小森龍邦の発言 (予算委員会第五分科会)
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○小森分科員 時間の関係がありまして突っ込んだやりとりができないことを残念に思いますが、要するに、こういう点も同和対策審議会答申が明確にうたっておるわけであります。これも一行余りですから、文章を読んでみます。
「今日なお古い伝統的な共同体関係が生き残うており、人々は個人として完全に独立しておらず、伝統や慣習に束縛されて、自由な意思で行動することを妨げられている。」つまり、人々は個人として近代市民社会の一番原則である、憲法でいうと、第十三条「すべて国民は、個人として尊重される。」という、あの個人の権利意識に目覚めていない、そこが問題だ、こういうことを言っておるわけであります。
それを支えるものが、きょうは触れませんけれども、例えば漁業の面とか、あるいはその漁業にかかわって漁業協同組合の現実的な運営の問題とか、あるいは今私が申しました減反政策一つとってみても、ペナルティーの問題の中にそういう個人のつまり完全な独立ということが阻害されるような状況というものは随所にあるわけであります。その点をこれからの農林水産の行政の中にいつも念頭に置いてやっていただきたい。
そのためには個々の実情のわかる省庁が、これは私は部落問題に限って言っておるのではありませんよ。すべての近代的な合理的なことをやるために申し上げるのでありますが、やはり啓発の担当の省庁にそれが反映するような、各省庁の連絡網いろいろあると思うのでありますが、最大限ひとつそういうことを行っていただきたい、こういうことを申し上げておきます。
時間がなくなりますから農林水産大臣の方にお尋ねをしたいと思うのでありますが、先ほど来のことで大体人間の持っておる現時点における意識というものと、その意識が培われる客観的な存在の関係というものはおわかりをいただけると思うのでありまして、特に同和対策審議会の答申は極めてそれを哲学的に分析しております。例えば実態的差別と心理的差別は相互因果関係ということを言い、同時に差別の観念は単なる亡霊ではない、客観的基礎がある、こういう意味のことを言いまして、だからこそこれが全国的に高く評価をされたわけであります。したがって、農林水産大臣、そういうことをひとつ十分頭にとめていただくということをお願いをすると同時に、もう一つ今日の農政の観点で現実を私申し上げたいと思うのであります。
政府自体の統計調査によりましてもそこは明確だと思うのでありますが、つまり米なら米をつくったその粗収入、売上高ですね、その売上高に占めるいろいろな払いがありますが、例えば農薬代を農協に払うとか、あるいは肥料代を払うとか、あるいは農協があっせんしている場合も多いと思いますけれども、農機具店で農機具を購入して農機具代を払うというのが、調べてみますと一九七七年、昭和五十二年は農機具代の占める割合が二三・六%でございました。ところが、五年たって二八・四%にふえ、そして十年後の一九八七年、昭和六十二年には三一・五%に上がっておるのであります。
そして農民が働いた、つまり自分の労賃に当たる部分、最後に残る部分でありますが、その残る部分は結局だんだんそれとは逆に減りまして、一九七七年は四五・五%であったものが十年後には三六・二%に減っておる。ここに私は日本の農村が近代化されない、農機具がぐっと入ったんだから形の上では物すごい近代化されたように見えるけれども、現実の懐ぐあいというか人間の思いというものは、働けど働けど我が暮らし楽にならず、こういうような感じを持って、それはひいては長い物には巻かれろ、こういう考え方になるわけでありまして、そういう点をどういうふうに改革するのか。
私はこれは少し意地悪く言ったら、社会党も米の輸入自由化反対、自民党の皆さんも自由化反対、今のところこういう立場をとっておるわけですね。ところが、その思いがそれぞれ違いまして、日本の農業が今より半分になると農機具が半分しか売れないようになるんじゃないか、つまり大企業、工業向けの姿勢というものがあって、それがある程度ガードをかたくしておるのではないか、これは皮肉な考えですけれども、そういうふうにも思いたくなるんですね。ここらのところがかっちりならないと、本当に最終的には国際競争に勝てない、こういうことを思いますので、この辺についてはひとつ大臣の所信を伺いたいと思います。