、五十九年の三月には品川駅貨物跡地について、平米二百二十万で、周辺の地価公示に比べて四・二三倍で民間に払い下げた。倍ですよ。これはだれが考えてみても、平米二百二十万でも高い。そして公示価格の四倍以上というのです。それを、国公有地を平然として民間に払い下げている。そこを出発点にして七回、国公有地がずっと、六十年、六十一年、六十二年と払い下げられてきた。そして国公有地に比較して、一番高く払い下げたのは、六十二年三月の田端の鉄道病院跡地、これは六・五倍、倍です。倍で計算して六五倍です。国がそういうものを平然として行っていく。これはもう土地の狂乱の元凶だというふうに私はまず一点指摘しておきたいと思うのです。
そして、二番目にどうしても指摘しておかなければならないのは、金融機関の対応です。これは言えば金余りとか低金利になったとか、さまざまなことを言われておりますが、統計を見ればその状況が極めて明らかになってまいります。
五十年、五十一年、これは不動産に向けられた融資というのが七兆三千億。そして十年間ずっと経過して、六十年の三月に十七兆四千億になった。十年間で十兆積み重なってきたわけです。そして六十年の三月から六十二年の三月まで二年間、この間に三十兆以上になった。言えば十年間かかって十兆積み重なった。ところが二年間で十三兆積み重なった。伸び率はその間に、前年比で比較して、どの期を見ても三五%ぐらい融資がどんどん膨らんできた。これは仮需要と関係し、土地の地上げと関係するわけですけれども、こういうふうに金融が流れていく。
そして、三点目に指摘したいと思いますのは不動産業界の行動です。地上げを行う、底地買いを行う、そして暴力団が介入して強引な、人権を無視するような行動がそこに起きてくる。
ですから、まず一点国公有地で火をつけて、金余り現象で金が流れて投機買いが行われて、その行動が不動産業界のさまざまな行動になってきた。しかも金融業界と不動産業界が裏の方でがっちりと結びついている。こういう状況ですから、これを解決していくということになると、さまざまな大変な状況が今生まれているのではないか、こういうふうに思います。
私も長い間土地問題で、天野前建設大臣とは国土法をつくったときにいろいろ教えていただきましたし、やってまいりましたが、天野建設大臣が大臣を退任になったときの雑誌社のインタビューで、おれも内閣の一員だった、中曽根内閣は土地問題に関しては本当にだめだった、こういうふうにみずから自戒された記事を私は読みました。そして、読売新聞ですけれども十一月二日に、中曽根内閣の過去五年間の政治姿勢や実績について評価できるか評価できないか、こういう世論調査をいたしまして、五年間の総合的なもの七項目、それぞれ世論調査の結果が出ております。
土地問題、これは今まで世論調査で一回も土地問題ということでさまざまの問題に含めてやったことはないそうです。今度初めてやってみたところが、中曽根内閣の五年間の評価の中で「大いに評価できる」が一・二、「多少は評価できる」が九・七、「あまり評価できない」が四二・七、「全く評価できない」が三六・七、「答えない」が九・八。ですから、先ほどから私言っておりますように、内閣の政治姿勢、政策の施行、これと土地というものは常に密接な連携を保って動いてくるわけですから、それが今度の場合には、何回か繰り返しますけれども、ビル不足、需要に対して手を打たない、さまざまな問題に手を打たない。しかしそれだけを供給すればいいじゃないか、民活でやればいいじゃないかといってこのさまざまな問題が起きてきた。ですから私は、これからは政策手段を施行する場合に、都市開発でもそうです、プロジェクトでいろいろやる場合に、供給だけを先行させるのではなしに、土地対策をあわせて必ずやっていくという政治手法をとることがまず必要だろうということを強調しておきたいというふうに思います。
私の見解を時間をかけて申し上げましたから、皆さんに今度いろいろ御質問したいというふうに思います。
そういう中で竹下内閣が誕生いたしました。竹下新首相は、緊急の対策として国際問題がある、土地問題がある、それと税制の問題がある、この三つの問題を大きく掲げられております。そういう重要な土地問題の中で今度は、国会においてはきょう第一回の会合を開いているように土地問題の対策委員会ができました。ですから実は首相に出席願いたいというふうに思ったわけですけれども、二十七日の施政演説をやるまではちょっと勘弁願いたい、こういうことで、しかし副総理ということで大蔵大臣お見えですから、まず竹下新内閣の土地問題に対しての決意と見解を副総理の立場からお聞きいたしたいというふうに思います。