土屋基規の発言 (文教委員会)

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○土屋参考人 私は必ずしも社会科教育法の専門研究者ではございませんので、的確にお答えできるかどうかわかりませんけれども、ただいまの御質問につきましては、社会科が創設されましたときの総合的な教科としての性格というものを大切にしたいというふうに思っている筋がございます。
 一つの資料をお示しいたしますが、新教育の花形として創設された社会科が戦後初期にどんなふうに受けとめられていたかという一つのあかしでございますけれども、一九四九年に平凡社という出版社から「新教育事典」というのが出ました。ここに社会科教育ということについての解説がございまして、この担当は勝田守一東大教授でありますが、勝田先生は社会科が始まる前から、一九四五年十月にできました公民教育刷新委員会のメンバーとして戦後文部省の中で社会科創設に力を尽くしたお一人でございますけれども、その先生が解説されているところにこの社会科というものの教科の性格が幾つか述べられていることを参考にしたいと思っているわけであります。
 この社会科は社会を研究する教科でございますけれども、それは客観的、実証的な社会科学の発展に伴って社会諸科学を媒介とする市民形成の教育として初めて真の意味を持つという趣旨のことが述べられております。そしてまた、社会科学という観点につきまして、これは社会現象について実証的、科学的研究というものがすべて社会科学の領域に含まれるわけであって、その点でいえば、その領域は経済学、政治学、社会学、歴史学、地理学、人類学、民俗学、社会心理学等種々の分野にわたっているということを問題にしております。この点で申しますと、歴史学や地理学という社会諸科学の領域が含まれているわけでありますが、このような出発をいたしました社会科が単に社会諸科学の学問的系統性というものに立脚しながらそれのみに終わらないで、学校における教科として体系的に社会的な認識を育てると同時に、それが現代社会のよき市民を育成するという目標があって、そのことがこの社会科の出発に大変重要な意味を持っているということを説いてございます。
 そして、この論文の最後を見てみますと、この中には、今問題になっておりますように、教育課程を編成する上で融合的な課程とするか分離的な課程とするかということが当時から論争になっていたということを説いております。そして、特に歴史を分離課程とするという主張については、教育課程を融合する形で編成をすることによって人間生活の発展の総合的な理解、時代的意識の発展が望めないという批判が見える、こういうふうなことも説いております。これに反して、融合課程の主張については、歴史の分離課程というものはややもすれば児童生徒の経験と無関係な教授が行われがちであるということ及び歴史自身が既に経済、政治、文化の諸領域を融合している以上は児童生徒の経験と興味とを考慮すれば、融合課程を要求するという意見があらわれている。
 このように論争的な問題になっておりまして、出発のときに総合的な教科としての性格を持っている、それをさらに現状に合わせて創造的に発展させていくという内容の発展ということで考えればいいのではないかというふうに考えますものですから、あえてそれを分化するということは要らないのではないかというふうに思っているわけでございます。

発言情報

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発言者: 土屋基規

speaker_id: 2139

日付: 1989-11-29

院: 衆議院

会議名: 文教委員会