上田薫の発言 (文教委員会)

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○上田参考人 私は、先ほど申しましたように昭和二十一年から教育の問題にタッチしてまいりまして、社会科ばかりでございませんが、文部省ともいろいろかかわり、あるいはほかの進歩的団体ともかかわってまいりました。しかし、私自身の立場は、先ほど申しましたように、昭和三十年以降は文部省とはほとんど対立的な考え、意見を持っておりまして、そういうことに終始してまいりました。しかし一方、具体的に言えば日教組のような立場とも私は同調はいたしませんで、それは、要するに教育はやはり中立でなければいけない。中立というのは日和見ではございませんので、教育を守るためには政治が直接それに介入されてはいけない、そういうことを考え続けてまいりました。
 結論として言えば、戦後の教育の歴史は、はっきり言って不当なる政治支配に屈し続けてきたということだと私は思います。したがって、今必要なのは、そういうことから脱却して、政治も教育も改まっていくということであって、今回のことも、私は今言ったような政治との関係でしか実際理解することはできません。もっとゆったりと堂堂と、この問題を国民に開いて考えることがどうしてできないのか。何か結論が先取されたようなプロセスが非常に見え見えであるのでございますけれども、これはそのこと自体よりは、やはり教育と政治のかかわり方が非常に深刻に心配されることであると言わなければならないと思います。
 そういう意味で、これから教育と政治のかかわりが何とかいい形に変わるということをぜひお願いしたい。今回のこともそれが確保された上であれば、これはいろいろ意見の違いでございますから、従うべきものは従うべきだと私は思うのですけれども、そういう過程でないです。これは教科書の問題、検定の問題をお考えになっても一目瞭然でございます。世界から見るとおかしいようなことがどうして日本の教育の中枢において行われているのか。これはやはり政治的な、あえて言えば、党利党略とまでは申しませんけれども、とにかくそういうものによって教育がもみくしゃにされてきたということではないかと思います。それを何とかやめていただきたい。
 こういうことは法制上難しいし、しかられるかもしれませんけれども、文部省も内閣に直結するのじゃなくて、何か一線を画していかれることはできないのか。それがないから、過去にありましたような文部省対日教組というふうな対立関係がどうしようもないところへいってしまうわけであります。国民がみんなが協力し合って教育を大事にしていく、そういうことをつくるのが文部省あるいは内閣の責任であると私は思うのですね。ところが、そういう方向へ行っていないのじゃないか。むしろそれより逆の方向に行っているのじゃないか。
 今教師は、こういうことを言うとどこかへ飛ばされるとか痛い目に遭うとか、逆にこういうふうにやれば何かちょっとぐあいよく出世できるとかいうふうなことに振り回されております。それは教師が情けないには違いないですけれども、そういう状態に落とし込んでは、これは子供はまともに育たない。教育荒廃からは立ち直ることができませんよ。ですから、一教科というとあれですが、一つの教科をどうするかという問題だけではなくて、教育の問題はもっと多くの人たちがかかわって動かすことができるようにしていただきたい。
 もちろん数が多ければいいということじゃないと私は思います。確かに、勉強をしない、親の立場に立つとそうなんですが、自分の子供本位に考えたりいたしますので、それだけに動かされるということは困る。残念ながら教師も自分の都合に合わせていろいろ希望したり、主張したりする面がございます。しかし、それを何とか乗り越えて本当にいい形をつくるということのためには、やはり教育の中枢にある者がもっと謙虚に多くの意見を生かしていくということが必要なのではないか。何かもう幾ら言っても結局はだめだというところにもし追い込まれているとすれば、これは本当に——今確かに中学生あたりもいろいろ難しいわけですよ。本当に皆さん御想像以上に荒れている学校もあるわけで、これはもう捨てておけないのです。それを何とかするということは、我々総ぐるみになってやらなければいけないのだ。
 それは、例えば今出ましたように、高等学校の社会科を一応解体、同時に生活課程というものを低学年につくる、そのうち小学校の高学年でも歴史を独立させたいとかいろいろな意見があるようでございますけれども、それが一体何を本当に目指しているのか。これからを担ってくれる子供たち自体が、ゆがむというよりは何か本当に生気をなくしている、何かそれてしまっているということをそのままにしておいて、こういう学問系統をもうちょっとこうしたらいいとか、それはそれで議論するのは結構ですけれども、そういうことで事を考えていったのでは、これから十年たちますと、もう幾ら悔いても悔い足りないというふうに私は思います。
 私は、五十年近くやってまいりましてもう大分年もとりましたので、もうこれ以上どこまでやれるかと思っているのでございますけれども、そういうことを考えますと、これからの教育というのは非常に心配をする、明るいどころではないです。今最初に申しましたように、世界は動いている。いろいろな今までのタブーが破れ、新しいものがどんどん認められていくような世界の中で、どうして日本の教育は、政治は今までのようなところで縮こまって本当の意味で開き合って考えることができないのか。このままでは本当にどうかなってしまうということだと思います。これが老人の繰り言でなければ幸いだと思うのでございますけれども、ぜひ皆さんにお考えいただきたい。これは分化がいい、悪いというふうな問題を超えて、私は皆さん方に訴えたい、国民にも訴えたいことでございます。今のままでは非常に恐しいことになっていく。
 今、校内暴力がなくなったように言っていますけれども、そうじゃないです。それがまたほかのいじめとか自殺とかいろいろなことに転化し、登校拒否がふえている。こういう状態というのはある意味では病的なんですから、それを何とかしていくという前提の上にカリキュラムも教科もすべて考えていただきたい。それぐらいせっぱ詰まっているということを私は申し上げて、終わりたいと思います。

発言情報

speech_id: 111605077X00519891129_026

発言者: 上田薫

speaker_id: 7906

日付: 1989-11-29

院: 衆議院

会議名: 文教委員会