上田薫の発言 (文教委員会)
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○上田参考人 先ほども申し上げましたが、学問の系統性とかある場合には発達段階ということ、これはかつての文部大臣も強調されましたけれども、そういうことで結論づけられて、こういう改変と申しますか、改訂が行われるわけでございますが、しかし、それが多くの人たちの中で論議され、今御質問ありましたようにそれに関する専門家の意見も慎重に聴取するという過程を経れば私は文句がないと思うのですけれども、それができていない。できないにもかかわらず急がれるということは何であるか。既に社会科が発足いたしました四十何年前から歴史独立ということはございました。あっても当たり前なのでございます、全員が一致することではございませんので。その後、長い経過を現在まで経てまいりましたけれども、歴史は独立しないままでまいりました。
それは社会科の中で満たされたということがあったということでございますけれども、もう一つここで特に申し上げたいのは、御承知かと思いますけれども、昭和三十三年に学習指導要領の第三回の改訂がございました。社会科については三十年に少しやっておりますが、三十年と三十三年は同じ内容でございます。このときに、内藤誉三郎さんがリーダーシップをとっていらっしゃったのですけれども、ここで日本的なというか、後に戻るというのは私の表現になりますけれども、戦後いわゆる日本の伝統を復活するというかけ声でやられたものでございます。その前後、いろいろな教育問題がございました。これは今は省きますけれども、その中で出てまいりましたこの社会科というのは最初の社会科の考え方とは相当に違っております。
したがって、その後ちょうど三十年やってまいりましたけれども、私から申しますれば、その社会科は非常に不完全でございました。不完全というのは、子供が主体的に考えるということが非常に小さくなりまして、いわば教えられる、覚えるというところに傾斜してしまったわけであります。ですから、昭和二十年代では教師も子供も社会科が好きでございました。ところが、三十年以降は嫌いになりました。教師の方も、教育二法が出まして以来やりづらくなったということがあるのですけれども、とにかくそういう意味で非常に低調になりまして、低調な三十年を続けてきたわけであります。その低調は何ゆえかと申しますと、今、地歴独立だけではございませんけれども、そういう子供の主体性を余り、育てないと言うと語弊がございますけれども、強調しないという方向に動いていったということでございまして、それが道徳教育の面でもかかわりがございますけれども、現在の日本の教育状況をつくったと私は思います。
ですから、ここでもう一度、主体的な責任ある行動ができる人間をつくらなければならない、それは社会科を分化する方向であるはずはないと私は考えておりまして、そういう意味で先ほど憲法云々という言葉が出てまいりましたけれども、憲法ということは申しませんけれども、やはり民主的な社会で本当にしっかり生きることができる人間をつくるためには、高等学校においてもただアカデミズムと申しましょうか、そういうものに寄っかかっていくということでは困るのであります。そういうことでは日本がこれから本当に責任を持って世界で役割を果たしていくということはできない、日本の国内においてもいろいろな問題が生じてくるということでございまして、現在の教育荒廃というふうに言われるものと非常にかかわりがある。もし社会科がもっと健在であれば、現在の荒廃は今のような形には決してなっていないというふうに考えております。そういう意味で、社会科はずっと続いてまいりましたけれども、昭和三十年以降のものは本来の社会科からは外れてしまったと私は認識しております。