上寺久雄の発言 (文教委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○上寺参考人 上寺でございます。
私の立場は、免許法改正が予定どおり進展しますことを期待いたしまして御意見を申し上げたいと思っております。
御意見を申し上げる前に、私と社会科の関係についてお話を申し上げて、その立場から、高等学校の二つの教科に発展的分立をする、そういう立場のことについてお話を申し上げてみたい、こう思っておるのでございます。
私自身は、小学校教師から始めまして、昭和二十二年に学習指導要領一般編の試案が出ましたころは小学校の教師をしておりました。翌年、二十三年ごろになりまして、ある県下、私、広島県でございますが、広島県で最初の社会科の公開授業をやったものでございます。それから、昭和二十六年から三十九年にかけまして、附属中学校におりまして、社会科担当の教員として就職をしておったわけでございます。その間、中学校における社会科は、特に道徳教育との関係で非常に問題になった時期でございます。
それから後、昭和三十四年から三十五年にかけまして、ある女子高校の教員をしておりました。そこで世界史を教えておったわけでございます。これは、ちょうどそのころ高等学校の教科の統合あるいは整理が行われた時期でございまして、世界史のあり方についていろいろ検討のなされておった時期でございます。
それから後、昭和三十七年以降、大阪市の教育研究所に就職をいたしまして、そこで現場に近いところでいろいろ研究に従事したわけでございます。それから教員養成大学に参りまして現在に至っておるわけでございます。
その間、道徳教育並びにそういう教科教育につきまして研究もさしていただいたわけでございます。これが、職歴からまいりました社会科と私との関係でございます。
もう一つは、私の学問研究の方から考えまして、新教育の根源であるとされておりましたアメリカのジョン・デューイの研究、これが私の研究でございました。社会科も、ジョン・デューイの発想からかなり理論を得ておる、こういうふうに考えられておるわけでございます。
しかし、彼の教育課程論から考えますと、ハイスクールになりますと教科を発展的に分立させる、こういうような立場が出てくるわけでございます。もちろん、中学校課程まではソーシャルスタディーズの立場から、社会科的発想で社会科学に基づく教科を履修させる、こういう立場であったわけでございます。彼は一九三八年には「ホワット・イズ・ソーシャル・スタディー?」こういう本も書きました。その当時、ソーシャル・スタディーズがアメリカで非常にもてはやされておった時代に「ソーシャル・スタディー」という論文を書きまして、限界を明確にする、こういう立場をとったわけでございます。
そういうような職歴並びに研究歴から考えまして、私は社会科に対しては非常に愛着を持っておる者の一人でございます。しかし、愛着を持っておるがゆえに、高等学校になったらこれはやはり分立をして、それぞれ独立をしていく立場に向かうべきではないだろうか、こう思っておるのでございます。
高等学校で社会科の発展的分立と私は申し上げましたけれども、地理歴史科と公民科に独立をした教科をつくる、こういうことに対してのよりどころを何点か申し上げてみたいと思うのでございます。
一つは、教育課程の発展的系列でございます。幼稚園では領域がございます。そこでいろいろ人間関係とか環境の問題を扱います。それから、小学校になりまして生活科が低学年で出てまいります。そこでは従来言われております社会科的なものと理科的なものとを一緒にした総合的な学習をする。これは経験主義あるいは生活主義によりどころを持った、そういう教科でございます。三年生になりますと、それが社会科と理科に分かれていくわけでございます。それから、中学校になりますと、社会科という枠の中でそれぞれの歴史的分野とか地理的分野、さらには公民的分野という分野に基づいてそれぞれがある種の系統を持って授業を進めょう、こういう立場をとるわけでございます。それが高等学校になるに至ってやはり地理歴史科と公民科に分かれて、そうしてそれぞれが教科としての一つの主体性を持って、そうして学習をさせる、こういうことに発展をしていくわけでございます。
もちろん生活科、社会科、基本的には総合的な学習でございます。さらには経験主義、生活主義からだんだん系統主義へと発展をしていく、そういう流れにあるわけでございますが、それを高等学校になったらやはり社会科学的よりどころと同時に、人文科学的よりどころ、ころいうものをあわせて支えていく、こういう立場から二つに分立をしていくわけでございます。
そういう発展的分立を支持する理由として、一つは系統性の問題でございます。児童生徒はだんだん発達をしてまいります。その発達に即していわゆる教育課程もだんだん深化していかなければならないだろう、こういう立場で、言うならば教育的要請でございます。
二番目は、専門性の深化でございます。これは、学問的な専門性を持ちながら、だんだん児童生徒の発達に即して、そうして研究あるいは教育が深められていく。これは学問的要請でございます。
三番目は、現時点におきます時代的な要請、一つは特に国際性を持った国民を養成するという立場でございます。そのために特に世界史的な、全世界が歴史的発展をいかにしておるか、こういう立場をきわめることによって国際性の深化ができるのではないか。
もう一つは市民的、国民的な立場からの要請でございます。市民であることを通して日本国民であること、これを明確にすることによって世界の人類の平和を培っていくんだ。先ほどのものが国際性からの要請であるとするならば、今度は市民的、国民的要請として時代的要請の立場がとれるのではないかと思うのでございます。
その次は高等学校の性格でございます。高等学校は完成教育を一方でやります。そこで先ほどの完成という立場から二つの時代的要請にこたえる、こういう問題。それからもう一つは、ある意味で高等学校から大学へといういわゆる通過のための過程の任務を担っておるわけでございます。これが大学教育へのつながりを持っておる。初めの完成教育は中学校の学習との継続関係を持っておる。それから後の大学へのつながりといたしましては教育、研究との継続、こういう立場がとれるのではないだろうか。そのためには学問的発展ということを考えておかなければならない。そういうところから地理歴史系の科目として世界史、日本史、地理、その中の世界史を一つの必修にしていこう、こういう立場が出てまいりますし、公民系統の方で現代社会、倫理、政治経済、そういう中から一科目四単位の必修が出てくる、こういう立場になるのではないかと思います。
もう一つの私の立場からは、教員養成という立場から考えまして、やはり特に総合学習から学問的探求へ、あるいはその深さの追求へ、そういう流れの中で、特に教員といたしましては専門的な学問的教養を身につけておく、そういう教員の養成が必要になってくるのではないだろうかと思います。そのためには高等学校から学問的、人文科学的なあるいは社会科学的なよりどころを持つ教科の学習、これがなされておることによって将来の社会科教員、すなわち地理歴史教科の担当と公民科担当をそれぞれ分立をさせまして専門性を深めていく、こういう立場が必要になってくるのではないだろうか、こう思っておるのでございます。
以上のようなよりどころから、免許状として二つの教科の免許状を取得できますように御推進をいただけば幸いだと思います。特に私の大学におきまして、教員養成上から考えまして、それぞれ今度の免許状改定に伴います、そういうものに対する大学の構えは一応できておるのでございます。それぞれの専門家の教員を抱えておりますし、そういうことから免許状が改正になりまして、そうして教養審、教育職員養成審議会の方でプロセスを認められ、あるいはどういうふうにやるかということが指示されるならば、直ちにそれに対応して、そして来年度から入学をする学生に対する対応もできる、こういうのが一般の教育系大学にも当てはまるのではないだろうか、こう思っておるわけでございます。
以上のようなことから考えまして、私の職歴から、さらには研究歴から、さらには現在置かれております教員養成に従事しております立場から、冒頭で申し上げましたように地理歴史科教科、さらには公民科教科の分立が成立いたしますことを祈念をいたしまして、私の与えられました時間が参りましたので、一応終わらせていただきます。