菱村幸彦の発言 (文教委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○菱村政府委員 学習指導要領ができましたのは昭和二十二年でございます。戦後、新しい学校制度の発足に際しまして、どのような教育の基準でやるかということで、当時いわば大変混乱期でございますが、その中で文部省は、主として社会科につきましてはアメリカのコース・オブ・スタディーなどを参考にして、それを翻訳しながら学習指導要領をつくったというわけでございます。
 そこで、当時の学習指導要領を見てみますと、御指摘のように試案という言葉がついております。が、指導要領自体がとにかく新学制に間に合わせようというので、混乱期の中で非常に急いでつくられた。それで、つくられましたのを見ますと、今の指導要領は小学校一冊、中学一冊、高校一冊でございますが、当時の指導要領は総則編で数百ページ一冊、それから国語編、数学編、社会科編、それぞれが分冊になっておりまして、全部合わせますと数千ページに及ぶ膨大なものでございます。したがいまして、当時の学校教育法の施行規則の規定によりますと、学習指導要領を基準とするということになっていて、法の制度自体は現在とほとんど変わりないわけでありますが、今申し上げましたように、非常な混乱期の中で急いでつくった、しかもそれは基準というには余りにも膨大な内容であったということで、とりあえずの案ということで当時試案というふうにつけたのであります。

発言情報

speech_id: 111605077X00419891124_029

発言者: 菱村幸彦

speaker_id: 6994

日付: 1989-11-24

院: 衆議院

会議名: 文教委員会