高橋史朗の発言 (文教委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○高橋参考人 高橋でございます。
 私は、このたびの教育職員免許法の一部改正案に賛成の立場から意見を述べさせていただきます。
 この問題につきましては、占領下の社会科の誕生の経緯にさかのぼって考えてみる必要があると思います。私は、占領下の教育改革の歴史を専門的に研究いたしておりますが、戦後の社会科の導入の伏線になりましたのが、昭和二十年十二月三十一日にGHQが懲罰的見せしめのために出しました修身・日本歴史及び地理の授業停止に関する指令であります。お手元に今お配りするのだと思いますけれども、そのコピーの中に書いてございますが、アメリカのバージニア州のコース・オブ・スタディーを台本として昭和二十二年五月に学習指導要領社会科編I(試案)、これは小学校のものでありますが、その翌月の六月にミズーリ州などのコース・オブ・スタディーを台本といたしまして、中学、高校の学習指導要領社会科編II(試案)というのが発行されました。この学習指導要領が我が国で最初の学習指導要領でございます。その学習指導要領社会科編Iと一九四三年版のバージニア州のプランの一部を対照させましたものをコピーでお配りいたしておりますが、この両者を対照いたしますとほとんど一致していることがおわかりになると思います。九〇%はその翻訳したものであります。
 また、今お手元にお配りしました「現代のエスプリ」の六ページをお開きいただきたいと思いますが、この本は私が編集いたしまして昨年六月に出したものでございますが、六ページの冒頭に、昭和二十二年三月に発行されました学習指導要領一般編(試案)の社会科に関する部分を記載しておりますので、ごらんいただきたいと思います。一行目から読ませていただきます。六ページであります。
 「社会科は、従来の修身・公民・地理・歴史を、ただ一括して社会科という名をつけたというのではない。社会科は、今日のわが国民の生活から見て、社会生活についての良識と性格とを養うことが極めて必要であるので、そういうことを目的として、新たに設けられた」と書かれております。ここに、社会科を新設した目的が明示されております。
 また、学習指導要領社会科編I(試案)には次のように書かれております。先ほど読み上げました箇所から三行後のかぎ括弧から再び読ませていただきます。「社会科はいわゆる学問の系統によらず、青少年の現実生活の問題を中心として、青少年の社会的経験を広め、また深めようとするものである。したがって、それは従来の教科の寄せ集めや総合ではない。……歴史の事実はそれ自身として重要なのではない。それは、今日の世界におけるその意義という点において重要なのである。……歴史の教科の最も重要な目標の一つは、現在の生活を史的発展の結果として見る能力、及びその知識を結局現在の問題について用いることのできる能力を生徒に発展させることである。」と書かれております。
 私は、社会科が戦後の日本の民主化に貢献し、一定の啓蒙的役割を果たした点は積極的に評価いたしますが、そもそも戦後の出発点において、こういう歴史を軽視するアメリカのプラグマティズムに基づいて小学校から高校までの歴史や地理を社会科の枠の中に入れたこと自体に原理的な問題があったのではないかと考えております。
 この最初の学習指導要領(試案)によれば、「歴史の事実はそれ自身として重要なのではな」く、現在の生活に役立たせるための素材、手段として歴史教育の必要性をとらえているにすぎず、歴史に正当な位置を与えているとは言えません。
 本来、歴史は知的領域の中から追憶を喚起し、時代の特色と意義とを認識することによって初めて成り立つものであります。それゆえに、歴史はそれ自身として重要なのでありまして、歴史教育はかかる時代史理解のための教育でなければならず、現在の生活に役立てるための単なる手段であってはならないのであります。
 社会科という枠の中に置かれた歴史教育は、単に現代理解のための学習上の手段として扱われているにすぎませんが、歴史教育はそれ自身が目的を持ち、それ自身の構造を持つのが本来のあり方であります。
 歴史を社会科の枠の中に入れると、社会科学の側面が殊さら強調され、人文科学としての歴史の側面が軽視されることになり、さまざまな弊害が生まれます。現に我が国に社会科を輸出したアメリカでも、歴史や地理の教育が廃れ始め、歴史音痴や地理音痴の大学生が続出し出したのは、社会科というごった煮のような教科が流行したからであるとの反省が行われているとニューズウイークは報じております。
 このように、社会科の出発点となった学習指導要領そのものに根本的な問題があったために、既に昭和二十七年の岡野文相時代に社会科の改善などが教育課程審議会に諮問され、翌二十八年には「社会科の改善、特に道徳教育、地理、歴史教育について」の答申が出されております。このときの審議会の諮問理由説明には、地理や歴史を社会科から外して、独立した教科にした方がよいとの主張があったと述べており、既にこの時期から地歴独立論が表面化していた事実を物語っております。
 また、歴史学者の間でも、地歴独立論が早くから主張され、元東大教授の坂本太郎博士は、昭和四十一年に発表された論文の中で、これは「現代のエスプリ」の百三十一ページの下の段をごらんいただきたいと思いますが、この中で坂本博士は、「社会科歴史は唯物的な偏向をおかした」と批判しておられます。坂本博士はこのような主張を当時の中央教育審議会においても開陳されたようでありますが、多数意見となるには至りませんでした。
 その後、昭和五十八年十一月十五日の中教審の教育内容等小委員会審議経過報告、さらに、私自身も第一部会の専門委員としてかかわらせていただきました臨教審の第二次答申から最終答申に至る長い論議を踏まえて教育課程審議会の結論が出されたのでありまして、そういう意味からいえば、今回の地歴独立決定は決してマスコミが言うように拙速でも唐突でもないのであります。
 このように、地歴独立をめぐる論議は四十年前から続いているのでありまして、戦後四十年というパースペクティブの中で今回の教育課程審議会の論議と結論を明確に位置づける必要があると思います。今回の地歴独立に至る過程を唐突だと批判する人々には、占領下における社会科の特殊な成立事情と、それによって必然的にもたらされた弊害についての基本的な認識が欠落しているように思われます。
 在米占領文書の研究によって既に明らかにされているように、社会科の我が国への導入は、GHQの民間情報教育局教育科の指示によるものであり、当時の日高第四郎学校教育局長は、社会科導入に強く反対し、歴史は独立させるべきであると力説いたしました。また、教科課程改正委員会の野村武衛委員長もこの点を強く主張し、小学校、中学校段階において日本史は分離すべきことを力説し、歴史編集者もこの意見を支持しました。
 この日本側の根強い反対に対して、GHQの教育課は、歴史や地理などを別々に教える伝統的方法よりも社会科として教える統合的方法の立場がすぐれていると主張し、最終的な妥協の産物として、日本史は小学校五、六年の統合的社会科に含めるが、中学校二、三年においては独立教科目とし、高校の社会科は一科目を選択させることにしたのであります。
 さらに私が申し上げたいのは、今回の地歴独立は、マスコミが強調しているように社会科の解体を目指すものではないという点であります。社会科がなくなるから社会科の否定だというのは余りにも幼稚な見方であります。そのことは、新たに改訂された新高等学校学習指導要領の地理歴史料の「目標」を見れば明らかであります。すなわち次のように書かれております。「我が国及び世界の形成の歴史的過程と生活・文化の地域的特色についての理解と認識を深め、国際社会に主体的に生きる民主的、平和的な国家・社会の一員として必要な自覚と資質を養う。」ちなみに旧高等学校学習指導要領の社会科の「目標」は「広い視野に立って、社会と人間についての理解と認識を深め、民主的、平和的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民的資質を養う。」となっておりまして、民主的、平和的な国家・社会を担う資質を養うという高校社会科の根本目標は地理歴史科に確実に受け継がれているのであります。
 社会科の「目標」にあった「公民的資質」という言葉がなくなったのは、国際化の進展に対応して国際的資質を養うことが新しい時代的要請になったためであり、地理歴史科は従来の社会科のプラス面を正当に評価し継承しつつマイナス面を補おうとしているのでありまして、決して社会科の解体を目指すものではありません。
 社会科にも功罪両面があり、これを見直したり改革すること自体を危険視したりタブー視することはかえって危険であります。一部の知識人やマスコミは、地歴科の独立イコール戦前の亡霊、皇国史観の復活、憲法への挑戦、民主主義教育の危機などというおどろおどろしい批判をしておられますが、私たちはもうそろそろそのような単純な二分法論理に立った愚かなパターン思考から卒業してもよいのではないでしょうか。
 今、私たちに求められているのは、社会科を全面的に肯定するか否定するかの二者択一的な選択ではなく、社会科のプラス面を生かしながら、不足していた歴史、地理教育の専門性、系統性をいかに補い、両者をいかに調和、共存させていくかということではないでしょうか。今回の地理歴史科の独立はその第一歩と言えます。
 私は、この二月に、ゼミの学生を連れて韓国に卒業旅行に行ってまいりました。そのとき、韓国の大学生から、日本は経済大国ですけれども文化怠国だ、「たい」は怠けるの「怠」でありますが、そういうふうに言われまして返す言葉がありませんでした。また、三年間アメリカに留学をしておりましたが、そのときに、日本の歴史や文化を余りにも知らない日本人留学生をアメリカ人学生が、在日日本人と嘲笑する光景を見かけました。また、マレーシアからの留学生と交流した際、自分は日本の大学生とはお酒を飲まないことにしている、なぜならば、自分はマレーシアのことをしゃべりたいのだけれども、だれも関心を持たない、自分は日本人の学生から日本のことを知りたいけれども、日本のことを話そうとしないと言うのであります。
 二十一世紀には、日本は十万人の留学生を受け入れる計画であります。しかし、自国の歴史も外国の歴史も十分に知らない現状のままでは、日本にやってくる留学生は対日不信を募らせるばかりでありましょう。臨教審第二次答申は、国際社会の中に生きるよき日本人の教育、「そのためには、まず日本人が日本自体のことを知り、その上で世界にはいかに異なる生活、習慣、価値観が存在しているかを具体的に学ぶことが必要である。」と指摘した上で、二十一世紀の教育の目標の一つに「世界の中の日本人」を掲げ、「多様な異なる文化の優れた個性をも深く理解」しつつ、「国際社会において日本の歴史、伝統、文化、社会等について説得力ある自己主張のできる広く深い日本認識」を持ち、地球的視野に立った日本人を育てることの大切さを強調しました。
 かつて、アメリカの雑誌「タイム」が、「世界の人々から賞讃されるが愛されない日本人」あるいは「世界の人々は日本人を一つのレンズで眺め、日本人は別のレンズで自分を眺めている」と評しました。日本人は一生懸命働くけれども、自分の経済的利益のことしか考えていないので愛されないというわけであります。これからは、このエコノミックアニマルとしての日本人の限界を乗り越え、世界のために日本がいかに貢献するかが大切な課題と言えます。そのためにも、未来の日本と世界を担う若者たちに日本史と世界史をしっかり学ばせる必要があると思います。
 もう一点申し上げたいことがあります。それは従来の社会科歴史と地理歴史科の中の歴史とは一体どこが違うのか、現場教師にはよくわからないのではないかという点であります。地理歴史科の目標と具体的内容についての議論をもっと深め、地理歴史科の中身、質をいかにつくり上げていくかを煮詰める必要があります。さもなければ仏つくって魂入れずになりかねません。
 最後に、私は、現在大学で社会科の教員養成に携わる者といたしまして、従来の高校の社会を地理歴史及び公民の免許状に改めることは、より専門的に研究した教員によって地歴並びに公民教育を充実させるために必要不可欠な措置であると考えますので、この改正案に賛同いたしますことを申し添えまして、私の意見陳述を終わらせていただきます。

発言情報

speech_id: 111605077X00519891129_006

発言者: 高橋史朗

speaker_id: 10684

日付: 1989-11-29

院: 衆議院

会議名: 文教委員会