松永光の発言 (予算委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○松永委員 いわゆる湾岸問題については、予算委員会の総括質問の間で各委員からいろいろな方面から質問がなされ、そして総理も懇切丁寧に答弁をしてこられましたのでありますけれども、したがって、私がこれから質問することは場合によっては重複するかもしれません。しかし、基本的な事柄について整理する意味も含めて、私は総理に質問をしたいと思うのです。
湾岸の平和回復のための武力行使についてどう思うかという点について、アメリカでは八六%の国民がこれを支持する、不支持は一二%、こうなっているそうであります。フランスではミッテラン大統領の武力行使支持について、ミッテラン大統領を支持するというのが七二%に達しておる。武力行使前に比べてミッテラン大統領の支持率が一二%も上昇した、こういうことであります。ところが、我が国では、ある新聞社の世論調査によると、武力行使支持が三九・二%、不支持が四七・二%、こうなっておるようでありまして、湾岸の平和回復のための武力行使についての国民の意識が、アメリカあるいはフランスと我が国との間には相当な乖離があるように思われますね。
なぜそういう乖離が出てくるのだろうか。私は、日本国民が侵略戦争を許さない、そういう正義感が薄いとは決して思いません。じゃ、何でこういう結果が出てくるのか、こういえば、いろいろな情報のはんらんもあるでしょう。しかし、イラクのクウェート武力侵略が起こったのが去年の八月二日、相当日時がたっておる、それに日本の人質も解放されたということ等もあったので、この今回の湾岸戦争がそもそも何で起こったのか、湾岸戦争のそもそもの発端、だれが平和を破る行動をしたのか、そういうそもそもについての認識に相当甘い面があるんじゃなかろうか、私はそう思わざるを得ない。
そこで、くどいようでありますけれども、何度も私はこの今回の湾岸戦争の原点というものを確認しながら、明確にしながら議論を進めていかにゃならぬ、こう思うわけでありまして、そういう点からいうと、今次の湾岸戦争というものは去年の八月二日、イラクがクウェートを武力侵略し、そうして併合した、このことに湾岸戦争は始まっておるんだと思う。このイラクの行為というものは真っ正面から国際法に挑戦するものであり、国連憲章をじゅうりんするものでありますから、全く許されざる侵略行為である。
そこで、国連は直ちに安全保障理事会を開いて、イラクの侵略を許さない、即時無条件撤退をすべしという決議をしたわけですね。これが安全保障理事会決議の最初の六百六十号。それ以来十数回の安全保障理事会の決議が採択されたけれども、イラクは一向に安全保障理事会の決議を受け入れようとしなかった。そこで、やむなく去年の十一月、最終的な安保理事会の決議と思うのでありますが、六百七十八号、すなわち本年一月十五日までに撤退をしなければ武力行使も容認する、こういう決議が採択されたわけですね。
そしてさらに、いろいろな人がイラクに赴いて、フセイン大統領に安全保障理事会の決議を受け入れるように、そしてクウェートから即時撤退するようにと、随分勧告をされたわけです。最後にはベーカー国務長官もジュネーブに赴いてイラクのアジズ外相と会談して、この安全保障理事会の決議を受け入れるようにと、長時間の協議をしたわけです。そしてさらには、デクエヤル事務総長までもがバグダッドに赴いてフセイン大統領と会談して、とにかく安全保障理事会の決議を受け入れろ、そして即時に全面的にクウェートから撤退すべしということを勧告したけれども、イラクの大統領は一向にこれを聞き入れるそぶりすら示さなかった。
逆に、アメリカ軍が武力行使をするならば血の海に泳がしてやる、こう豪語して安全保障理事会の決議を全く受け入れる意思を示さなかった。かくなる上は、このまま放置しては国連そのものの権威も失墜してしまう、侵略行為をこれ以上許してはならぬということで、湾岸の平和回復のために武力行使に入ったというのがことしの一月十七日であった。こういう経過であるわけですね。
したがって、今次戦争を始めたのはイラクである、平和の破壊をしたのはイラクである、多国籍軍の行動は安全保障理事会の決議を執行するための武力行使である、これがこの湾岸戦争の本質であり、そもそもの原点であるというふうに思うのでありますが、これはもう総理も何回もおっしゃっていることでありますけれども、繰り返し繰り返し私は確認をした上、そしてまた機会をとらえては総理みずからが国民に、この今次湾岸戦争の実態、本質、こういったものを訴えられる必要があると思うのです。そこで、総理の見解を改めて伺っておきたい、こう思うわけであります。