上寺久雄の発言 (文教委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○上寺参考人 教育はあくまで中立でなければならない、これが基本的な原則でございます。しかし、果たしてそれがどういうふうに介在をされたかということについては私たちもよくわかりませんけれども、先ほど高橋参考人から話が出ました十一月四日のこの会議には私も登場しておるわけでございます。これは新聞報道、いろいろなことで言われておりますけれども、そこで総決算をやる、こういうことで、それぞれの分野の専門、主任の方々が出ておられたのでございます。そこで社会科教育とそれから道徳の問題も出ましたけれども、地理、歴史、そういうものについていかに分立をするのかあるいは従来どおりでいくのか、こういう両論併記をどういうふうにまとめるか、こういう論が出たのでございます。
 そのときに私も登場しておりまして、社会科を存続することに対するいろんな疑問点なり、こういうものを私自身が述べたのでございます。それに対して、それぞれ専門の方々六、七名おられましたけれども、残念ながら明快な御回答はいただけなかったのでございます。
 先ほど上田参考人がお話しになっておりましたけれども、現在の学校教育を乱しておるのは、あるいはそういう政治的介在があるのか何があるのかは別問題といたしまして、私は教育の不徹底だろうと思っております。世に知育偏重という言葉をよく言われますけれども、知育偏重ではなくて、知育が本当に不徹底である。知育がもし正しく行われるならば、知識を、さらにはそれを支える能力を、さらにはそれを支える意欲、関心、態度、ここまで貫いていかなければならない。それを言っていないのが、現在の知育がやまいだれのついた痴育になっていないか、こういうところに私は非常に疑問を感じております。徳育は損得ばかり教える得の得育になっていないか。体育に至っては怠惰な子供を育てる怠育、怠の字になってはいないか、こういうことが現実に教育の現場にあるわけですから、それを踏まえていかに教育課程を改訂するか、こういうことが起こってきたと私は信じておるのでございます。さらには、四十年の歴史があってさまよい歩きながらやってきたというところから、その集約が十一月四日にあった、こう思っております。

発言情報

speech_id: 111605077X00519891129_025

発言者: 上寺久雄

speaker_id: 16277

日付: 1989-11-29

院: 衆議院

会議名: 文教委員会